南木佳士という小説家について、私はあまり詳しくは知らなかった。でも、その作品のいくつかは読んで知っていたし、よい作家だと思ってきた。うかつなことではあるが、私の関心の狭さのせいで、その人が長年、佐久総合病院の勤務医であったことは知らなかった。さらに岩波新書で『信州に上医あり――若月俊一と佐久総合病院』という本を出していることも知らなかった。
同書において南木は、若月の理想家としての姿と、経営者としての一面との矛盾を冷静に描き出している。間近でみた時の対象の見え方と、大きなスケールで評価する視点を加えた時の見え方の違いを、誠実に語ってみせた。地域における健康スクリーニング活動の先鞭をつけた若月の「『草花の匂いのする電気機関車』のような野太い牽引力」という南木の言葉は、いたずらな美化に陥らない記述をやりとおしたうえでのオマージュと言ってよいであろう。
同書を読み進むうちに、四分の三を過ぎたところで思わぬ人の名前が出て来た。頭に手拭いをかけて深沢七郎と一つのマイクを持ちながら「船頭小唄」を歌う若月の姿の写真が149ページに掲載されている。
「山梨の人で尊敬するのは若月さんだけ。」(深沢七郎)
最近これも意外なところで、と言うより当然語られるべき筋の本の中で、若月俊一の名前を目にした。それは堤美香のТPP条約に対する警告の書においてである。堤の言うように、日本の医療保険制度の現場にアメリカの強欲資本主義資本が土足で入ってきたら、日本のなけなしのセイフティ・ネットはめちゃめちゃにされてしまうであろう。そこでは佐久総合病院の方式が、全国に先駆けた協同組合による医療機関の成功例として称揚されているのである。
南木の本から若月の言葉をひとつだけ引用しよう。
「…その研究をすすめていくと、驚いたことに慢性中毒の学問については、ほとんど誰もがまだ手をつけていない。要するに、ものすごく面倒で根気がいる仕事で、しかもその結果が、しばしば、政府の方針や、資本の利益に反するようなことになりやすい研究などに、力をそそぐおろか者はいないのではないだろうか。そこで、やむをえず私ごときが、みずからあたらしく研究所をつくり、いろいろな化学的検査や動物実験をやらねばならなくなったということなのである。
素人はだまっておれ、専門家にまかせておけば、と何人が言い切れるか。現にいままでいわゆる専門家にまかせておいたからこそ、今日のような不測のいろいろな公害の事態が起きたのではなかったろうか。」 (同書164ページ)
この「素人はだまっておれ、専門家にまかせておけば、と何人が言い切れるか。」という若月の言葉を、いつだってわれわれは噛みしめなければならない。ТPP条約に関しては、真剣に議論し、その内実を国民は知る権利がある。交渉の過程でどのような約束が交わされたのか、その中身がよくわからないまま条約を批准しようなんて、とんでもない話だと私は思う。
話を元に戻して、南木の文庫本版全集のようなものを、どこかの出版社が音頭をとって企画してもらえないだろうか。あるいは版権のある会社が持ち寄りで横断的な文庫の復刊を共同して行ってもいい。広告費の節減にもなるだろうし、読者としてもうれしい。私はほとんど読んでいないから、真っ先にその購入者になるであろう。
同書において南木は、若月の理想家としての姿と、経営者としての一面との矛盾を冷静に描き出している。間近でみた時の対象の見え方と、大きなスケールで評価する視点を加えた時の見え方の違いを、誠実に語ってみせた。地域における健康スクリーニング活動の先鞭をつけた若月の「『草花の匂いのする電気機関車』のような野太い牽引力」という南木の言葉は、いたずらな美化に陥らない記述をやりとおしたうえでのオマージュと言ってよいであろう。
同書を読み進むうちに、四分の三を過ぎたところで思わぬ人の名前が出て来た。頭に手拭いをかけて深沢七郎と一つのマイクを持ちながら「船頭小唄」を歌う若月の姿の写真が149ページに掲載されている。
「山梨の人で尊敬するのは若月さんだけ。」(深沢七郎)
最近これも意外なところで、と言うより当然語られるべき筋の本の中で、若月俊一の名前を目にした。それは堤美香のТPP条約に対する警告の書においてである。堤の言うように、日本の医療保険制度の現場にアメリカの強欲資本主義資本が土足で入ってきたら、日本のなけなしのセイフティ・ネットはめちゃめちゃにされてしまうであろう。そこでは佐久総合病院の方式が、全国に先駆けた協同組合による医療機関の成功例として称揚されているのである。
南木の本から若月の言葉をひとつだけ引用しよう。
「…その研究をすすめていくと、驚いたことに慢性中毒の学問については、ほとんど誰もがまだ手をつけていない。要するに、ものすごく面倒で根気がいる仕事で、しかもその結果が、しばしば、政府の方針や、資本の利益に反するようなことになりやすい研究などに、力をそそぐおろか者はいないのではないだろうか。そこで、やむをえず私ごときが、みずからあたらしく研究所をつくり、いろいろな化学的検査や動物実験をやらねばならなくなったということなのである。
素人はだまっておれ、専門家にまかせておけば、と何人が言い切れるか。現にいままでいわゆる専門家にまかせておいたからこそ、今日のような不測のいろいろな公害の事態が起きたのではなかったろうか。」 (同書164ページ)
この「素人はだまっておれ、専門家にまかせておけば、と何人が言い切れるか。」という若月の言葉を、いつだってわれわれは噛みしめなければならない。ТPP条約に関しては、真剣に議論し、その内実を国民は知る権利がある。交渉の過程でどのような約束が交わされたのか、その中身がよくわからないまま条約を批准しようなんて、とんでもない話だと私は思う。
話を元に戻して、南木の文庫本版全集のようなものを、どこかの出版社が音頭をとって企画してもらえないだろうか。あるいは版権のある会社が持ち寄りで横断的な文庫の復刊を共同して行ってもいい。広告費の節減にもなるだろうし、読者としてもうれしい。私はほとんど読んでいないから、真っ先にその購入者になるであろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます