さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

さいかち真文集 補遺

2017年10月09日 | 現代短歌
 ページ数の関係で割愛した小文があったので、ついでにアップする。けっこう愛着のある文章なのだ。

□小時評

 春日井建が帯文を書いた歌集に水上令夫歌集『彩み返さむ』(二〇〇三年九月・短歌研究社刊)がある。

大和地方への旅行詠を集めた歌集で、水上令夫の作品の間に、「未来」会員である妻の水上千沙さんの歌が何首か差し挟まれて構成されている。「彩み」は、「だみ」と読む。いろどる、彩色する、というような意味の四段活用動詞の連用形である。

  薬師寺に天平・昭和とふたつの塔「昭和の塔」は丹青の彩

という歌の結句に「だみ」と読み仮名が振ってあって、これは名詞となる。一集の成立の経緯は、

  思ひ消ゆる妻たづさへし寺へのみち癌擔ふいま妻に添はるる

という歌などからわかる。初句は、妻が心を病んだ時期にそれをなぐさめるために旅に出た記憶を踏まえているのである。同じ一連で、

  先を行く犬がをりをり振りかへるああそこだけの徑の明るさ

という水上千沙さんの歌の横に、夫の令夫氏の

  そこだけの明るさと妻なげきたる白毫寺への道鈍に曝れたる

という歌が並べて示されている。「鈍に曝れたる」は「にびにされたる」と読む。令夫氏の歌は、いわば返歌である。老年の夫婦の相聞歌。巻末近くには、

  きはだかく大気裂くこゑ倒れゆく朽木天柱への旅立ちならむ

という歌がある。今時こんなに古語を使い回せる歌人もそういるものではない。「天柱」はどう読むのか、あまのはしら、あめのはしら、あまつはしら。いずれにせよ、自身の命のはてを見据えつつ生あるものを荘厳した作品である。

  ふたりの影御堂の前にたたみゐつ互に死後を問ふこともなく

ここに日本の文化の現在がある。     (「未来」二〇〇六年)

□余白に 

 昭和十七年五月刊の中河與一編『女流十人歌集』を先日入手した。中河與一の短歌史における位置の微妙さもあるのだろうが、あまり話題にのぼらない本である。序文には、「思ふにわが国文芸の中心としての和歌の大半は女流によつて支へられてゐたのであつて(略)それは多くの男性をしのぐ優美の感情と、心を展かしめる放胆を歌の形式に託して歌ひいでてゐるのである。」とある。

 十人の顔ぶれは、与謝野晶子、四賀光子、若山喜志子、今井邦子、杉浦翠子、中河幹子、岸野愛子、吉川たき子、齋藤史、倉地與年子。編者は「自分はこれを大胆に選出したのである。世間の常識に従はず、昨今の和歌の危機を嘆くが故に寧ろおほらかに伝統の発想を女流の詠風の中に求めようとした。」とのべている。集中には日中戦争、欧州戦乱、対米開戦の衝撃が色濃く出ている。岸野愛子という大連に住み、歌誌「ごぎやう」に所属していた人の歌を一首引いてみる。

  わが念ひうちにしのべば流星の地にひきおとす光せつなき  岸野愛子

悪くない歌だと思う。    (「未来」二〇〇六年)



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