最終回文庫 ◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されない不具合があります。ご容赦ください。

私のコレクション 日本で紹介されたチャペック作品

2018年01月06日 | 気になる作家/画家






以下のような内容(青字部分)の記事が拙ブログに残っているのですが……何の本を、どうして貸し出すことになったのか、記憶をたどれずにいます。
2006/08/24  平塚市美術館で開かれている「世界の絵本がやってきた ブラティスラヴァ世界絵本原画展」に行きました。同時開催の特別展示「チャペック兄弟、ラダ、トゥルンカ チェコ絵本の黄金時代」に、私のコレクションの1冊が立派なケースに収められて鎮座していました。出品協力で、図録と招待券をいただきました。いや、ぜんぜんたいしたことのない本(翻訳され日本で出版されたもの)なのですが、いざ都立図書館や国会図書館から借りようとすると、展示期間が長いために借りられないのだそうです。

おそらく、仕事でどこかの美術館の学芸員さんと絵本原画貸し出しの話をしていた時に、知り合いの学芸員が困っているという話から、その本だったら持っているので、貸してあげられるから知らせてあげてください――ということになったのだったか、そのあたりの経緯の記憶がまったくなく、その推測も自信がありません。そのときいただいたという図録も見つからず……。

10/1まで開かれた後、以下を巡回したはずです。
10/7~11/26 静岡アートギャラリー
12/5~2007年1/14 広島県立美術館
2007年1/20~3/11 三鷹市美術ギャラリー
2007年4/14~5/27 小杉放菴記念日光美術館
2007年6/2~7/8 北九州市立美術館
2007年7/14~9/2 うらわ美術館



 函に入った本だったような気がします。

 展示されたのは、この本ではなかったかなぁ。
 『新日本少年少女文庫15 西洋文学選』
 島崎藤村編 昭和15年 新潮社の函。




 表紙。




 チャペック作品の「犬と妖精の話」と「小鳥と天使の卵の話」の
 ふたつが収録され、原書からとったという挿絵が入っています。
 「小鳥と天使の卵の話」の挿絵部分。




 奥付




いや、こちだったかも。

 『世界文学全集38 新興文学集』(昭和4年 新潮社)
 表紙。函もついています。



 目次。チャペックの「蟲の生活」(戯曲)が収録されています。



 奥付。




 いや、こっちだったかも……。

 『世界戯曲全集 第22巻 中欧篇』(昭和2年 近代社)
 この本は函がなく裸本なので違うだろうなぁ。
 目次。チャペックの「人造人間」ほかが収録されています。




 扉。






 奥付。


 戯曲ということはなかったよなぁ……。


チャペック作品が日本で最初に翻訳されたのはいつなのか、Wikipediaで「チャペック」の項を見てみると、最初の本は1924年金星堂から出版された『R.U.R ロボット』のようです。国会図書館のデータでは、著者:カーレル・チャペック/著 鈴木善太郎/訳  金星堂 先駆芸術叢書2 となっています。
2番目は、現在『ダーシェンカ』として親しまれているものが、『子犬物語』というタイトルで高陽書院から1938年に、前に紹介した『山椒魚戦争』は、3番目の翻訳として1953年に世界文化社から出版されたとなっています。

Wikipediaでは単行本として出版されたものしか取り上げていないので、全集に収録されたものは含まれていません。「最初」というのが、いつ・何なのか……。

今回紹介した本にたどり着くのに、当時は色々調べたと思うのですが、記憶も資料も残っていません。
わからないままに記事をアップするのは不本意ですが、致し方ありません。










私のコレクション ヨセフ・チャペックの挿絵 "Edudant und Franzimor" 

2018年01月05日 | 気になる作家/画家



"Edudant und Franzimor"
「Edudant」と「Franzimor」のふたりが主人公だということは、なんとなくわかりました。

 クロス装の表紙。元々はジャケットがあったと思われます。


挿絵を描いたのは、カレル・チャペックの兄にあたるヨセフ・チャペックで、本書の著者の Karel Poláček(カレル・ポラチェク 1892~1945)は、当時のチェコスロヴァキアのジャーナリストであり作家でもある人で、ユダヤ人の子孫ゆえに迫害されたようです。
本書はチェコスロヴァキアで1963年に出版され、1966年にドイツ語版として出版されたものの初版。


