「書票」というのは、「蔵書票」もしくは「書票」と呼ばれることが多くなっている「自分の本」ということをあらわしている紙片のことを言います。日本では「蔵書印」を押すほうが一般的かもしれません。ラテン語の「Ex-Liblis」や、英語の「Bookplate」と表記されることもあります。
このブログでも、前に深沢幸雄氏や水谷昇雅(昇昌)氏の書票作品を紹介していますが、書票(ここでは、そう呼ぶことにします)や、それを集めた書票集もコレクションの対象にしていました。「していました」と過去形なのは、このところ書票の制作依頼もせず、コレクター同士ので交換もせず、書票の全国大会にも参加せず、書票集もほとんど買っていないからです。
自分のコレクションの中で、書票関係のもので一番古い日本のものは……と探していたら、こんな雑誌が出てきました。(「一番古い」かどうかは、まだわかりませんが……。)
「愛書趣味」第5号(大正15年5月25日発行)
表紙に書票が貼り込んであります。編輯兼発行者は齋藤昌三。持っているのは、この1冊だけで、前後の号はありません。
巻末近くに「表紙のエキス、リブリスは、夢二氏の『三味線草』から採った」と説明があります。
「採った」というのは、どういう意味なのでしょう。「夢二」というのは、あの竹久夢二のことでしょうが、その著書に『三味線草』というのがあるようなので、その中にこの絵があり、それを模刻したということ? それとも、竹久夢二本人の作品? どちらなのでしょう。
それは識者にお尋ねすればすぐにわかるのでしょうが、この書票、別のところで見たことがあると思って、関係ありそうな本を探してみました。
そうしたら、『日本の古蔵票』(齋藤昌三著 昭和21年9月20日 書物展望社刊 限定300部 造本:内藤政勝)の中にありました。この本の古書価はけっこうするのに、なぜか手元に2冊あるのですが、どちらも函がありません(^_^;) そのうちの1冊は誂えた帙入りです。本文は陸前白石産和紙に印刷され、書票というものの歴史を詳解しています。
その表紙。表紙だけ『日本之古蔵票』と「の」が漢字になっています。標題紙も奥付も『日本の古蔵票』です。
著者、齋藤昌三氏(少雨荘)の署名ページ。
巻末に「現代票を拾ふ」というページがあり、古いものは墨1色で色彩が乏しいので、色彩豊かな昭和の時代に作られたものも紹介しておくと、実物が数葉貼り込んであります。
その奥付。
いや、これだけではなかったような気がして、さらに書棚を探すと……ありました。
"BOOK PLATES IN JAPAN"(昭和26年3月15日 青燈社刊 限定70部)の表紙に実物が貼り付けてありました。この簡単な造りの本には、書票の実物が17葉貼り込んであります。
その表紙。
その奥付。
奥付部分だけを拡大。
ちょっと調べてみました。
竹久夢二(没年は昭和9[1934]年)著の小曲絵本『三味線草』は、大正4(1915)年に新潮社から出版されていて、木版が7葉入っているので、初版に限らず古書価はけっこうします。木版の画像を探したところ、あるお店が7葉すべての画像を載せていました。その中にこの書票と同じものがありました。ただ、提供されている画像が小さいので、まったく同じものなのか、それを模刻したものなのかまでは判断が付きません。
『三味線草』の刊行から四半世紀を経て(大正15年発行の「愛書趣味」5号より前にも実物が貼ってあるものがあるかもしれませんが)実物を貼るということは、大量に刷ってあったと考えるよりは、版木がきちんと保存されていて、昭和の時代に刷り増ししたと考える方が妥当かもしれません。
たったこれだけのことを書こうとするだけで、いかに自分の書票の知識が浅薄で、断片的だということがわかりました(^_^;)
【10/17追記】
夢二の『三味線草』はノーベル書房から復刻版が出ているのがわかって、元版は高価で手が出ないので、安価な復刻版を手に入れてみました。
その本で確認すると、この書票と同じ挿絵がありました。ところが、細かな点で差異がありました。
女性の指が違っていたり、女性の髪と背景に輪郭線があったり……
このノーベル書房版の奥付はこんなふうになっています。
昭和 五十 年十二月十二日 印刷
昭和五十一年十一月 一 日 発行
これはどう考えてもおかしいです。印刷してから1年ほど寝かしてあった計算になります。
この本、正確な意味での復刻版ではないようで、挿絵を比べるのも意味がなかった気がします。