さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

香川景樹「桂園一枝講義」口訳 1~16

2017年01月07日 | 桂園一枝講義口訳
「桂園一枝講義」口訳 1~16

・以下に「桂園一枝講義」を訳出する。テキストは『桂園遺稿 下巻』(彌冨濱雄編 明治四十年 五車樓刊)による。香川景樹に関心を持つ方の御批正がいただけたら幸甚である。
・原文はなるたけ原本そのままとしたかったが、データ処理の関係から二字続きの繰り返し記号については、起こして表記した。歌の一字の繰り返し記号(ゝ、ゞ)はそのままである。旧活字は新活字に改めたが、あえてそのまま残したものもある。
・景樹の講義にあたる部分は、その文頭に□をつけて見分けやすくした。訳は、○のあとにつけた。注記は、(*)のあとに付けた。訳文中につけたものもある。
・315番までの算用数字は、便宜のため訳者が付した。そのあとの一からはじまる漢数字は、正宗敦夫(正宗白鳥の弟)校訂の『桂園一枝』(昭和十四年刊)の歌番号と表記、および下注を併記したものである。(40番までは5年ほど前に「万来舎」のホームページに掲載したものを改めた。)正宗兄弟の歌については、http://www.sunagoya.com/tanka/?p=13819の2015.11.10の項を参照してほしい。
・原文は濁点も句読点もないうえ、若干の錯誤もあるため、一部は読み取りに困難をきわめた。そのため訳者の解釈が随所に加えられている。なお掲出歌の表記や内容が通用の『桂園一枝』と異なっているものもあるので注意を要する。なお無断転載はお断りする。
 
春歌
1 御譲位あらんとする年の春家の会始に松迎春新と云ふ事をよめる 
○(訳)御譲位があろうとする年の春、家の歌会始に「松迎春新」という事を詠んだ。

今年よりあらたまるべきこゑすなりおほうちやまのみねの松かぜ
一(正宗敦夫註 以下同じ) 今年よりあらたまるべき聲すなり大内山のみねの松かぜ 文化十四年

□(本文 以下同じ)文化十四年丁丑三月廿二日、光格天皇の今上への御譲位なり。さて其年東塢亭の兼題「松迎春新」と云ふ題を出されたるより、御譲位あらんとする云々。

□家の會始など對してかゝれたるは、いとおほけなき物から、此の集はもはら風流の最上を旨とせられたるより、まづ巻首にかくべつの事の上品の限りを出されたる物ぞ。
歌の意はやがて御譲位あらんずらん御さた△△らせ給ふによりて、今年よりあらたに東宮位に即かせ給ふことの風聞を、大内山のみねの松風になぞらへ奉りて、したにめでたき御世の春を祝したるなり。
「大内山」は、西の仁和寺のほとりの山をいふなれど、こは大やう九重をさして云はれたる也。巻首の歌なる故に、調べ優にして及ぶべきさかひならん事云はんも中々なり。  ※ふ→ぶ 訂正

○(訳 以下同じ)文化十四・一八一七年、丁丑三月二十二日光格天皇の今上(仁孝)天皇への御譲位があり、(そういうことから)その年の東塢亭(*景樹の屋敷の名)の兼題に「松迎春新」という題を出された事から「御譲位あらんとする云々(うんぬん)」(の詞書がある歌を詠んだ)。
自家の歌会始などを(宮中のことに)対して書いてあるのは、とても恐れ多いことだけれども、この集はもっぱら風流の最上を(示すことが)旨とされたために、まず巻首に格別の出来事で上品(じょうぼん)の限り(の歌)をお出しになったものだ。
歌の意は、まもなく御譲位があるだろうという御さた(二字欠字)なさることによそえて、今年よりあらたに東宮が位にお即きになることの風聞を、大内山のみねの松風になぞらえ申し上げて、地下の者にもめでたい御世の春を祝したのである。
大内山は西の仁和寺のほとりの山をいうのであるけれど、これは大体宮中を指して言われたのである。巻首の歌であるために調べが優であって、(歌学びする者が)目標としなくてはならない歌境である事は、(わざわざ)言わなくてもいいぐらいのことだ。

※この部分の「題を出されたる」「旨とせられたる」「上品の限りを出されたる」という敬語表現は、後の筆記者(景恒)の香川景樹翁本人への敬語と考えるべきである。このあたりの事情は編者が本テキストの7番の部分に注記している。なお継子景恒は、この歌の歌会の翌年に出生している。
以下の筆記は、鎌田昌言。(山本嘉将『香川景樹論』一三八ページによる。)

