さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

松木秀『色の濃い川』

2019年08月04日 | 現代短歌
 あとがきを見ると、作者の日々の生活は相当困難をきわめているようである。これは、絶望をことばで噛み砕いていないと生きていけない人が、心身の平衡を維持するためのストックのような歌集であるから、きちんと地面に突き刺さっている時は、けっこういい感じになっているのだ。

あとがきには、タイトルを『多くただごとの歌』とでもつけたかったが、宮柊二、奥村晃作を想起してしまうからよした、という字句のあとに、「そして、勝手なお願いなのですが、もう私の歌に風刺や批評性などを期待しないでいただきたいと思っております。私も精神のみならず身体のあちこちが悪く、一日中臥床することも珍しくありません。」と異例の断り書きが記されてあって、だから私のこういう文章も書きにくいのだけれども、作者がそれだけ追い込まれていることには心から同情する。

しかし、そうは言っても松木秀は松木秀なんだから、「ただごと」として作っても、ストックで突き刺している感じになる。目の付け所、認識のしかたが、随所で諧謔を醸しだしている。また、時に常識や良俗の神経を逆なでしている。だから、自分としては「ただごと」として作って、たまたまそれがおもしろければそれでいい、という心境なんですよ、ということなのだろう。

  昆虫の標本をみるうつくしい死骸が好きな人だっている

  電子レンジにチンという音つけたのはシャープであると偶々に知る

  「シュウジ」なる逃げ馬のおり本当に寺山修司から名を取った

  「ビックリシタナモー」なる馬も勝ち上がるわが誕生日の中京競馬

こういうものを指して「ただごと」と言うのだろうか。もうちょっと踏み込むと、次のような歌になる。

  内戦の国にかならずカラシニコフありて九十四歳に死す

  競走馬に残るのみなり絆という言葉急速に廃れたりけり

これは何事かを糾明しようとする意思がけっこう強く感じられる歌で、作品集の大半はこういうものに占められているのだ。むろん読んでぴんと来ない歌もないではないが、ほとんど捨て台詞のような歌も、自棄と諦観の極まった歌も、作者の現在を切実に訴えかけるものとして、目にとめる価値はある。

  戦争の種があるならその種はめぐりめぐってモンサント製

ちょっと思い出したが、劇画の『ゴルゴ13』などを見返してみると、海外の種子の企業の悪行がけっこうリアルに描かれている。種子法が廃止されても平気で暮らしている多くの日本人より、一日病気で寝たきりで暮らすこともあるという松木秀の方がよっぽど世の中を見通している。

  システムの維持ができれば個人などどうでもよい、が全国覆う

  室蘭のゲオの新書のコーナーにヘイト本しか置いてない件

  TSUTAYAにさえ売ってもいない競馬雑誌なぜか近所の駄菓子屋にあり

  この世には何台あるか猫の毛が詰まり壊れたパソコンなどが

  旧ソ連のジョーク集など買ってきたこれからきっと必要になる

ネット環境も含めて、最良、最善のものと、最悪、最低のものとが、シャッフルされて、ばらばらに、無関係にモノとして周囲に同時に存在する世界に、いまわれわれは住んでいるのである。松木秀の作品は、そこに鋭く切り込んで、そのことを作品世界にとりこんでカタチにしている。けれども、どんな悪条件の下でも生のよろこびはあるのであって、

  郵便屋さんのバイクは特色のあるエンジンの音がするなり

  だんだんと飛行機雲が消えていく最後までみる人は少ない

 というような淡い歌を「ただごと」として、作者はこれからもっと作りたいと思っているのだろう。ここには引かないが、北海道のローカルな感じが出ている歌がなかなかいい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