さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

身めぐりの本

2023年01月03日 | 本 美術
 年末に例によって片付けをしていると、岩波新書の黄色版の鹿野治助著『エピクテ―トス -ストア哲学入門-』が出てきた。それをしばらく読んでから、新刊で買ってカバーがついているためにタイトルのわからない本を拡げたら、みうらじゅんの『人生エロエロ』だった。その取り合わせに一人で爆笑したのだけれども、どっちも名著ですよ。

 同じ書店の棚に並んでいた正津勉の『つげ義春論』の赤い方は買って読んだのだけれども、下巻をまだ読んでいない。たしか、みうらじゅんの本を買ってしまったせいではないかと思う。いま検索してみたら、正津さんと谷川俊太郎さんの対談による鶴見俊輔と詩を語るという本も読んでいるのを思い出した。正津さんは「山」にまつわる本もたくさん出している。

 山と言えば、山好きの歌人が一人亡くなられた。来嶋靖生さんだ。数回しかお会いしたことはないが、拙著の『香川景樹と近代歌人』の活字本の書評を書いていただいた。そのあと一度だけ和歌文学会で発表した「『桂園一枝講義』」口訳」の手製版冊子をお送りし、返事の葉書をいただいた。来嶋さんは一文字のタイトルの歌集が多かった。私は高所恐怖症なので、登山は活字で読むだけであるが、山を見るのはすきで、それを思うさま絵にかいてみたいと思いながら人生の年月をへてきてしまった。今年はどこかで機会をみて来嶋さんの歌について書いてみたいが、手元に本がないので今日はできない。

 山の絵というと、戦前の世代だと足立源一郎がいるけれども、この人の若い頃の『春陽会画集』に掲載されている女性をかいたモディリアーニ風の絵が、もし現存して居るなら、私はぜひそれを見てみたいと思うものだ。だぶん、まちがいなく空襲で焼けてしまったのだろうが、背景の市松模様の壁の模様は和洋の意匠をみごとに折衷したもので、戦後の林武の女性像などの先蹤をなすものと言ってよいものだろうと思う。

 昨年は、ナカムラクニオという人が『洋画家の美術史』という楽しい本を出して、自分の持っている安価なリトグラフや、もしかしたら贋作かもしれない絵の写真を、「どうなんだろうね」なんて言いながら、堂々と本に掲載して楽しそうに語っているのをみて、我が意を得たり、というか、同好の士がいるものだなあと思ったことである。バブル時代のばか高い美術品相場と比較して、いまは「洋画」が文学全集と同様の運命をたどっているのだけれども、自分の好きなものを見つけたらそれを手に入れられるわけだから、貧乏な美術愛好家にとっては決してわるい時代ではないだろう。ただし、自分の収集品が、手に入れた時と同様に、いずれは二束三文で叩き売られてしまうかもしれないということについても覚悟しておかなければならない。大成してのちの梅原龍三郎が「洋画家」と呼ばれることに抵抗を感ずる、と述べたことがあるが、そうは言いつつ油彩を主として描くのが「洋画」であるということは否めない。

 何日か前に画像を上げた栗原信の絵は、処分品価格で手に入れたもので、いずれ画家の出身の県の施設に寄付しようと考えているものだが、気に入っているので手離せない。一辺が一メートルもある古い大きい絵はきらわれるので安い。このほかに紙が経年で変色しているのを上から売り手が白色を塗ってしまったスケッチなども購入したが、そういうことは本当にやめにしてもらいたいものである。そのむかし梅原龍三郎が「骨はたしかに自分のものだけれども」と語っていたことがあるが、ネットではその手のものがけっこうある。あとは本体の絵は自分の手元に置いておいて、その拙い模写をこころみた油彩も買わされたが、しばらく見ていてたのしくないので、やられたな、と思った。ペインティング・ナイフを用いた描き方と、オーソドックスな写実的な画風は真似しやすいと思われるのだろう。栗原作品にはヨーロッパの景勝地の複製の工芸画がたくさんあって、今では考えられないが、昭和三、四十年代にはそれなりに需要もあったものらしい。私は三点ほど見たが、まだあるかもしれない。

 栗原が描いた戦前の中国大陸の風景画は、軍事郵便葉書で大量に発行されたものが、いまはネットに出ている。それをみると、当時から画風はあまり変わらない。大陸在住の日本人が家財一式残してきたもののなかに栗原の絵も含まれていただろう。いまはネットの時代だから探索可能な気もするが、そもそも栗原の絵はどちらかというと地味だから、値もつかないし、目先のきらびやかなものが幅をきかせている今の時代に、どこがいいのかわからないかもしれないのだが、私はおもしろく感じる。
栗原は井伏鱒二といっしょに雑誌を出していた時期もあり、このブログで前に少しだけ言及した井伏の『徴用中のこと』にも名前が出ている。栗原は初戦の頃のシンガポール攻略戦に武器を持たずに従軍して本まで書いたが、前線取材で弾雨にさらされて危うく死にかけている。同じ従軍画家でも戦後になって田村孝之介や宮本三郎のように脚光を浴びはしなかったが、再評価されてもいい画家である。
 後年のスケッチをみると、ごく一般的な描線を持ちながら、後期印象派的なマチエールへの関心が一貫してあって、特に構図へのこだわりがある。写実的な画風に見せつつ、注意してみると、どの樹木や電柱もしばしば斜めに傾いている。木だけでなく、道や地面、河川の見え方に逆三角形を用いた構図を好んで配するところがあり、栗原の描く河川は多くが湾曲している。そして日本人の画家らしく余白についての独特の感覚がある。当時は「和臭」と言ったらしいが、そこのところでどこまで意識的でいられるかが、当時の「洋画」家の在り方を大きく規定した。それは今でもそうかもしれないのである。
もっと連想の糸を引っ張るつもりだったが、だんだん眠くなってきたので、この辺でやめにする。明日から出勤の方々、よい一年にしましょう。

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