さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

関谷啓子『最後の夏』

2020年11月03日 | 現代短歌
 最近はお会いしないが、二十年ほど前には月に一度の超結社の歌の会などでしばしば親しく接した方である。八月に刊行の本であるが、タイトルをみて挽歌だろうと思い目次に「計画停電」という語をみつけて何となく脇に置いたままになってしまった。今日開いて読みはじめると、重くれたところのない静謐感と、すがすがしい清潔な印象を受ける作品集である。写実をベースにしたどちらかと言うと淡い歌を作る人だと思って来たのだが、今度の歌集は、関谷さんの短歌作者としての力量に納得させられるところが多かった。

  大玉のキャベツざくざく切るときに窓に近づく春の雲あり

  〈鳩の湯〉の煙突いまは外されて母住む家の目印は消ゆ

  われを待つ二人の娘バス停の前にさやさや笑う声する

  やわらかきガーゼの肌着洗いおりみずからの手を洗うごとくに

歌集のはじめの方から引いた。簡潔ですっきりとした叙述の文体はあまり屈曲しない分、一種のすがすがしさをもって受け入れることができる。こちらもこころをからっぽにして、入って来る印象をふわりとつかまえるように読むことができる。

  ビルの裏すべてを見せてほの暗く街はつづけり昼の車窓に

  巨大マンションつぎつぎ抜いて走りゆく列車の窓は夕陽に濡れて

こういう嘱目詠には、よく見て感じるということを長年つづけて来た人ならではの良さがある。

  願うことひとつに絞り雪曇る谷保天神にひとり来にけり 
     ※「谷保」に「やほ」と振り仮名。

  良きことはつづかざるとは思いしが今日の北風身に堪えたり

  秋海棠の花は雨に打たれおり 酷暑の夏を乗りこえし母

近親の病や死、そういう出来事に囲まれて生の時間は早くまた遅く過ぎてゆく。二十年以上前に、関谷さんらと年に何度か会う機会のあったことがすでに夢のように過去のできごとである。

  歩かなくなりし老犬なだめつつ夕闇せまる坂道のぼる

  この道を通ればかならず立ち止まるユリノキがあり天を透かして

  みんなみんな偉くなってくわたしには胸いっぱいのコスモスがある

  人柄の良きと思いき「開放区」をことさら愛せし田島邦彦

  茜雲かすかに泥のごとく照る会話につまる数秒の間を

  三角のちまきを作る手際よき祖母の手母の手よみがえり来る

  わがためにその日はとっておくと言う言葉をたよりにその日を待てり

  九十の母と歩調を合わせつつ歩めどなおも速かりしわれ

 おしまいに、こんな歌もある。なんということもない歌だが微笑ましく、平安と言うことのありがたさを感じさせる。とりわけ殺伐としたコロナ禍の世情のなかではそう感じる。

  台風が去りて二日目わが家にいつもの猫がふらりと来たり

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