 標題紙。



 目次。




 挿絵。さて、ノッポとデブのふたり。
 どっちが「Edudant」で、どっちが「Franzimor」なのか。

 刷り色を違えただけの同じ版ですね。












 モノクロの挿絵もあります。









線が生き生きとしていて、いいですね~。



私のコレクション カレル・チャペック『山椒魚戦争』

2018年01月03日 | 気になる作家/画家



現代SFの古典的傑作と評される
『山椒魚戦争』樹下節/訳 世界文化社 昭和28(1953)年。

 表紙。
 

本書は本邦初訳ですが、訳者の樹下節(じゅげ‣たかし 1911~1990)はロシア語翻訳家なので、ロシア語版のチャペック選集からの重訳ということになります。



チェコ語からの初訳は、『世界SF全集 9 エレンブルグ チャペック』(早川書房、1970年10月)に収録されている栗栖継訳『山椒魚戦争』で、1974年には早川書房のハヤカワ・SFシリーズの1冊として刊行されています。

 その後、同じ訳者で岩波文庫として出版されています。
 『山椒魚戦争』栗栖 継/訳 岩波書店 1978年
 

この本には、チェコ語から初訳した栗栖継の解説-早川書房のものを再録し、さらに経緯を訳者前書きとあとがきで詳述し、ロシアでしか刊行されたことがないチャペックの小文「異状なし」が収録されているので、チャペックに興味がある方は、岩波文庫版をお読みになることをオススメします。






甲斐信枝さんとの思い出

2017年10月18日 | 気になる作家/画家

昨年11月にNHKで放送された「足元の小宇宙 絵本作家と見つける生命のドラマ」をご覧になった方も多かったのではないでしょうか。今年4月には「足元の小宇宙Ⅱ 絵本作家と見つける“雑草”生命のドラマ」が放映されました。そこに登場していたのが絵本作家の甲斐信枝さんです。

甲斐さんの代表作のひとつに『雑草のくらし』という絵本がありますが、私と甲斐さんのお付き合いが始まったのが、その本が出版された時でした。

   


その本を担当した編集者に、自分の趣味――牧製本の社長さんのお宅に週1通って、手製本の手ほどきを受けていること――を話したことがあり、この本が出来るときに何部か表紙を替えたものを作れないかと相談されました。デザイン等は全部任せるからというので、3冊だったか5冊分の刷り出し(表裏を印刷しただけのシート)を預かって、折り、帳合(ページ順に並べる)を取って、糸でかがり、仕上げ立ち(本の大きさに合わせて端を裁断する)して、クロスを貼ったボードを表紙にして、1冊ずつデザインが違うものを作り上げました。判型が大きいこともあって、なかなかうまくゆかず、不出来だと思われたものも含めて「こんな程度にしかできなかった」と担当者に渡しました。

表紙のデザインのうち、丸の部分はいろいろな革をポンチで丸く打ち抜き、クロスを貼った後の表紙も同じ大きさのポンチでクロス部分を打ち抜いてそこに革を埋め込みました。曲線は革をカッターで細く切って、表紙のクロスもその形に合わせてカッターで切り取り、埋め込んであります。当時、会社にファクシミリといって原稿を回転させて読み取り、ガリ版印刷と同じ方式で原紙を作れる機械があったので、タイトル文字を読み取らせて、シルクスクリーンの原理で表紙に緑と白のアクリル絵具を使い、少しずつずらして印字しました。

   


背のタイトルは、廃棄されていた和文タイプ活字の文字盤からタイトル文字を拾い出して、熱を加えて製本用のホットペン用の色箔を使って箔押ししました。

     


会社は幼稚園の卒園記念などに本に文字を箔押しするため、箔押し業者と深いつながりがあったのですが、業者には頼らず、自分の力だけで仕上げました。

後日、甲斐さんは、自分では一番良くできたと思った1冊に私宛のサインを入れてプレゼントしてくださいました。不出来な中でも一番良くできたと思うものは、当然、甲斐さんの手元に残るものと思っていたのが、なんと、自分の手元に帰ってきてしまったのです。

   

本が出版されたのは昭和60(1985)年で、当時はまだ編集部に籍を置いておらず、甲斐さんにお目にかかったこともなかったのです。

時が過ぎ、編集部員になってから、他の担当者の取材にくっついて京都に行き、初対面を果たしたあとは何度もお目にかかりました。けれども退社するまでの間、甲斐さんの本の編集を担当したことは一度もなかったのです。

