五十代以上のひとで棟方志功の名前を知らない人はいないだろう。けれども、いまの高校生や大学生の多くは、案外知らないのかもしれない。倉敷の大原美術館や東大駒場前の日本民芸館で出会う、という人もいるだろうが、あの強烈な「わだばゴッホになる」というセリフや、版画制作時の熱狂的な姿は、われわれが共有すべき歴史的な記憶のひとつなのではないだろうか。
その棟方伝説の成立を丁寧にたどって書かれたのが、若い頃から棟方に親しんだ小高根二郎の著書である。棟方本人の書いたものや、いくつもの証言に拠りながら、その間をつなぐ著者の文章は、豊穣なひらめきに満ちており、評伝と言うよりは伝奇小説に近い。そもそも棟方の存在自体が、逸話のかたまりのようなものなので、この和製ゴッホの天真爛漫かつ純粋な生涯をたどりながら、文章自体が自ずから歩行のうちに必然的に舞踏を演ずることになっている。そうしてここで主役になっているのは、棟方志功という芸術家だけではなく、近代日本の「美」と「芸術」という神なのである。
その棟方伝説の成立を丁寧にたどって書かれたのが、若い頃から棟方に親しんだ小高根二郎の著書である。棟方本人の書いたものや、いくつもの証言に拠りながら、その間をつなぐ著者の文章は、豊穣なひらめきに満ちており、評伝と言うよりは伝奇小説に近い。そもそも棟方の存在自体が、逸話のかたまりのようなものなので、この和製ゴッホの天真爛漫かつ純粋な生涯をたどりながら、文章自体が自ずから歩行のうちに必然的に舞踏を演ずることになっている。そうしてここで主役になっているのは、棟方志功という芸術家だけではなく、近代日本の「美」と「芸術」という神なのである。
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