最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私のコレクション 星一 著『三十年後』

2014年11月26日 | 星新一




星新一さんの父親は星製薬の創業者、星薬科大学の創始者の星一氏であることは良く知られています。
星新一さんがSF作家ということで、星一氏に『三十年後』というSFの著作があることはSF好きな方ならご存知でしょう。
先日の世田谷文学館での展覧会「日本SF展・SFの国」でも展示されていたので、実物をご覧になった方もいらっしゃると思います。

縁あって手元あるのは大正7(1918)年6月13日発行の5版。定価は60銭。
初版は大正7年4月27日発行で、5月1日に再版、5月5日に3版、5月10日に4版とすごい勢いで重版しています。
その割には古書市場で姿を見かけません。本の背に書名や著者名の記載がないので、見つけにくいのでしょう。
発行は新報知社。

その表紙。




裏表紙。





同じ版元から刊行された『官吏学』の広告が巻末に載っていますが、菊判1500ページの本のお値段は6円と高価です。


「三十年後」、「星一」で検索すると図書館の所蔵本の画像が見られます。中でも早稲田大学図書館には、この本の原稿を和綴じにしたものが所蔵されています。
『三十年後』は、国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で全ページの画像を見ることが出来ます。

こんな便利な世の中になる前のこと、雑誌「SFマガジン」昭和43(1968)年10月号の”SFクラシック・コーナー”に、
星新一さんの解説と要約された、この『三十年後』が紹介されました。46年も前のことになるんですね。




紹介ページの冒頭。




星新一さんの解説によると、「週刊新潮」の掲示板にこの本を探究書として出しても、100万人といわれた読者からの連絡はなかったそうです。
後年、星新一さんの手元に「日本SF作家クラブ」の創設メンバーの一人でもあった斎藤守弘氏から、古本屋で探し出したという再版本が届いたのだそうです。


【2015年9月6日 追記】

「SFマガジン」昭和43(1968)年10月号掲載のものを、星マリナさん(星新一さんの次女)が現代仮名遣いに改め、監修したものをホシヅル文庫として限定復刊(3000部)しました。




【2017年5月 追記】
2017年5月現在、ネットおよび新潮社での販売取扱は終了しました。
一部の書店でのみ販売していて、在庫が無くなり次第、販売終了になります。



私のコレクション 井上洋介(6) 『木版 東京百画府』

2014年11月23日 | コレクション





文庫本サイズの京都書院アーツコレクションの1冊として出版された『木版 東京百画府』は、井上洋介さんからお送りいただきました。この本が出版されたのは1998年1月15日で、京都書院が22億円の負債を抱えて倒産したのは翌年の1999年6月のことでした。


ジャケット。




この本のジャケット袖には100冊のアーツコレクションのラインナップが並んでいます。
井上洋介の「木版東京画府」ゲニウス・ロキの喜怒哀楽 と題した種村季弘さんの解説が載っています。




 ジャケットを取った表紙。




 この本には見返しがないので、本を開くといきなり標題紙で、署名する場所がありません。




 ジャケット袖の裏側に署名がありました。




郵送していただいた封筒に入ったまま保管してあり、封筒の消印は2000年6月27日。





回想 〈狐〉の書評

2014年11月22日 | 書評





「本の雑誌」の書評で、私が編集者の一員として加わっていたシリーズ本を取り上げていただいたことがありました。
その書評は苦労の連続だった編集作業の逐一を、あたかも傍らで見ていたかのようで、編集部員だけでなく編集委員の先生方からも感嘆の声があがりました。そのときの評者の名は「祖師谷仁」でした。

数年後、「本の雑誌」の編集部気付けでシリーズ2冊目をお届けしてからは、ご本名がわかり、ご自宅に献本させていただくようになり、日刊ゲンダイという夕刊紙に〈狐〉というペンネームで書評を連載している方と同一人物だということがわかりました。
取りあげていただいたシリーズ本は完結するのに、あきれるほどの長い時間がかかりましたが、その間に手がけた本の何冊かを日刊ゲンダイで書評していただきました。