2  春風春水一時來
氷とくいけのあさ風ふくなべに春とやなみのはなも咲くらん
二 氷とく池の朝かぜ吹くなべにはるとや浪の花も咲くらむ 文化八年

□春立つけさしも、池上に吹きわたる朝風の吹くや否や、氷のしたにとられたる浪も、さ△(一字欠字)は今朝しも氷を吹きとく風の吹、やがて浪も春も来たりとてや、浪の花咲出でたりと云ふなり。
○(とりわけ)春立つ(日である)今朝は、池上に吹きわたる朝風が吹くや否や、氷の下に取られていた浪も、さては今朝こそは氷を吹き溶かす風が吹く(のだな)、そのまま浪も春が来たのだと言って、浪の花(も)咲き出たというのである。 

※欠字は「て」だろう。

3 春水澄
しづくにもにごらぬ春になりにけりむすぶにあまる山の井の水
三 雫にも濁らぬ春になりにけり結ぶにあまる山の井の水 文化四年

□水を「むすぶ」は、掬(きく)するなり。手してくむなり。さて氷のとけわたりて山の井の水いやまして、其結ふ雫にも濁らぬ春になりしといふなり。「結ぶ手のしづくに濁る山の井のあかでも人にわかれける(ママ)かな」。
○「水をむすぶ」は、掬(きく)するのである。手でくむのである。さて氷がすっかり溶けて山の井の水がいや増して、(泉が)その手ですくう水の雫にも濁らないような春になったというのである。「結ぶ手のしづくに濁る山の井のあかでも人にわかれける(ぬる)かな」(という古歌のこころである)。

※「むすぶてのしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな」つらゆき「古今和歌集」四〇四。

4 瀧音知春
千早振かみのみやたきおとすみてよしのゝおくも春やしるらん
四 千早振る神の宮瀧音すみてよしのゝ奥も春やしるらむ 享和三年 四、五句目「山吹サケリ瀧ツセ毎ニ」 文政九年

□「宮瀧」は吉野の山おくにありて世に名高きたきなり。法皇よしのゝ宮瀧に御幸ありし時。
○宮瀧は吉野の山奥にあって世に名高い滝川である。寛平の法皇(*宇多天皇、亭子院)が吉野の宮瀧に御幸あった時(このあと刊本『桂園遺稿』では四行空白)


□歌の意は、「神の宮」と云ひ、「おとすみて」と云ふは、春立ちかへり、水上の氷もとけわたり、瀧の音いやましに聞ゆるを云ふなり。「音澄む」とは、春に限るべからねど、のどかなる春に立ちかへり、いやましに音のすみわたらんす△△△△き。さて其瀧の宮(※誤植)あたりの里々もさては春なりと、心のどかにならんずらん、とよまれたるにて、優なる調吟味すべし。
昌泰九年十一月廿一日、寛平法皇宮の瀧御遊覧ありしとき
「拾遺集」春上「年月のゆくへも知らす山かつはたきのおとにや春を知るらん」右近、同じ意なり。
素性御供に侍りて。
「後撰」覉旅「秋山にまどふこゝろを宮たきの瀧のしらあわにけちやはてゝん」
これも△△△△の「水淡」を「しらの」とよみたがへたる写し誤なるべし。

○歌の意は、「神の宮」と言い「おとすみて」と言うのは、春が立ちかえって水上の氷もすっかり溶けて、瀧の音がいや増しに聞こえる様子を言うのである。「音澄む」とは、春に限らなければならないわけではないが、のどかな春に立ち返って、いや増して音が澄み渡ろうとす△△△△(四字欠落)た。それでその宮瀧あたりの里々(の住人)も「さては春になったようだ」と心がのどかになるであろうよ、とお詠みになったので、(この一首の)優美な調べを吟味すべきである。
昌泰九年十一月廿一日、寛平法皇、宮の瀧まで御遊覧なされたとき
「拾遺集」春上「年月のゆくへも知らず山がつはたきのおとにや春を知るらん」右近(の歌)、と同じ作意である。
素性が御供として仕えていて
「後撰和歌集」覉旅の部に「秋山にまどふこゝろを宮たきの瀧のしらあわにけちやはてゝん」
これも△△△△(四字欠字)の水淡(みなわ)を「しらの」と読み違えた写し誤りであろう。

