「短歌往来」の二月号が今日来た。この雑誌は書店に出ていないので、手に取ってごらんくださいとも言えないのだが、私の作品としては久しぶりに商業誌に載ったものだ。オメデトウ亥年生れの歌人、という特集である。「美志」の共同編集人の嵯峨直樹や、「未来」の選者の佐伯裕子の名前も見える。還暦の私は自分中心に考えていて、自分の同窓会みたいな誌面を勝手に思い浮かべていたのだが、そうではなかった。実際の誌面は、十二年の年輪の輪が、水面の波紋のように、または天空の花火のように拡がって大きくなっていくかたちである。
そう考えてみると、ある時代における全世代のイメージが、視覚的に整理できるようだ。これを概念の図式として使っている人文系の本はあまり見たことがない。ねずみ花火のような円を描く歴史の本というのは、ないものか。私は昔から縦線、横線の関数グラフが気に入らないのである。それから文芸の分野においては、中心点を一つにしない、ということも大事だと思う。
〇 〇
それで、身めぐりの本。
錦見映理子の『めくるめく短歌たち』が出た。岡井隆の首都の会が開かれていた頃、目白から新宿まで電車がいっしょだったから、月に一度は仲間たちとあれこれしゃべりながら帰った記憶がなつかしい。そう言えばこの本も、誰かとのやりとりを書いた文章に精彩がある。「心の花」の歌人、野原亜莉子についての文章の末尾から。
「 カフェで亜莉子(ありす)と楽しくお茶している最中、私は突然わかってしまった。もう、彼との関係は元に戻らないだろう。急に涙ぐんだ私に驚きつつ、亜莉子は余計なことを聞かず、落ち着くまで静かに待っていてくれた。
それから彼女は家に招いてくれて、深夜まで羊毛を使った人形の作り方を教えてくれた。針をさくさく刺して可愛いクマや犬を作っていると楽しくなってきた。手を動かして小さなものを無心に作るのっていいでしょ、と亜莉子は微笑んだ。」
冒頭の二つの文章のつなぎ方は、短編小説の技法である。この「…私は突然わかってしまった。もう、彼との関係は…」という展開のしかたは読者の好奇心を鷲掴みにする。二つ目の段落の「針をさくさく刺して可愛いクマや犬を…」というような言葉の使い方も、いい感じがする。こういう心の動きに描写の筆が素直に沿うて行く語り方がすらすらとできるのだから、昨年筆者が太宰治賞を受賞したというのも、頷ける。その「リトルガールズ」、タイトルからして面白そうなのだが、私はまだ読んでいない。
そう考えてみると、ある時代における全世代のイメージが、視覚的に整理できるようだ。これを概念の図式として使っている人文系の本はあまり見たことがない。ねずみ花火のような円を描く歴史の本というのは、ないものか。私は昔から縦線、横線の関数グラフが気に入らないのである。それから文芸の分野においては、中心点を一つにしない、ということも大事だと思う。
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それで、身めぐりの本。
錦見映理子の『めくるめく短歌たち』が出た。岡井隆の首都の会が開かれていた頃、目白から新宿まで電車がいっしょだったから、月に一度は仲間たちとあれこれしゃべりながら帰った記憶がなつかしい。そう言えばこの本も、誰かとのやりとりを書いた文章に精彩がある。「心の花」の歌人、野原亜莉子についての文章の末尾から。
「 カフェで亜莉子(ありす)と楽しくお茶している最中、私は突然わかってしまった。もう、彼との関係は元に戻らないだろう。急に涙ぐんだ私に驚きつつ、亜莉子は余計なことを聞かず、落ち着くまで静かに待っていてくれた。
それから彼女は家に招いてくれて、深夜まで羊毛を使った人形の作り方を教えてくれた。針をさくさく刺して可愛いクマや犬を作っていると楽しくなってきた。手を動かして小さなものを無心に作るのっていいでしょ、と亜莉子は微笑んだ。」
冒頭の二つの文章のつなぎ方は、短編小説の技法である。この「…私は突然わかってしまった。もう、彼との関係は…」という展開のしかたは読者の好奇心を鷲掴みにする。二つ目の段落の「針をさくさく刺して可愛いクマや犬を…」というような言葉の使い方も、いい感じがする。こういう心の動きに描写の筆が素直に沿うて行く語り方がすらすらとできるのだから、昨年筆者が太宰治賞を受賞したというのも、頷ける。その「リトルガールズ」、タイトルからして面白そうなのだが、私はまだ読んでいない。
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