241
門さして人にはなしと答へけりいかゞはすべきうぐひすのこゑ
四五四 門さして人にはなしとこたへけりいかゞはすべきうぐひすのこゑ 文化十二年
□往年病気づきたる時、人はくる外になすべきこともあり。かたがた門人残らずことわりきりたり。さて外人のこぬために別屋をかりてすみたり。其時に門人両人つきたり。一人は伊丹の人。
「老らくのこんと知りせば門さしてなしと答へてあはざらましを」。「古今」。
○往年(自分が)病気づいた時、人は来るし外にしなければならないこともある。かたがたもって(それやこれやの理由で)門人を残らず断りきってしまった。さて外人(よそびと)が来ないようにするために別屋を借りて住んだ。その時に門人が二人付いた。一人は伊丹の人。
「老らくのこんと知りせば門さしてなしと答へてあはざらましを」。「古今」(にこういう歌がある)。
※「古今和歌集」八九五。
242
うぐひすのこづたふ枝は見えねどもこゑぞ聞ゆる夜はあけぬらし
四五五 鶯の木づたふ枝は見えねども聲ぞ聞ゆる夜はあけぬらし 文化三年
□此れも岡崎にこもりたる時分の歌なり。庭に梅もあり。又岡崎は山ぎはなり。
○これも岡崎にこもった時分の歌だ。庭に梅もある。又岡崎は山際である。
243
ひるよりは大方くもる此のごろの朝毎になくうぐひすのこゑ
四五六 昼よりは大かたくもるこのごろの朝ごとになくうぐひすの聲
□初春より二月初迄の景色なり。朝より己(※巳の誤植)の刻比(頃)までは天気なり。午後くもるなり。「土佐日記」に「日てりて曇れり」と書けり。よく書きたるもの也。日てりて、と云ふは、きびしきなり。みじかき故にくもれりと出づ。語勢に早く己刻よりくもれる語勢なり。ことわりの外なり。詞のはづみによりてはかるなり。
○初春より二月初迄の景色である。朝あけてから己(※巳の誤植)の刻比(頃)までは天気である。午後曇った。「土佐日記」に「日てりて、曇れり」と書いてある。よく書いたものだ。「日てりて」と言うのは、(一首におさめるのに)きびしいのだ。短いから「くもれり」と(言葉が)出る。語勢に、早くも己刻(十時頃)から曇ってしまったという語勢である。通常はないことなのである。詞の弾みによって(それをそう)推し測るのである。
※地味な歌だが、前の歌とともに佳吟。ここの文章論、近代の一流の批評家のような言葉である。『土佐日記』のなかなか舟が出航しないくだりに「二十三日、日照りて曇りぬ。」とある。
244
静なる月にとむかふあけぼのゝこころもしらぬもゝ千鳥かな
四五七 しづかなる月にとむかふ明(あけ)ぼのゝ心もしらぬもゝちどりかな 文政九年
□春夜の曙はよろしきことの最上なり。春曙は古へよりよろしき限と定めることなり。心あらん人に見せば(へ)や、と云ふ程の事なり。梅月堂にこもりて詠みたる夜なり。近世、涌蓮が「明日もまた朝とく起きてつとめばや窓にうれしき有明の月」となり。
百千鳥のやかましき、即ちおもしろき部類に入れるなり。したうれしきなり。俗諺に「かやうの御馳走ではいなね、ならぬ」と云ふ類なり。
○春夜の曙は、似合わしいことの最上のものである。春の曙は、昔から素晴らしいものの限りと定まったことだ。「心あらん人に見せばや」、という程の事である。梅月堂にこもって詠んだ夜である。近世、涌蓮が「明日もまた朝とく起きてつとめばや窓にうれしき有明の月」と歌ったそうだ。
「百千鳥」のやかましき(ことも)、すなわち興あることの部類に入れるのである。心うれしいのである。俗諺に「かやうの御馳走ではいなね、ならぬ」と(わざとだだをこねて)言う類(の非難)である。
※涌蓮(ようれん)、江戸中期の真宗高田派の僧。冷泉為村の弟子。
此間十首欠席
245
をとめごがこがひの宮にちる花は眉をいでたる蝶かとぞみる
四六八 をとめ子がこがひの宮にちるはなはまゆを出(いで)たる蝶かとぞ見る 文化十二年
□こがひの宮の実景なり。もとたゝすなり。このしまのもりである。此の森へ入れば花ありとも見えぬところなれども、花がちるなり。さては花があるさうな、といつも云ふところなり。此の歌は実景と縁語とを兼備したる歌なり。歌によりて縁語ばかりよむもあるなり。