※(「後撰和歌集」一二三七)に「法皇吉野の滝を御覧じける」として「宮の滝むべも名におひて聞こえけり落つるしらあわの玉とひびけば」がある。景樹は「瀧の白淡」(2017.11.12訂正)を「み淡」の誤写と考えたのではないか。△△△△は、それを後に誤りと見て消したあとであろう。たしかに「たきのしらあわ」は練れない表現であり、「△△△△(四字欠字)の水淡」の「水淡」は、「水沫(みなわ)」と同じ意味である。後代の正徹の歌に「水上にいさ白淡をよるべとてつたへどふともながれとほくは」と、「しらあわ」を「白淡」と書いた例がある。  ※ 2017.11.1訂正
 そうして、△△△△には、「しらあわ」という語が書かれていたのではないか。「しらあわ」を歌語として用いたのは、頓阿や正徹ら中世の歌人であり、寛平法皇以前にこの用例が見られないとすれば、景樹の言っていることは当たっている可能性が高い。「しらの」とよみたがへたる」は、寛平法皇の歌の四句め、「落つるしらあわの」を指しているとみるべきだろう。法皇の歌として人口に膾炙しているものを訂正できないと考えた後人の訂正がここに加わっているとみるべきではないか。あるいは編者が皇室をはばかったか。刊本『桂園遺稿』の四行空白もここに法皇の歌についての意見が述べられていた可能性が高い。七首目のあとの注記は、これに多少関連しているだろう。
 景樹の説を解説すると、たとえば『くずし字解読辞典』(東京堂出版)などを参照すると、仮名「み」の草書は、「羊」の部分が「白」の草書と酷似している。また「大」は仮名「ら」の草書に酷似している。「美」の草書を「しら」と二文字に誤読する可能性はある。岩波の新古典大系本を見てもテキストは「しらあわの」になっているが、この説は注記に値するものだろう。「たきのみなわ」の用例は何十例もある。これを「みなわの」と書き換えると、「宮の滝むべも名におひて聞こえけり落つるみなわの玉とひびけば」、「秋山にまどふこゝろを宮たきの瀧のみなわにけちやはてゝん」となって四句めの字余りは解消され、歌も不自然な感じがなくなって調べがよくなる。景樹の研究者としての目の優秀さを思わせられる。        17.8.15 1-4を修正した。

5 早蕨   
春日野のわかむらさきのはつわらびたがゆかりよりもえいでにけん       
六六 かすが野の若紫の初わらびたがゆかりよりもえ出でにけむ 文政七年
□「春日野」奈良の昔なりし時は、をとめらいづくはあれど、此「春日野」に出て、皆わかなつみたりし舊都をしのびて、此ふるさとの春日野の色よき若紫・はつわらびは、むかしつみはやしつる、そのたがゆかりよりか、もえ出すらん、と云ふ意なり。
○「春日野」、奈良の昔だった頃は、少女らがどこに住んでいようと、この春日野に出て、みんなして若菜を摘んだ旧都を偲んで、このふるさとの春日野の色よい若紫の初蕨は、その昔に摘んでほめそやした、その誰のゆかりから萌え出たのだろうか、という歌意である。
※文の切れ目がわかりにくいが、一応このようにとってみた。

6 春月     
春のよをおほろ月夜といふことはかすみのたてる名にこそありけれ
六八 はるの夜をおぼろ月(づく)よといふことは霞のたてる名に社(こそ)有(あり)けれ 
□世の中に「はるの夜をおぼろづき夜」、「おぼろづき夜」と云ひならはすは、此のかすみといふものゝ立てる名なりけり、と云ひ、「春夜の朧月」と云ふは、畢竟「霞のたてる」うき名なりけり、とやうのこゝろなり。
○世の中に「春の夜を朧月夜」、「朧月夜」と言い慣わすのは、この霞というものが立てる評判であったよと言い、「春夜の朧月」というのは結局霞が立てるうわさなのであったよ、というような心である。

7 ある年の春子の日にもまからでこもりをり
雪(※「雲」とあるが誤植)ふかき北白川の小まつばら誰がひくそでにはるをしるらん
一四 雪深き北白川のこまつ原たがひく袖に春を知るらむ 文化十二年 四句目 ワガひく 五句目 春ヤ

□春も猶雪のふかき「白川の小松原」。ことしはうきことありて、引こもらひ居り、さぞ引人のあらんを、ことしは「たが引く袖に春を知る」ならん、といふなり。
○詞書「ある年の春の子の日にも参らないで引き籠っていた」。春もなお雪の深い白川の小松原。この年は憂き出来事があって、引こもっていた、さぞ(子の日の小松を)引く人が(大勢出て)いただろうに、今年は「誰が引く袖に春を知る」ということになるのであろうよ、というのである。

