さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

安永蕗子『みずあかりの記』 熊本が誇るべき歌人

2017年03月31日 | 現代短歌 文学 文化
 かねてから目を付けてはいたのだが、ようやく手ごろな値段の本を見つけたので買った。ページをひらくや目が吸い込まれるようで、生き生きと踊っている文章は、世の中の女のひとたちはこんなに楽しいおしゃべりや、やりとりのなかで人生を輝かせているのだということがわかる。幼年期や若い頃を回想した小文が多く集められていて、むろん苦難の記憶、かろうじて結核から生還した時のことを記した文章もある。しかし、少女時代の幸せな思い出、父や母とのやりとりを記した文章が、なんとも言えずよいのである。

備忘のために記しておくと、病床の寺山修司を見舞った思い出話などがある。山頭火に飲み代を無心された父のことが書いてある。筆者は、「わが家の訪問者はのこらず歌よみであった。」という、熊本市内の水道町にある本屋の娘だった。むろんその家は先の戦争の空襲で焼けてしまった。

「テーブルのパンは、さしわたし四〇センチ、高さ二〇センチほどの、大きな、まるいパンであった。放射状にナイフを入れて、薄く切りとった一枚でも、パンはふわりとお皿をはみ出した。
 漂白などしない粉で焼いたのであろう、少し灰色がかった白で、よくふくらんだパンであった。表面の堅皮は、こんがりといい色に焼けていた。無論、味は絶品といっていい位だった。(略)」

「…最後の一つは、ゆきつけの喫茶店「山脈」のご主人にあげた。さすがに珈琲店主はにんまりと笑って「おいしそうなパンですね」と言った。そしてすぐ、うすく切って、たっぷりとバターを塗った一切れが、香ぐわしいコーヒーと一緒に、目の前に現れた。(略)

折よく来あわせたОさんが、舌なめずりをしてパンの前に坐った。彼はまぎれもない酒徒のはずだが、「なつかしいなあ、実にいいなあ、ソ連のパンとおんなじですなあ」と言って、なつかしさに耐えぬ目をした。戦前、戦後、ソ連に居て、辛酸をなめたОさんの述懐であった。(略)

阿部謹也氏の『中世を旅する人々』という本のなかに、クロイツ・ブロート、十字パンについての記載がある。その頃、やきがまに入れる前のパンに、くっきりと十字をつけた。焼きあがったパンの十字は、災害から家族を守る護符になるのである。むろん魔女も恐れて近よらないということであった。

私も、十字を切りこんで焼いたパンのくぼみから、中のあんこがはみ出しているパンを食べた記憶がある。戦前、私の家は、繁華な町なかに在った。電車通りをへだてたお向いは、大きなパン屋であった。横長い、店はばいっぱいのショーケースが、やきたてのパンでくもって見えた。その中からすきなパンを一つ買った。小学校二年生、一個五銭のパンであった。そのなかの、芥子の実をちらしたあんぱんが、クロイツ・ブロートであった。」
                         「十字パン物語」

こうして少し書き写してみただけでも、実に細かい気配りのされた彫琢された文章である。冒頭に近い部分の「パンはふわりとお皿をはみ出した」というような表現にしても、一語に賭ける歌人のセンスのほとばしりが感じられる。喫茶店の店主やОさんの表情にしても、ほんの数語で活写されている。しかも手に入れたイタリア・パンのことから戦前に食べた十字パンに話は及んで、パンの話に人生のドラマがある。名随筆と言うべきだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