○蚕飼の宮の実景である。もと(は)糺の森である。この(川にはさまれた)島の森である。この森へ入ると花があるとも見えない所だけれども、花が散っているのである。さては花があるそうな、といつも言う場所だ。この歌は実景と縁語とを兼備した歌だ。歌によっては、縁語ばかり詠むものもあるのだ。
246
野の宮の樫の下みちけふくればふる葉とともにちるさくらかな
四六九 野の宮の樫の下道けふくれば古葉とゝもにちるさくらかな 文化十二年
□此れ野の宮の実景なり。宮の前はかし原なり。かしの葉は冬散らずして春にならねば散らぬなり。二、三月が散る盛なり。どんぐり、小ならしばの類皆春ちるなり。
○これは野の宮の実景である。宮の前は、樫原である。樫の葉は、冬に散らず春にならないと散らないのである。二、三月が散る盛である。どんぐり、こなら 、ならしばの類は皆春散るのだ。
※嵯峨野にある野宮神社。「こならしば」は二つの語を一緒に言ったものか。
247
只たのめ横川のおくにさく花も散りて後こそ浮びいづなれ
只たのめ横川のおくにさく花も散りて後こそ浮びいづなれ
□ひえの奥なる横川なり。仏場故にての歌なり。一節(※筋の誤植)に仏法はたのむがよいとなり。横川に桜がありやなしや知らねども散て出て見れば浮ぶなり。一筋にたのめば悪趣に堕落はせぬなりと云ふ歌なり。
空也の歌に「山川の末に流るゝとちがらもみをすててこそうかぶ瀬はあれ」。さる人の発句に、「身をすてゝ又身をすくふ貝杓子」。此は空也によるなり。
○ひえの奥にある横川である。(横川は)仏場であるから(そのことに)よっての歌である。一筋に仏法はたのむがよいというのである。横川に桜があるかないか知らないれども、散って(娑婆苦の世界を)出て見れば浮ぶ(すくわれる)のである。一筋にたのめば悪趣に堕落はしないのだという歌である。
空也の歌に「山川の末に流るる橡殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬はあれ」。ある人の発句に「身をすてゝ又身をすくふ貝杓子」(というのがあるが)、これは空也(の歌)に拠っているのである。
248
世の中はかくぞかなしき山ざくら散りしかげにはよる人もなし
四七一 世中はかくぞ悲しき山ざくらちりしかげにはよる人もなし 文化六年
□清水の歌なり。残花になりたるよし、故にひとり走りてゆきて見たるなり。花ある所は少く青葉多くなりたる頃なり。
「かくぞかなしき」、要の句なり。此句など骨折の句なり。
○清水での歌である。残花になったということで、一人いそいで行って見たのだ。花のある所は少く、青葉が多くなった頃だ。
「かくぞかなしき」が、要の句である。この句などは骨折った句だ。
249
ゑひふしてわれとも知らぬ手枕にゆめのこてふとちるさくらかな
四七二 ゑひふしてわれともしらぬ手枕(たまくら)に夢のこてふとちる桜かな 文政八年
□丹波亀山の三楽と云ふ人などゝ丸山に会に行きて、帰途青楼に登りたり。夜明けたり。晴天朗日なり。帰途南禅寺の丹後屋の前をとほりしに、桜散りて妙なり。幸に店上に休んで一杯また飲みたり。朋友なし。一人前夜のくたぶれと独杯とで、ゑひふしてねたり。さめて見たるに、花は皆散りたり。杯盤の上に散りうづみたり。おもしろき景色なり。
「われとも知らぬ」、荘周や我、我や荘周の所にかけて、「われとも知らぬ」の句心をつけたるなり。此れを詠みたる二三日後、相国寺にて「碧巌録」の講釈あり。誠拙の講義なり。それへ出たるなり。然るに和尚、此のうたを早く聞きて居て、賞美の余り趣意聞かれたり。然るに一等上の所をとけよと云はれたり。反てよみ人は知らぬは、和尚は其上を知ると云はれたり。大に問答ありしことなり。
○丹波亀山の三楽という人などと丸山に会いに行って、帰途青楼に登った。夜が明けた。晴天朗日であった。その帰途南禅寺の丹後屋の前を通ったが、桜が散って至妙だった。幸いに店上に休んで一杯また飲んだ。朋友はいなかった。一人前夜のくたびれと独杯とで、酔い伏して寝た。覚めて見たところ、花は皆散っていた。杯盤の上を散りうづめていた。おもしろい景色だった。