*初句から二句めにかけてのカ行音と北白川という地名の響きが心地よい歌。また、微妙に旧来の歌枕的な名所とは、少しずれた北白川という地名の呼び込み方もなかなかのもの。
*このあと『桂園遺稿 下巻』には、四字下げて以下の編者による断り書きがある。 ※

◇浜雄云、以上はおのが所蔵、翁が自筆校正の「詠草奥書留」中に綴込みたる反故を写し清めてこゝに補ひたるもの也、原文字は景恒ぬしの筆にて、しかも敬語をさへ用ゐて書ければぬしが講じたるものなるべし。
○浜雄が付記する。いわく、以上は私が所蔵している、翁の自筆校正の「詠草奥書留」中に綴込んであった反故を写し清めてここに補ったものである。原文字は(子息の)景恒ぬしの筆で、しかも敬語をさえ用いて書いているので(景恒)ぬしが(その門人に景樹の歌を)講じたものであろう。
  17.8.15 7を修正した。

8  柳
うちはへし柳の糸はすがの根のながきはる日にあはせてぞよる
五八 うちはへし柳の糸はすがのねのながき春日にあはせてぞよる

1□「柳の糸」、古くより見立てたり。和漢ともに人心同じ。「萬葉」にもあるなり。されども、ただ「糸」の縁なくて「靑柳の糸」とばかりは詮無き。「旅」といへば「旅衣」といふの類あし。「打はへし」「糸」によつて云ひ出だすなり。「はへ」(*下線部原文は傍線。以下同様の表記とする)は横にするなり。釣の糸を「はへる」とは、はへ縄と云うて、水上に延(ルビはへ)るなり。さて柳の糸は縦なれども風になびくより、「はへて」と使ふなり。垂るといふが當然なれども、それは其景色によるなり。「打」はかろく添へるなり。重くなるといふ説に一概すべからず。「打きく」、「打みる」など云へるなり。「打」と云詞、強きやうなる詞なれども、かへつて下の詞が優しく軽くなるなり。「菅の根」、長きもの、別して「春日」につかひ慣らしたる詞なり。
2□春の日の「長き」と柳の糸の「長き」とが、身幅よく合ふによつて「合はせて」と云ふ。春と糸となり。「よる」は即ち縁なり。春と糸とよき合せもの也。「てる月にまさきのかつらよりかけて」(※)などあるなり。此歌吟じて知るべし。「春日」云ひ馴しなり。夏日、秋日、冬日の三は、云ふべからず。調のよきは耳に入りやすく心に通りやすし。通りやすきは感じやすし。感ずれば天地一なり。此(※「見」脱字)分が歌をしるなり。
3□「〈道之不行也、我知之矣。〉知者過之、愚者不及天下」の大道は「中庸」にあり。調べも中庸の所が第一なり。即ち調べの整ふ事なり。さて古の例によるといふことは偏固なり。春日など古人が云うてもよければよきなり。あしければあしきなり。それをかみわけねば手に入つたではなきなり。例によりて云へばかへつて調を失ふことあるなり。食すれどもよく味を知るものなしと云ふ類なり。何分耳にさはらず。調味のよきを知るべし。
1○「柳の糸」は、古くからそう見立てている。和漢ともに人が心(に思うことは)同じだ。「萬葉集」にもある。けれどもただ糸の縁(が)なくて「青柳の糸」という語だけ(を使うこと)は甲斐がない。旅と言えば「旅衣」というような類(の歌語の斡旋は)よくない。「打はへし糸」(の縁)によって(柳の糸と)言い出すのである。「はへ」は横にするのである。釣の糸を「はへる」とは「はへ縄」といって水上に「延(ルビはへ)る」のである。さて柳の糸は縦であるけれども風になびくのにより「はへて」と使うのである。「垂る」と言うのが当然であるけれども、それはその(風になびく)景色によるのである。「打(つ)」は、軽く添えるのである。重くなるという説に一概にするべきではない。「打きく」「打みる」などと言っているのである。「打」という詞は、強くみえる詞であるけれども、かえって下の詞が優しく軽くなるのである。菅の根は長いもの、別して「春日」に(とり合わせて)使い慣らした詞である。
2○春の日の長いのと柳の糸の長いのとが身幅よく合うので「合はせて(ぞよる)」と言う。春(張る)と糸とである。よる(撚る)は即ち縁(語)だ。春と糸と(は)よき合せものだ。(だから古歌に)「てる月にまさきのかつらよりかけて」など(と)あるのである。この歌(は)吟じて知るとよい。「春日」(は)言い馴れている。夏日、秋日、冬日の三つは言うものではない。調がいいものは耳に入りやすく心に通りやすい。通りやすいのは感じやすい。感(応)すれば天地は一つである。この(※見)分けが歌を知る(ということ)である。
3○「〈道之不行也、我知之矣(論語)〉知者過之、愚者不及天下」(「中庸」)「(孔子は言った)私は道の行われないわけを知っている、と。智者はその智が高遠に過ぎて、道を行う必要がないと思い、愚者は智が及ばず、道を行う方法を知らない」の大道は中庸にある。調べも中庸の所が第一である。つまりは調べが整うという事である。さて古例によるということは偏固(に陥りやすいということ)である。「春日」などと古人が言っても良ければ良い、悪ければ悪いのである。それをかみ分けなければ手(の内に)入った技量はないのである。古例に準拠して言うと却って調べを失うということがある。食べても味のわかる者がいないというのと同じである。何分にも耳に障らないような、調べのほどよい味わいを知るべきである。