シリーズが完結したとき、社内でささやかな記念パーティーを開き、「祖師谷仁」こと〈狐〉こと本名、山村修さんにもおいでいただき、そこで初めて素顔を拝見し、勤務先が私の母校であることを知りました。

シリーズ完結後、残務整理も終わらぬうちに、新雑誌創刊準備のセクションに異動になり、3年後に創刊にこぎつけました。それから1年経たないときに、常日頃、編集作業を円滑に進めるためには、部内でどうしても後回しになる事務的作業をおこなう部署が必要だと提言してきたことが実り、「それならお前がやれ」ということになって新セクションを創ることになりました。
最初に手をつけたのは、後回しにされ続けてきた読者からの投稿原稿でした。編集作業に忙殺されると、つい後回しにしてしまうことが多く、積もり積もってしまったものを各セクションから集めてリスト化し、処理する手順を決め、場所を設定して部員の手を借りながら一気に処理することにしました。投稿作品というのは玉石混交ですが、玉はごくわずかで、箸にも棒にもかからない作品がほとんどで、ひとり鬱々と準備作業していた時に一本の電話がありました。あの山村修さんからでした。当時、広報部に在籍していらして、「卒業生に向けた定期刊行物に、あなたの仕事の紹介をしたいので、インタビューを受けてもらえないか」という依頼でした。二つ返事で引き受けたことは勿論で、久しぶりに足を運んだ母校で記事担当者からインタビューを受けた後、山村さんとふたりで飲みながら遅くまで話し込みました。

その後、新刊をご恵送いただく光栄に浴するようになりましたが、届く新刊には「献呈 著者」という献呈箋がはさんであるだけで、署名が入っていたことはありませんでした。主に〈狐〉というペンネームで匿名書評を書き続けてこられた山村さんらしさが現われている気がします。

突然の訃報はどこからもたらされたものだったか……衝撃でその前後の記憶が飛んでいます。2006年8月14日のことでした。亡くなられたことが信じがたく、お別れに行くことを頑なに拒む自分がいました。
体調を崩されて仕事もお辞めになっていたということは、あとから知りました。
自分が編集した本を取りあげていただいた書評が載っているご著書に、署名をいただいておけば良かった……と悔やんでも悔やみきれません。

亡くなられた後に出版された『もっと、狐の書評』(ちくま文庫 2008年7月10日刊)には、生前に刊行された単行本の中から選りすぐった書評と未収録書評、「本の雑誌」1998年12月号に掲載されたロングインタビューなどが収められています。



私の目にはとまらなかった未収録の書評には、私が編集した本が何点か取りあげられています。
献本した新刊を書評で取りあげたことのお知らせや、書評の掲載誌を送ってもらったことは一度もありませんでした。献本に対する礼状を書いたり、書評に取り上げたことを知らせると、作品そのものに対峙して書かなければならない「書評する」という行為に余計なものが加わってくるのは明らかで、それをなるべく排除しようとしていたことが感じ取れます。


手元にある〈狐〉あるいは「山村修」の著書を古い順に並べます。
読んでみたくなる書評が並んでいるので、以下に書影を紹介した中から、どれか1冊でも手に取ってみてください。

『狐の書評』〈狐〉1992年5月10日発行 本の雑誌社




『野蛮な図書目録』〈狐〉1996年9月20日 洋泉社




『狐の読書快然』〈狐〉1999年8月2日 洋泉社




『気晴らしの発見』〈山村修〉2000年7月31日 大和書房




『水曜日は狐の書評』〈狐〉2004年1月7日 ちくま文庫




『〈狐〉が選んだ入門書』〈山村修〉2006年7月10日 ちくま新書




『書評家〈狐〉の読書遺産』〈山村修〉2007年1月20日 文春新書





書棚には見当たりませんでしたが、ほかに『禁煙の愉しみ』『遅読のすすめ』『花のほかには松ばかり―謡曲を読む楽しみ』などがあります。















私のコレクション 種村季弘著『晴浴雨浴日記』 谷川俊太郎/川原田徹『かぼちゃごよみ』

2014年11月20日 | 署名本





種村季弘さんの著書『晴浴雨浴日記』の装幀は井上洋介さん。



遡ることン十年、編集部に異動して最初の仕事は、前任者からの引継ぎで絵本を形にするものでした。すでに文と絵は依頼済みでしたが、どちらもまだ仕上がってはいませんでした。文は詩人の谷川俊太郎さん、絵は門司港にお住いの川原田徹さんでした。
谷川さんの肉筆原稿がいただけると楽しみにしていたら、谷川さんは早々とワープロを導入なさっていて、プリントアウトしたものがファクスで送られてきたのには、ちょっとガッカリした思いをしました。