「われとも知らぬ」は、荘周や我、我や荘周の所にかけて、「われとも知らぬ」の句心をつけたのだ。これを詠んだ二三日後、相国寺で「碧巌録」の講釈があった。誠拙の講義だった。それへ出席した。そうしたら和尚は、この歌を早くも聞き知っていて、賞美のあまり趣意を聞かれた。それだけでなく、(歌の意味の)一等上の所を解いてみせよと言われた。かえって詠んだ人は知らないではないか、(この)和尚はその上(のところ・境地)がわかるぞと言われた。大いに問答があったことであった。
※景樹が佳吟をなせば、それがあっと言う間に門人の間に伝聞で広まる様子がわかる。
250
家にありてみるだにあるをなつかしき妹がたうげの山ぶきの花
四七三 家にありて見るだにあるをなつかしき妹が峠(たうげ)の山吹のはな
□丹波但馬の境かと思ひたり。妹が峠あるなり。よほど打越えて高きなり。城崎入湯の節やすみたり。旅ならずして見るだになつかしき山吹なるを、旅にしてみると云ふなり。妹が峠を幸によむなり。
「万葉」に山吹を妹に似する花と云へり。山吹は妹にみたつる也。「たうげ」、歌にしよめば、「たうげ」とはよまず。「たむけ」と云ふべし、と云ふべけれども、それは理の当然にして、こゝらは「妹がたうげ」と云はねば実景の興がぬけるなり。「たうげ」は峯とはちがうなり。高ねともちがふなり。打越国境などの所に云ふべし。
○丹波但馬の境かと思った。妹が峠がある。(そこは)よほど打越えて高い場所である。城崎入湯の節に休んだ(ことがある)。旅でなくても見るさえなつかしい山吹の花であるのを、旅(の空)でみるというのである。妹が峠(という名の場所にいるの)を幸いと詠んだのだ。
「万葉」に山吹を「妹に似する花」と言っている。山吹は妹に見立てたのだ。「たうげ」は、歌に詠めば、「たうげ」とは詠まない、「たむけ」と言うべきだ、と(人は)言うようだけれども、それは理の当然のことであって、ここは「妹がたうげ」と言わないと実景の興が抜けてしまうのである。「たうげ」は、「峯」とはちがうのだ。「高ね」ともちがう。打越や国境などの所に言うのがふさわしい。
門さして人にはなしと答へけりいかゞはすべきうぐひすのこゑ
四五四 門さして人にはなしとこたへけりいかゞはすべきうぐひすのこゑ 文化十二年
□往年病気づきたる時、人はくる外になすべきこともあり。かたがた門人残らずことわりきりたり。さて外人のこぬために別屋をかりてすみたり。其時に門人両人つきたり。一人は伊丹の人。
「老らくのこんと知りせば門さしてなしと答へてあはざらましを」。「古今」。
○往年(自分が)病気づいた時、人は来るし外にしなければならないこともある。かたがたもって(それやこれやの理由で)門人を残らず断りきってしまった。さて外人(よそびと)が来ないようにするために別屋を借りて住んだ。その時に門人が二人付いた。一人は伊丹の人。
「老らくのこんと知りせば門さしてなしと答へてあはざらましを」。「古今」(にこういう歌がある)。
※「古今和歌集」八九五。
242
うぐひすのこづたふ枝は見えねどもこゑぞ聞ゆる夜はあけぬらし
四五五 鶯の木づたふ枝は見えねども聲ぞ聞ゆる夜はあけぬらし 文化三年
□此れも岡崎にこもりたる時分の歌なり。庭に梅もあり。又岡崎は山ぎはなり。
○これも岡崎にこもった時分の歌だ。庭に梅もある。又岡崎は山際である。
243
ひるよりは大方くもる此のごろの朝毎になくうぐひすのこゑ
四五六 昼よりは大かたくもるこのごろの朝ごとになくうぐひすの聲
□初春より二月初迄の景色なり。朝より己(※巳の誤植)の刻比(頃)までは天気なり。午後くもるなり。「土佐日記」に「日てりて曇れり」と書けり。よく書きたるもの也。日てりて、と云ふは、きびしきなり。みじかき故にくもれりと出づ。語勢に早く己刻よりくもれる語勢なり。ことわりの外なり。詞のはづみによりてはかるなり。
○初春より二月初迄の景色である。朝あけてから己(※巳の誤植)の刻比(頃)までは天気である。午後曇った。「土佐日記」に「日てりて、曇れり」と書いてある。よく書いたものだ。「日てりて」と言うのは、(一首におさめるのに)きびしいのだ。短いから「くもれり」と(言葉が)出る。語勢に、早くも己刻(十時頃)から曇ってしまったという語勢である。通常はないことなのである。詞の弾みによって(それをそう)推し測るのである。