*「春と糸となりよるは即ち縁なり」というのは、聞き書きだからこういう表記になる。例歌は、河原左大臣(源融)の「後撰和歌集」一〇八一、及び「古今和歌六帖」二三八五、所収歌「照月をまさきの綱に撚かけて飽ず別るる人を繋がむ」の記憶ちがい。
17.8.16 8を修正した末尾の一文の訳を変えた。


9 柳露
靑柳のいとふき亂す春風の絶間をつゆはむすぶなりけり
五九 靑柳の糸吹(ふき)みだすはるかぜのたえまを露は結ぶなりけり

□「絶間をむすぶ」、結ぶは、糸の常状なり。それを見立ていふ。青柳の糸の揃うてをるを、春風がふきみだす。しかるに其吹絶たる間があるなり。風のきれめを露が結ぶといふが趣向なり。 
○「絶間を結ぶ」、結ぶは、糸の常状である。それを見立てて言った。青柳の糸が揃っているのを春風が吹き乱す。けれどもその吹き絶えた間があるのである。風の切れ目を露が結ぶというのが趣向である。 


10
打なびくやなぎの糸のながければむすびあまりてつゆやおつらん
六〇 うちなびく柳の糸のながければむすびあまりて露や落(おつ)らむ 文政八年 三句目「ながキニモ」を訂す。

□「靡く」、横になるなり。「打延」とはすこし異なり、詞のよき方につくべし。たよたよとする糸が、あまり長き故露が結ばん々々とすれど、ねから結はれぬなり。結んだる端がよけいに余る故、結んでも結んでも、またまた端があるなり。よう結ばずしてとうとう落ちたとなり。不調法者に長紐の文匣を結はすが如し。遂には得結はぬなり。上からつるつるとおく露が先まで行かずして落つるなり。露ならばおきあまりたるなり。それを「結ぶ」といふが露の本体なり。むすぶと云ふは元来物なき処へ物の出たる事なり。「むすひ」とも云ふなり。もとは「むす」といふ事なり。苔の「むす」など是なり。〈貌〉を云ふ故に「び」となるなり。
○「靡く」は横になるのだ。「打延」とはすこし異なり、詞の良い方に付ける。たよたよとする糸が、あまり長いために露が結ぼう結ぼうとするけれども、根から結われないのである。結んだ端が余計に余るため結んでも結んでも、まだまだ端があるのだ。うまく結えなくてとうとう落ちたというのである。不調法者に長紐の文匣を結わせるようなものだ。さいごまで結ぶことができない。上からつるつると置くが先まで行かないで落ちるのである。露ならば「置き余りたる」だ。それを「結ぶ」と言うのが露の本体である。「結ぶ」と言うのは元来物のない処へ物が出てきた事である。「むすひ」とも言うのである。もとは「むす」という事だ。「苔のむす」などが是だ。〈貌〉(かたち)を言うために「び」となるのである。
□さて露のおきたるを「結ぶ」と云ふ。糸に又「結ぶ」縁ある故「むすぶ」事を合してくるなり。さて糸の方で云へば、糸が長ければなり。露で云ふと、あまり露が多い故に落ちくるなり。それを「柳の糸の長ければ」と云ふものを持て出て、邪魔をするなり。これが歌なり。
池田より一枝の評出でたる中に出たり。
○さて露が置いたのを「結(むす)ぶ」と言う。糸に又「結ぶ」は縁があるために「むすぶ」事を合わせて来るのである。さて糸の方から言うと糸が長いからだ。露(の方から)言うとあまり露が多いために落ちて来るのだ。それを「柳の糸の長ければ」と言うものを持って出て邪魔をする。これが歌というものだ。
池田から「桂園一枝」の評が出た中に出ている。