テキストと絵が出来あがり、それを絵本の形にしようとした時、1枚の絵を見開きにするとノドにかかる部分の絵がどうしても見えにくくなります。そこで考えたのが合紙製本という製本方式でした。手製本を趣味にしていたので、子どもが描いた絵を1冊の本に製本するような場合、中表に半分に折ったものの裏側同士を糊付けして本に仕立てるというやり方がありました。そうすることで真ん中に折り目は付くものの、ページが全開できるのです。
その製本方式で見積もりを取ってもらい、会社からなんとかOKをもらうことが出来ました。

刊行後、制作課の担当者に、合紙製本は糊入れが手作業で手間がかかることおびただしいので、重版は勘弁してほしいと言われました。それが『かぼちゃごよみ』でした。重版はしましたが2刷どまりで、長いこと「品切れ・重版未定」という状態が続いていました。
昨年4月に復刊ドットコムで再刊され、現在も入手可能です。



『かぼちゃごよみ』が刊行された時に「打ち上げ」を青山のかぼちゃ料理のお店で開いたのですが、谷川さんは戦時中の食糧難の時のかぼちゃの思い出があって、あまりお好きではなかったようでした。

この本が小学館絵画賞を受賞し、1991年11月14日、横浜中華街でお祝いの会を開きました。その時に川原田さんのご友人の種村季弘さんも招待したのです。種村さんとはそれまで面識はありませんでしたが、手元にあった、この『晴浴雨浴日記』にご署名をいただきました。

井上洋介さんには、一緒に下町歩きをした時にご署名をいただき、おふたりの署名が向かい合う形で、イラストもいれていただきました。














私のコレクション 気になる雑誌 「本の雑誌」 創刊号~第10号

2014年11月08日 | 気になる雑誌





今でこそ「本の雑誌」はメジャーですが、1976年5月の創刊当時からしばらくは、アルバイト料はナシだけれども飲み代はタダという配本部隊を組織して、個別交渉した書店に置いてもらっていたといいます。創刊号の発行部数は、わずかに500部だったそうです。

「本の雑誌」創刊の頃は神保町の古本街を毎日のように歩いていたので、ある時に存在に気がついて、かなり早い号から発売を楽しみにするようになったという記憶があります。その時には既に創刊号を含めて初期の号は品切れになっていて、2号から10冊ほどの揃いを古書展で手に入れ、あとから古書店で創刊号を見つけて買ったのだったのではないかと思います。

幻の創刊号。その表紙。
副題:書評とブックガイド●1 奥付には季刊「本の雑誌」とあります。100円


その裏表紙。



副題:書評とブックガイド第2 表紙。1976年7月。
巻末に販売している書店名が挙げてありますが、12店舗だけです。200円


その裏表紙。



副題:書評とブックガイド●3 '76秋号。 
この号からは表紙だけを並べます。200円。



副題:書評とブックガイド●4 '77春号。200円



副題:書評とブックガイド5 '77夏号。200円



副題:書評とブックガイド6 '77秋号。200円



副題:書評とブックガイド7 '77冬号。200円



副題:書評とブックガイド8 '78春号。200円。
販売している書店は46店舗。巻末に1~3号は品切れ、4~7号は残部僅少とあります。



副題:書評とブックガイド9 '78夏号。巻末に定期購読の案内。



副題:書評とブックガイド10 '78秋号。記念号で増ページのため250円。
巻末に「もしかすると来年から隔月刊になるかもしれない」とあります。



手元に50号まで残してあるので、隔月刊になったのがいつからなのか、月刊になったのはいつなのか、それも調べが付いたら報告します。