私が星新一作品のコレクターということは、何度も記事にしているのでお分かりかと思います。しかし、私のはるか上をいくコレクターがいて、その方(Mさん)は星新一の全著作を完蒐したのです。全著作を完蒐するには3つの大きな壁があります。
刊行順にすると、第一創作集の『人造美人』特装本、和田誠さんとの共作私家版絵本『花とひみつ』、そして星新一が祖父のことを書いた『祖父小金井良精の記』(河出書房新社)の親類に配った、別冊の家系図が付いた特装本の3冊で、いずれも数10部から300部の限定出版で、めったにお目にかかることが出来ないものです。
星さんがまだご存命の時に、「星コン」と呼ばれていたファンクラブ主催の交流会に、運営資金の一部にと、オークションにその3冊のうちの2冊(『人造美人』の特装本と『祖父小金井良精の記』特装本)を出品して下さったことがありました。私は『人造美人』(バックスキン装の特製本)が落札出来ただけで、『祖父小金井良精の記』(特製本)には手が届きませんでした。Mさんとライバルらしき争いをしたのは、そのときだけでした。Mさんはそのときに『祖父小金井良精の記』を落札し、名実ともに星新一№1コレクターになりました。
当時、SF作家にはファンクラブの組織が出来ていて、星さんをお招きしての第1回目の会合の後は、東京で開催するようになり、食事の会場と宿舎を手配する幹事役を何度か引き受け、星さんの新刊で特製本を作成して参加者にお土産として配布するなど、積極的にかかわっていた時期もありました。(その書影は、これまでに紹介済みです)
しかし、次第に会の活動から距離を置くようになっていき、私がまったく活動に参加しなくなってから開かれた会合に、2冊目の『祖父小金井良精の記』が星さんから提供されてオークションにかけられたのです。会に参加していたMさんから前日に電話があり、「代理で入札してもいいよ」と言っていただいたのですが、「参加していないということは、縁がなかったということなので」と、差し伸べられた厚意を無下に断ってしまいました。
Mさんは、どこの馬の骨ともわからないコレクターの手に渡ってはいけないと、自身2冊目となる『祖父小金井良精の記』を落札したということを後から聞きました。
そのことを知った時に、頭を下げて譲ってほしいと言えば、Mさんはけっしてノーとはおっしゃらなかったと思いますが、今の今まで、Mさんとその本のことについて話題にしたことはありませんでした。
Mさんと直近では、2010年4月の世田谷文学館、2015年10月の草野心平記念文学館での星新一展などでお会いし、ときおり電話や手紙のやり取りをしたり、星新一原作の紙芝居をお持ちでなかったので、手持ちの1つを差しあげたりもしました。
それが昨日、Mさんがすでに2月に亡くなられていたことを知りました。外出先で倒れ、救急搬送されて4日後に亡くなったのだそうです。
付き合いのあった誰しもが「Mさんは年齢不詳」と思っていましたが、享年86歳とのこと。
生前から献体すると公言していた言葉通りに、通夜後、献体先の大学病院に運ばれたそうです。
彼らしい最期だったのではと思います。 …合掌…
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最後にお会いしたのは手塚治虫記念館で開催されていた「星新一展~2人のパイオニア~」の会場でした。調べてみますと、2010年10月30日です。
そのときにいただいた名刺の肩書きは「星教徒 Stellalatrian 元祖 本家本元 初代 第壱號」でした。(「星教徒」は「せいきょうと」と読みます)
Mさん、いろいろとありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
貴重なコレクションが散逸しないことを祈るばかりです。