11 夕柳
けふもまたなびきなびきて永き日のゆふべにかゝる青柳のいと
六一 けふもまた靡きなびきてながき日の夕にかゝる青柳のいと 文化十一年
□「けふもまた」数日連日の事に聞ゆるなり。かゝる糸の縁を以て、暮に向はするを云ふなり。
○「今日もまた」というのは、数日、連日の事に聞こえるのである。このような糸の縁(ゆか)りによって暮に向かわせることを言うのである。

12 故郷柳
かへりきてとけどもとけずなりにけり結びおきつる青やぎの糸
六二 かへりきてとけども解ず成にけり結び置つる青柳の糸 文化十四年

□唐流より出たる歌なり。人と別るゝ時、柳の糸を綰ぬるなり。「わかれは道遠きのみかは」などと、それを祝直さんために柳をむすぶなり。又再逢はん為めに結ぶのじやと云ふ祝なり。有馬王子の結松の事あり。それと同意なり。柳は新京朱雀のしだり小柳など云ひたり。大に柳を植ゑたる事なり。大道には柳を植ゑるなり。とけどもとけず、柳肉付になりてしまうたるなり。旅に年経たる姿見ゆるなり。此柳例もなく新しきなり。さて「故郷」の事で秋山の難あり。故郷はもとのさとなり。故入道中納言など云ふ事あり。「故」は「新」に対して云ふなり。ふるものと云ふ事なり。「故」といへば再返らぬの名なり。それ故に故郷といへば志賀の都其外、昔の都をいふが第一なり。それを旅で云ふのは當たらぬといふ。これなど秋山に限らぬなり。本居なども云うたり。詩には旅に出て居る家を「故郷」といふこと、めづらしからぬなり。日本では故郷と云ふなり。しかるに題詠では旅ではすまぬとなり。題詠にはないと秋山がいうた故に、無據あるというて故郷の事を云出したり。「後度百首」に「故郷」と二字の題あるなり。秋山はあるまいと思ひたるなり。然るにあるなり。例をいふ故、例があると云はねばならぬなり。
○中国の風俗から発想された歌だ。人と別れる時に柳の糸を綰(わが)ねる(※ため曲げて輪にする)のである。
「わかれは道遠きのみかは」(※)などと、それを祝い直すために柳を結ぶ。又再び逢う為めに結ぶのじゃという予祝(の儀礼)だ。有馬皇子の結び松の事例がある。それと同じ意。柳は新京(平安京)朱雀(大通り)の枝垂れ小柳などといった。大いに柳を植えた。大道には柳を植えたのである。解いても解けずに柳の枝は肉付き(くっついてこぶのよう)になってしまったのである。旅をしているとその年月を経た姿を目にすることがある。この柳は作例もなく新しいのである。さて故郷の事で秋山の論難※があった。故郷はもとの里をさす。故入道中納言などという前例がある。「故」とは「新」に対していうのである。「ふるもの」という事だ。「故」といえば再び返らないというものの呼び名である。だから「故郷」といえば志賀の都や、その外昔の都のことをいうのが第一である。それを旅でいうのは当たらないという。これなど秋山に限らないのである。本居(宣長)なども言っている。(だが)漢詩には旅に出て居る家を「故郷」ということはめずらしいことではない。日本では(もとのさとという意味で)「故郷」というのである。それなのに題詠では旅ではすまぬなどという。「題詠にはない」と秋山が言ったので、(私は)よんどころなく「ある」といって故郷の事を言い出したのだ。「後度百首」に「故郷」と二字の題がある。秋山はあるまいと思ったのだ。けれどもある。(わざわざ)先例をいうのだから、例があるといわなければならない。
※秋山は、秋山光彪著『桂園一枝評』天保元年のこと。
※「別はみちのとほきのみかは」。『千載集』所収。詞書「堀河院御時、百首歌たてまつりける時、わかれの心をよみ侍りける」歌「行すゑをまつへき身こそおいにけれ別はみちのとほきのみかは」前中納言匡房。
 
13 水郷柳
三島江の玉江のさとの川やなぎいろこそまされのぼりくだりに
六三 みしま江のたまえの里の河柳色こそまされのぼりくだりに
□思ひ切つたるよみ方なり。まんざら聞えぬではなき故出したり。「三島江の玉江の里」、「万葉」によめり。淀川のほとりなり。舟も何も云はねども、道理が聞えたらばよきなり。文句の上に筋を云ふ事ではなきなり。理とは文句の上ではなきなり。一首が聞えたらば理はあるなり。味ふべし。
○思い切ったよみ方である。まんざら評判にならないではなかったので(ここに)出した。「三島江の玉江の里」は、「万葉」に詠まれている。淀川のほとりである。舟も何も言わないけれども、道理がわかるならばそれでいいのである。(歌の)文句の上に筋を言う事ではない。理とは歌句の上に(もとめるものでは)ないものだ。一首が(自然に)耳に入るなら理はあるのだ。(それを)味わえばよい。