それなのに、年に何度か電話で話したり、互いにどうしているのかと気になったころに、どちらかから手紙が届いたりという不思議なつながりが未だに続いているのです。

【2021年12月 追記】
この話を電話でご本人とする機会があり、作ったのは3冊だったということが確認できました。私は一番よく出来たと思ったものが自分の手元に帰ってきてしまい「こりゃ参ったな」と思ったと言うと、「あの時は、いちばん出来の良いのを製作者に返さなければ」と思われたそうで、「今だったら、そうは思わないわねぇ(笑)」とおっしゃっていました。


私のコレクション *堀内誠一さん

2017年07月03日 | 気になる作家/画家





編集部内の大掃除で出たゴミの中に、ふと目にとまったものがありました。
海外から送られてきた原稿を包装してあった段ボールに貼られた宛名紙。
捨ててしまうものだったらと取っておいたものです。



当時、フランス在住だった堀内誠一さんから送られてきたもので、
まわりのAIRMAILの印も全部肉筆という珍品です。 


あれから ウン10年……あの時捨てなくて良かったなと思います。












4/4 深夜再放送 NHKスペシャル 足元の小宇宙Ⅱ  絵本作家と見つける“雑草”生命のドラマ

2017年04月04日 | 気になる作家/画家
    再放送は 2017年4月5日(水)
  午前0時10分~0時59分(4日深夜)です。




   絵本作家の甲斐信枝さんが登場します。ぜひご覧ください!

NHKスペシャル
足元の小宇宙Ⅱ  絵本作家と見つける“雑草”生命のドラマ


    ☆再放送、終了しました。 見逃した方、再々放送をお待ちください☆








画家 三芳悌吉さんの年賀状

2017年03月24日 | 気になる作家/画家




画家 三芳悌吉さんが亡くなられたのは平成12(2000)年9月10日。ご自分の生い立ちを描いた『砂丘物語』 Ⅰ、Ⅱを平成8(1996)年に刊行して、Ⅲに取り掛かっていたさなかのことでした。

『砂丘物語』は、大正時代、幼少期を過ごした新潟の庶民の暮らしを活写した画文集で、最終巻のⅢで、画家を目指すことになる切っ掛けとなる人との運命の出会いの場面にさしかかるというところでした。

     


装幀は田村義也さんで、次のⅢのタイトル書体、タイトル部分の色も決まっていました。
田村義也さんも鬼籍に入られました。タイトルの指定が書かれたものは、ご遺族のご了解をいただいて、思い出の品として手元に置いてあります。

今回紹介する三芳悌吉さんの年賀状は、購入した5点と私宛のものが3点です。
購入したものは、直木賞・芥川賞の候補にもなったことがある方に宛てたものです。

一番古いものは2円切手が貼ってあり、消印は判読できないませんが絵柄は寅のようですから昭和25(1950)年。




昭和45(1970)年。





昭和57(1982)年。





昭和58(1983)年。





昭和64(1989)年。





以下の3枚は私宛。
平成3(1991)年。






平成5(1993)年。





平成6(1994)年。








水谷昇雅展 【展覧会のご案内】  ~会期終了~

2016年11月07日 | 気になる作家/画家



     終了しました


最終回文庫の蔵書票(書票)を作成したことがある水谷昇雅(当時は昇昌)氏の個展が開かれています。
現在、会期中ですが、画廊が開くのは「金・土・日」限定です。
今週末の3日間の午後だけですのでご注意ください。


ギャラリー ボンブラ

水谷昇雅展 MIZUTANI Norimasa KKV Grafik Maimo (Sweden)
~版画工房にて制作した作品を中心に~


開廊は金・土・日曜 13:00~19:00 最終日は~16:00


どうぞお運びください。



箕輪義隆作品展「鵜会」 【作品展のご案内】 ~会期終了~

2016年11月01日 | 気になる作家/画家
箕輪義隆さんから作品展のご案内をいただきました。

終了しました

画像



●箕輪義隆作品展「鵜会」
今回はカワウ、ウミウなど鵜を描いた作品を集めました。入場無料。
日時:2016年11月23日(水)~ 11月28日(月)
   11:00~19:00 最終日は17:00まで
会場:積雲画廊
   〒150-0001渋谷区神宮前1-19-14 サンキュービル1F
   http://www.sekiungarou.com/
   JR山手線 原宿駅 竹下口より徒歩2分