※地味な歌だが、前の歌とともに佳吟。ここの文章論、近代の一流の批評家のような言葉である。『土佐日記』のなかなか舟が出航しないくだりに「二十三日、日照りて曇りぬ。」とある。
244
静なる月にとむかふあけぼのゝこころもしらぬもゝ千鳥かな
四五七 しづかなる月にとむかふ明(あけ)ぼのゝ心もしらぬもゝちどりかな 文政九年
□春夜の曙はよろしきことの最上なり。春曙は古へよりよろしき限と定めることなり。心あらん人に見せば(へ)や、と云ふ程の事なり。梅月堂にこもりて詠みたる夜なり。近世、涌蓮が「明日もまた朝とく起きてつとめばや窓にうれしき有明の月」となり。
百千鳥のやかましき、即ちおもしろき部類に入れるなり。したうれしきなり。俗諺に「かやうの御馳走ではいなね、ならぬ」と云ふ類なり。
○春夜の曙は、似合わしいことの最上のものである。春の曙は、昔から素晴らしいものの限りと定まったことだ。「心あらん人に見せばや」、という程の事である。梅月堂にこもって詠んだ夜である。近世、涌蓮が「明日もまた朝とく起きてつとめばや窓にうれしき有明の月」と歌ったそうだ。
「百千鳥」のやかましき(ことも)、すなわち興あることの部類に入れるのである。心うれしいのである。俗諺に「かやうの御馳走ではいなね、ならぬ」と(わざとだだをこねて)言う類(の非難)である。
※涌蓮(ようれん)、江戸中期の真宗高田派の僧。冷泉為村の弟子。
此間十首欠席
245
をとめごがこがひの宮にちる花は眉をいでたる蝶かとぞみる
四六八 をとめ子がこがひの宮にちるはなはまゆを出(いで)たる蝶かとぞ見る 文化十二年
□こがひの宮の実景なり。もとたゝすなり。このしまのもりである。此の森へ入れば花ありとも見えぬところなれども、花がちるなり。さては花があるさうな、といつも云ふところなり。此の歌は実景と縁語とを兼備したる歌なり。歌によりて縁語ばかりよむもあるなり。
○蚕飼の宮の実景である。もと(は)糺の森である。この(川にはさまれた)島の森である。この森へ入ると花があるとも見えない所だけれども、花が散っているのである。さては花があるそうな、といつも言う場所だ。この歌は実景と縁語とを兼備した歌だ。歌によっては、縁語ばかり詠むものもあるのだ。
246
野の宮の樫の下みちけふくればふる葉とともにちるさくらかな
四六九 野の宮の樫の下道けふくれば古葉とゝもにちるさくらかな 文化十二年
□此れ野の宮の実景なり。宮の前はかし原なり。かしの葉は冬散らずして春にならねば散らぬなり。二、三月が散る盛なり。どんぐり、小ならしばの類皆春ちるなり。
○これは野の宮の実景である。宮の前は、樫原である。樫の葉は、冬に散らず春にならないと散らないのである。二、三月が散る盛である。どんぐり、こなら 、ならしばの類は皆春散るのだ。
※嵯峨野にある野宮神社。「こならしば」は二つの語を一緒に言ったものか。
247
只たのめ横川のおくにさく花も散りて後こそ浮びいづなれ
只たのめ横川のおくにさく花も散りて後こそ浮びいづなれ
□ひえの奥なる横川なり。仏場故にての歌なり。一節(※筋の誤植)に仏法はたのむがよいとなり。横川に桜がありやなしや知らねども散て出て見れば浮ぶなり。一筋にたのめば悪趣に堕落はせぬなりと云ふ歌なり。
空也の歌に「山川の末に流るゝとちがらもみをすててこそうかぶ瀬はあれ」。さる人の発句に、「身をすてゝ又身をすくふ貝杓子」。此は空也によるなり。
○ひえの奥にある横川である。(横川は)仏場であるから(そのことに)よっての歌である。一筋に仏法はたのむがよいというのである。横川に桜があるかないか知らないれども、散って(娑婆苦の世界を)出て見れば浮ぶ(すくわれる)のである。一筋にたのめば悪趣に堕落はしないのだという歌である。
空也の歌に「山川の末に流るる橡殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬はあれ」。ある人の発句に「身をすてゝ又身をすくふ貝杓子」(というのがあるが)、これは空也(の歌)に拠っているのである。
248