※これは流麗な調べと鮮やかな色彩をもって一つの美的な世界を構築しており、しかも平易である。景樹が判をした「六十四番歌結」に久景作「三しま江の玉江のあしを吹くかぜにみだるるたづの声のさやけさ」がある。こちらもなかなかの作。また、講義の言葉は、現代でもありがちな風潮を批判したものだ。

14 遠村柳
山もとにたてるけぶりも青やぎのなびくかたにとなびく春かな
六四 山もとにたてる煙も青柳のなびくかたにと靡く春かな

□「山本」に村といふこと、あまりよからぬ詞故に、とかく「里」といふ方よきなり。今「山本の里」といふは通例なり。今山本とばかり云うても、「里」に聞馴れたるなり。中昔の例をいへば、多く云へり。いはんやここに烟をいへば、いよいよ「里」なり。「村」あるなり。聞えぬと云うても聞えたらば歌なり。「参宮」といへば伊勢を云はずとも伊勢参宮なり。
「烟」と「柳」とくみたるものなり。「柳如烟」と云ふ題もあるなり。此歌は、烟が柳のまねをするなり。これが歌なり。柳が烟のまねをすると云うては、歌はなきなり。春景の柳には誰も心ひかるゝなり。春色の妙なり。柳も烟の如き無心ものなり。
○「山本に村」ということは、あまり(続きが)よくない詞なので、ともすれば「里」という方がよいのである。現在「山本」の「里」というのは通例だ。現在は「山本」(山のふもと)とばかり言っても「里」で聞き馴れている。中昔の例をいうと、多く言っている。ましてここに烟(ということ)を言ったら、いよいよ里ということになる。村があるのである。(連想がつながるわけが)わからないと言っても、通じるのなら歌だ。参宮といえば伊勢を言わなくとも伊勢参宮のことである(のと同じだ)。
烟と柳とは組んだものである。「柳如烟」という題もある。この歌は烟が柳の真似をするのである。これが歌というものだ。柳が烟の真似をすると言ったら歌にならないのである。春景の柳には誰もが心ひかれる。春色の妙だ。柳も烟のように無心のものである。

※南画風ののどかな情景を演出するのに、細かい機知を浸透させている歌だ。

15 春草短
道のべの(※)こまのふみしくからなづな下にや春をもえわたるらん
六五 道の辺に駒のふみしくからなづなしたにや春を萌(もえ)わたるらむ 文化二年

□「なづな」、薺なり。「から」といふは、昔はよく分りたる事とみゆるなり。〈つけ語〉と思ふべし。「から衣」、から萩、から猫など云ふなり。説多あれども、こゝには略す。まづ「なづな」とみるべし。「なづな」、元日の朝是非ともに白花をさくなり。元日に花ある故に二月頃に實もあるなり。至て若菜の早きものなり。さて此薺の形は上から踏付けたやうなものなり。それ故に「駒のふみしく」ときれいに詞づかひをして云出たしたるなり。春ぢやと「萌えわたる」なり。芽を「萌わたるらん」となり。「春ともえわたるらん」と云へば道理がかなふなり。調がなきなり。かつ又意味もちがふなり。春の氣につれて萌わたるなり。
○「なづな」は薺である。「から」と言うのは昔はよく分っていた事とみえる。「付け語」(接頭語)と思うとよいだろう。から衣、から萩、から猫などと言うのである。説は多くあるけれどもここには略す。まず薺とみるとよい。薺は、元日の朝かならず白花を咲かせる。元日に花があるから二月頃に實も付く。きわめて若菜の早いものだ。さてこの薺の形は、上から踏付けたようなものだ。だから「駒のふみしく」ときれいに詞づかいをして言い出したのである。春ぢゃと萌えわたるのだ。芽が「萌えわたるらん」ということだ。「春ともえわたるらん」と言えば道理がかなう。(でも)調べがない。かつ又意味も違ってくる。春の氣につれて萌えわたるのである。
※初句、『桂園一枝』では「道の辺に」であるが、ここでは「道の辺の」となっている。
※「からなつな下にや春をもえわたるらん」は擬人法で、薺の花を擬人化してその心に春の気配がわきたっているということだろう。これは景樹の説く「調べ」ということがよくわかる例である。「調べ」には、詩性とか、詩語の働き方の妙味といったニュアンスが伴っており、語の続きのなだらかさだけを意味するものではない。「春を」と「春と」の微差を説く景樹の見識は冴え渡っていると言うべきだろう。