●鵜の講座
講師に加藤ななえさんを迎え、鵜に関する講座を開催します。
箕輪さんも鵜の絵の制作についてお話しします。参加費無料。
日時:2016年11月23日(水)14:30~16:30
会場:千駄ヶ谷区民会館(個展会場から徒歩3~4分です)
申込:yminowa(a)hotmail.co.jpあてにメールを送ってください。[(a)を@に変えてください]
   タイトルを「11月23日参加希望」として、本文にお名前を書いて下さい。


ぜひお運びください。





阿部知暁 絵画展 *会期終了*

2016年10月27日 | 気になる作家/画家

       ~会期は終了しました~

絵本を作る仕事を一緒にさせていただいたことがあった作家さんから、展覧会の案内状をいただきました。
ご本人は、ゴリラ以外にも描けるのに……と当時はちょっと不満げにおっしゃっていましたが、今や、ゴリラといったらこの方です。

  「推薦のことば」を人類学者、霊長類学者でゴリラ研究の第一人者の山極寿一さんが寄せています。















回想 「クリちゃん」の作者 根本進さん

2016年03月10日 | 気になる作家/画家





ある資料を探していたら、書棚にあった、この本の存在に気づきました。



ある年代以上の方は、朝日新聞の夕刊に連載されていた4コマ漫画の「クリちゃん」を覚えておいでだと思います。

調べてみると、連載されていたのは1951年10月1日から1965年3月31日で、作者は根本進さん。
当時、我が家では「朝日新聞」を取っていて、ひとつひとつの作品は覚えていませんが、載っていたことは覚えています。


この本は1965年に出版した私家版の海外版。海外版と言っても、「まえがき」に相当する一文が日本語、英語、フランス語、ドイツ語で表記してあるだけで、この漫画には吹き出しは無く、絵だけでわかってもらえるのですから世界共通ですね。

この本には2001年1月12日付の自筆署名と私宛の献辞があります。
献辞にはこう書かれています。

ちょっとした思いつきから……
貴社に伺い、貴兄にお眼
にかかれたのは、本当に幸せだ
ったと思います
これははじめて自分一人で作った本ですが
今になってみると僅かながら(数冊ながら)よくとっておいたものだと思
っています
不備だらけ(特に外国文字)
 いつも慌てていますし不勉強ですし不熱心でした

おそらく本を送っていただいた前年の2000年かその前の年のことだったか……ある日、私が勤めていた出版社に、背丈ほどもある杖を手にした老人が訪ねてきました。最初に応対した総務課員からの内線電話を受けたのが私でした。
質問内容が何だったか覚えていませんが、社の出版物に直接かかわる質問というよりは、一般的な自然科学の領域の質問だったように思います。調べることは嫌いではなかったので、調べた範囲でまとめた資料を後日お送りしたんだったと思います。
その後、頼りになると思われてしまったのか、何度か電話があり、こちらからも電話をかけた記憶があります。
その時に何を話したんだったか……。その老人が「クリちゃん」を描いていた根本進さんだということがわかったのはいつだったか……。記憶が定かではありません"(-""-)"

この本は会社に郵送されてきたのですが、数日おいて同じ本がまた届きました。ほとんど同じ内容のことがしたためてあったと思います。
「と思います」というのは、仕事をお願いしていたデザイナーに「根本進さんから同じ本が2度届いたんですよ」という話をしたら、彼が根本進さんを敬愛しているというので、それならとダブった1冊をプレゼントしてしまったので手元にないのです。
後日知ったことですが、晩年の根本さんは物忘れが激しかったらしく、雑誌の連載にも支障が出て続けられなくなったようです。
尋ねられたことを調べてコピーを送ったはずなのに、届いていない(手元にない)と言われことがありましたっけ。

根本進さんが亡くなられたのは2002年1月で、85歳だったそうです。

亡くなるひと月前、2001年の12月、銀座の伊東屋でのこと。
伊東屋のエレベーターは年末で特に混んでいて、途中階からは乗れないことが多々あったので、最上階まで上がって、階段を下りながら面白そうな階を覗いて下りていた時、独特の大きな声が聞こえてきました。「あれっ? 根本さんの声では?」と声がした方を見ると、エレベーターホールの人ごみの中に、長い杖を手にした根本さんの姿が見えたのです。

