元さいたま小町(左)と平田歴代埼玉ブロック会長(真ん中)とで記念撮影した初めての行田「古代蓮の里」
8月18日(木)
夏季休暇の連休から明けたわが社であるが、ワタクシは始業前に会社を後にし氷川神社へと向かった。私の車では、リオデジャネイロで奮闘する男子卓球団体の決勝戦を垣間見ながら向かったのであるが、信号待ちした際のパーキングブレーキを入れた時でない限り見ることが出来ないテレビであるだけに、走行中はもっぱら歓声が聞こえてくるのみで、実況中継ではことの状況があまりよくわからなかった。
それでも集合時間ギリギリには氷川神社についたワタクシ。駐車場に車を止め、水谷選手のギリギリの攻防をじっくり観戦。7-10で相手にマッチポイントとなってからの水谷選手の圧巻の集中力を発揮した大逆転劇。ひとり車の中で声を上げて応援、勝利した瞬間は我がことのように嬉しかったわけなのである。が、しかし・・・興奮冷めやらぬ中、いっこうに姿を見せない仲間に連絡を取るも誰も出ず、仲間は既に行田に向けて出発してしまったと観念し、一人「古代蓮の里」の駐車場まで車を走らせたのであった。
明治元年、世の中が創り変えられたことを示すため、明治天皇が武蔵一宮氷川神社で大祭を行ってから、来年でちょうど150年という節目の年にあたる。この機会に神社の啓発につとめ、大いに祭りを祝い、地域市民と共にさいたま市を大いに盛り上げていきたい。そのような思いから、武蔵一宮氷川神社に心を寄せる同志で結成された八重垣会である。記念事業の一発目は、本年10月29日に開催が決まったプレイベントで、竹田恒泰氏に講演をいただく「氷川神社の真実」である。この私が担当するわけである。こうご期待・・・。
そして、記念事業の一つである田んぼアート。昨年ギネス認定も行われた行田市に行政の方々の協力を得て見学に訪れたというわけである。恥ずかしながらワタクシ、人生初の行田入りである。行田はさきたま古墳群はじめ、歴史の深いまちであり、埼玉県名発祥の地である。映画化もされた「のぼうの城」、江戸川乱歩賞受賞作家で私もむさぼるように読んだ「果つる底なき」の著者 池井戸潤の「陸王」(まだ読んだことはないので近々読破したい)でも行田のまちがふんだんに出てくると言うほど歴史の深いまちである。
お昼には行田市長 工藤正司 氏もかけつけ共に行田のうなぎを満る岡(まるおか)で堪能した次第。その後市長の計らいもあり、埼玉県立さきたま史跡の博物館において、国宝に指定されている金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)について詳細に、本当に詳細に説明していただいたい次第である(私は説明を聞きながら立ったまま寝そうになってしまいました。ごめんなさい。)。
その後さきたま古墳群の埴輪などの出土品ならびに、円墳にのぼったりした我ら一行は、名物とうたわれる塩饅頭“いがまんじゅう”を求めて散って行ったのであった・・・。
行田に携わる人々の心温まる対応に感謝申し上げます。工藤市長はじめ行政の皆様、坂本さんご夫妻、まことにありがとうございました。行田の歴史に触れ田んぼアートに感動しました。明日へと続く・・・。
「古代蓮の里」にのこり咲く蓮の花
大体の蓮はすでに花びらを落としその役目を全うした状態であった
当時の市長が上から見るんだと言ってつくったという50mのタワー
田んぼアートを観る為に作ったわけではなかったのである
会議室に招かれた一行。考えの挨拶をする行政関係者
博物館内見学する一行
50m上空から田んぼアートを初体験
昨年ギネス認定を受けた行田田んぼアートの本年作は「ドラゴンクエスト」
見事!感動しました!
蓮沼。食用の蓮と鑑賞用の蓮とは別なんだとか。初めて知りました。
蓮沼の前で記念撮影。手前右のスーツ姿は埼玉新聞社の丸山社長である。
蓮の花が咲くのはナント四日間!セミよりも短いとはなんと儚い・・
広大な敷地に蓮蓮蓮
行田市長 工藤正司 氏が歓迎のごあいさつ
地元優良企業の代表なのかとても良くしてくださった坂本社長
鯉のあらい
前回調子を崩して以来のうな重
市長を交えて皆で記念撮影と相成った。熱烈な歓迎ぶりであった
埼玉県立さきたま史跡の博物館で説明を受ける一行
円墳の上で
平田大先輩と共に記念事業に携わるワタクシは大先輩のカメラマンでもある。