16  早蕨
かすか野のわかむらさきの初わらびたがゆかりよりもえ出にけん
※5と同じ歌である。

□「わらび」ほなかの如きものなり。芽出しには食用すべきなり。其間を「さわらび」と云ふ也。早(ルビ、さ)は、やわらかきに云ふなり。「わさ」など云ふなり。「さわらび」は「わさわらび」の略と云ふ事のよしなり。又「さゆり」の「さ」とはちがふべし。春興にもてはやす故に一の題となるなり。
「紫塵漱(※別字で代用。どん、おんなへん)蕨」、「朗詠」にあり。帽子のもやもやとしたるものをかぶる故に、塵と見立てたり。さて春日野の若紫、「伊勢物語」にあり。「古今」にもあるなり。春日野に紫といふ草あれば、其紫がはへる春日野故に「春日野の若紫」と云ふなり。今は紫はあまり人が知ぬ也。御当代の初より七十年程前までは、七條の野あたりには紫を多く作りし事あるやうに考へ、課せたることもあるなり。
紫草の根を打砕きて染めるが紫色なり。色は第一の妙なるなり。草には妙なきなり。初わらびにとりきたるは、蕨の色にかりて来たるなり。手ぎれいに云はんとて借るなり。
○わらびは、ほなかのようなものだ。芽の出る頃には食用することができるものである。其の(食べられる)間を「さわらび」と言う。「早(ルビ、さ)」はやわらかい時に言うのだ。「わさ」などと言う。「さわらび」は「わさ・わらび」の略と言うことが由来である。又「さゆり」の「さ」とは違うだろう。春の興(をそそるものとして)もてはやすから一つの題となるのである。
「紫塵漱(※別字で代用。どん、おんなへん)蕨」という句が「和漢朗詠集」にある。帽子のもやもやとしたものをかぶるためにこれを塵と見立てたものだ。さて春日野の若紫は、「伊勢物語」にあり、「古今」にもある。春日野に紫という草があるので其の紫が生える春日野だから「春日野の若紫」と言うのである。今は「紫」はあまり人が知らない。御当代(御当代は徳川氏の世)の初め(頃)から七十年程前までは、七條の野あたりには、紫(草)を多く作った事があるように考えて、課せた(※歌会の題として課した、の意か。)こともあるのである。紫草の根を打砕いて染めるのが紫色である。(この)色は第一の妙なるものである。草そのものにはすぐれたところはない。初蕨に取ってきたのは、蕨の色(の形容)にかりて来たのだ。手ぎれいに言おうと思って借りたのである。
□紫色を「ゆかりの色」といふなり。何故ぞと云ふこと、しかとせねどもうつりやすき色なり。ぢきにひつゝき合ふなり。それ故「ゆかり」と云ふか。
「たがゆかり」を便にして、何々を縁にしてきたか、「ゆかり」がありてぞ、と云也。「いせ物語」に「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限知られず」と也。しのんで居られぬ、なつかしいと也。紫をもつて狩衣一ぱいに忍草を摺るなり。今いふ小紋形の如し。しのぶずりは、よぢれかける糸なり。もぢれるが、しのぶずり、もぢれる紋なり。両方に引かけ合ふ故に、もぢれ合ふなり。
「たがゆかりより」、「古のしのぶもぢずり」と云ふうた人の縁からはへたるかなどと云意を帯びて見るべし。
○紫色をゆかりの色と言う。なぜそのように言う(のかという)ことは、はっきりしないけれども、うつりやすい(変色しやすい)色である。直にひっつき合う。そのために「ゆかり」と言うか。
「たがゆかり」(という言葉)をつてにして「何々を縁にしてきたがゆかりかありてぞ」(何々を縁にして来た。誰のゆかりがあってか)と言うのである。『伊勢物語』に「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限知られず」とある。「しのんで居られない、なつかしい」というのである。紫で狩衣一杯に忍草を摺るのである。今で言う小紋型のようなものだ。しのぶずりは、よじれかける糸だ。もじってあるのが、しのぶずりをもじった紋である。両方に引かけ合うためにもじれ合うのである。
(掲出歌の四句めの)「たがゆかり」から古の「しのぶもぢずり」と言った歌人の縁から(草が)生えたのか、などという意味を帯びて(いると)見るとよいだろう。 ※8.26訳を少し直した。


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