ですから、新聞の訃報欄を見た時にはにわかに信じられませんでした。
訃報を聞く直前に銀座で姿をみかけたことがあったはず(いつだったか記憶はなかったものの、その状況だけは克明に覚えていました)と、当時の手帳を探し出して日付を辿ってみたら、訃報欄を見た日に「先月お姿を見かけたのに」とメモしてあり、その日が2001年12月の何日だったということがわかりました。

最初にお会いしたのは、おそらく根本さんが83歳の頃だったのでしょう。その歳で、亡くなる直前まで都内のあちこちをひとりで闊歩していたのですから、大したものだと思います。


10年と少し前のことなのに、これほど記憶がアヤフヤとは、いやはやなんとも情けない限りです(^_^;)





没後50年”日本のルソー”横井弘三の世界展 ~会期終了~

2015年09月21日 | 気になる作家/画家






横井弘三の著書のについての過去記事にコメントをいただいたことがある方からお知らせをいただきました。

 没後50年”日本のルソー”横井弘三の世界展 が開催されています。どうぞ足をお運びください。


(画像は「横井弘三とオモチャン会」の公式HPより)


会期  2015年9月12日 (土) - 2015年11月8日 (日)

休館日 毎週水曜日 ※9/23は開館、翌9/24休館開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)

会場  長野県信濃美術館 (第1・2、小展示室)

観覧料大人 800(700)円、大学生 600(500)円、高校生以下無料※( )内は20名以上の団体料金
*東山魁夷館との共通料金 大人 1,000円、大学生 700円、高校生以下無料

クーポン長野信濃美術館 観覧料割引クーポン2015 もあります。



 ※ この展覧会は2016年4月17日~6月5日の日程で、練馬区立美術館で開催されます。 

   
   (画像は「横井弘三とオモチャン会」の公式HPより)


私のコレクション 気になる画家/横井弘三

2014年03月02日 | 気になる作家/画家






横井弘三の名前を知ったのは、宮沢賢治の『グスコーブドリの傳記』で、児童文学に造詣の深い同僚が熱く語ってくれたからでした。
その名前が耳に残り、古本屋の棚や古書展目録でその名前を見つけると、値段と相談で購入してきました。どんな著書があるかもわからず、評伝を読めばわかるかと思ったようで、飯沢匡著『脱俗の画家 横井弘三の生涯』を購入したのが平成2(1990)年でした。しかし、買っただけで読んだ記憶が無いので、いつものように「資料を揃えておいて、まあ、そのうちに」と思っていたのでしょう。

それから25年も経つのに、気合を入れて集めようと思わなかったこともあって、増えないものですね~。

宮沢賢治の『グスコーブドリの傳記』は重版のイタミ本を入手したものの、自分でルリユールするつもりでバラバラに解体してしまい、ほるぷ版の復刻本しかありません。


手元の本を発行年順に並べると、以下のようになります。

『油絵の手ほどき』大正15年10月31日初版 昭和6年3月12日8版
神保町田村書店 購入時期:不明 購入価格:不明




表紙



『東京近海 島の写生紀行』 博文館 昭和3年8月4日発行 初版
通販 旭川市古書むらた書店 購入時期:平成8年 購入価格:3,500円




表紙



『楽しきスケッチ画法』 博文館 昭和4年9月10日発行 初版 裸本
通販 呉市古書籍BOX 購入時期:平成6年 購入価格:1,000円






『露店研究』 出版タイムス社 昭和6年6月15日発行 初版
購入店:古書展 購入時期:1991年12月26日 購入価格:20,000円




『童話のお蔵』 新日本の子供文庫6 北信書房 昭和21年9月15日発行 初版  表紙ヤブレ、記名あり
通販 購入時期:平成6年 購入価格:3,000円



標題紙



一番最初に購入したと思われる評伝。今だともっと安い値段で入手できます。
『脱俗の画家 横井弘三の生涯』 飯沢匡著 筑摩書房 1976年11月30日発行 初版
通販 福島県平読書クラブ 購入時期:平成2年 購入価格:4000円




【参考】復刻版が見つかったので、画像を追加します。
『グスコーブドリの傳記』名著復刻 日本児童文学館第二集 ほるぷ出版昭和51年の函



同書の表紙