世の中はかくぞかなしき山ざくら散りしかげにはよる人もなし
四七一 世中はかくぞ悲しき山ざくらちりしかげにはよる人もなし 文化六年
□清水の歌なり。残花になりたるよし、故にひとり走りてゆきて見たるなり。花ある所は少く青葉多くなりたる頃なり。
「かくぞかなしき」、要の句なり。此句など骨折の句なり。
○清水での歌である。残花になったということで、一人いそいで行って見たのだ。花のある所は少く、青葉が多くなった頃だ。
「かくぞかなしき」が、要の句である。この句などは骨折った句だ。
249
ゑひふしてわれとも知らぬ手枕にゆめのこてふとちるさくらかな
四七二 ゑひふしてわれともしらぬ手枕(たまくら)に夢のこてふとちる桜かな 文政八年
□丹波亀山の三楽と云ふ人などゝ丸山に会に行きて、帰途青楼に登りたり。夜明けたり。晴天朗日なり。帰途南禅寺の丹後屋の前をとほりしに、桜散りて妙なり。幸に店上に休んで一杯また飲みたり。朋友なし。一人前夜のくたぶれと独杯とで、ゑひふしてねたり。さめて見たるに、花は皆散りたり。杯盤の上に散りうづみたり。おもしろき景色なり。
「われとも知らぬ」、荘周や我、我や荘周の所にかけて、「われとも知らぬ」の句心をつけたるなり。此れを詠みたる二三日後、相国寺にて「碧巌録」の講釈あり。誠拙の講義なり。それへ出たるなり。然るに和尚、此のうたを早く聞きて居て、賞美の余り趣意聞かれたり。然るに一等上の所をとけよと云はれたり。反てよみ人は知らぬは、和尚は其上を知ると云はれたり。大に問答ありしことなり。
○丹波亀山の三楽という人などと丸山に会いに行って、帰途青楼に登った。夜が明けた。晴天朗日であった。その帰途南禅寺の丹後屋の前を通ったが、桜が散って至妙だった。幸いに店上に休んで一杯また飲んだ。朋友はいなかった。一人前夜のくたびれと独杯とで、酔い伏して寝た。覚めて見たところ、花は皆散っていた。杯盤の上を散りうづめていた。おもしろい景色だった。
「われとも知らぬ」は、荘周や我、我や荘周の所にかけて、「われとも知らぬ」の句心をつけたのだ。これを詠んだ二三日後、相国寺で「碧巌録」の講釈があった。誠拙の講義だった。それへ出席した。そうしたら和尚は、この歌を早くも聞き知っていて、賞美のあまり趣意を聞かれた。それだけでなく、(歌の意味の)一等上の所を解いてみせよと言われた。かえって詠んだ人は知らないではないか、(この)和尚はその上(のところ・境地)がわかるぞと言われた。大いに問答があったことであった。
※景樹が佳吟をなせば、それがあっと言う間に門人の間に伝聞で広まる様子がわかる。
250
家にありてみるだにあるをなつかしき妹がたうげの山ぶきの花
四七三 家にありて見るだにあるをなつかしき妹が峠(たうげ)の山吹のはな
□丹波但馬の境かと思ひたり。妹が峠あるなり。よほど打越えて高きなり。城崎入湯の節やすみたり。旅ならずして見るだになつかしき山吹なるを、旅にしてみると云ふなり。妹が峠を幸によむなり。
「万葉」に山吹を妹に似する花と云へり。山吹は妹にみたつる也。「たうげ」、歌にしよめば、「たうげ」とはよまず。「たむけ」と云ふべし、と云ふべけれども、それは理の当然にして、こゝらは「妹がたうげ」と云はねば実景の興がぬけるなり。「たうげ」は峯とはちがうなり。高ねともちがふなり。打越国境などの所に云ふべし。
○丹波但馬の境かと思った。妹が峠がある。(そこは)よほど打越えて高い場所である。城崎入湯の節に休んだ(ことがある)。旅でなくても見るさえなつかしい山吹の花であるのを、旅(の空)でみるというのである。妹が峠(という名の場所にいるの)を幸いと詠んだのだ。
「万葉」に山吹を「妹に似する花」と言っている。山吹は妹に見立てたのだ。「たうげ」は、歌に詠めば、「たうげ」とは詠まない、「たむけ」と言うべきだ、と(人は)言うようだけれども、それは理の当然のことであって、ここは「妹がたうげ」と言わないと実景の興が抜けてしまうのである。「たうげ」は、「峯」とはちがうのだ。「高ね」ともちがう。打越や国境などの所に言うのがふさわしい。
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