最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私のコレクション 肉筆原稿 星新一(2)

2011年11月30日 | 星新一





星新一氏はその生涯で1000篇を超えるショートショート作品を残しました。
ほかにもたくさんのエッセイがあり、その全容は把握しきれません。

作者から出版社に渡された原稿は、入稿作業が済むと出版社にとっては「いらなくなる」ものです。ただ、作者は原稿用紙に書かれた「内容」を出版契約(雑誌の場合はほとんどが口約束で、契約書を交わすことはありません)に基づいて出版社に渡すもので、原稿用紙自体は作者の所有物ですから、用が済んだ後は出版社は作者に返却しなければならないものです。
ところが、原稿を返却しない出版社も多数あり、途中でとん挫した出版社から大量の肉筆原稿が市中に出たことがあります。また、編集者が亡くなった後に、遺品と一緒に肉筆原稿が流出したこともあります。





ここで紹介したのは、星新一さんがファンクラブの大会のために寄贈してくださったものですから、由緒正しいものです。

「別冊小説新潮」1978年夏号に掲載された「断食へのトリップ」の下書き原稿です。
肉筆原稿ではありますが、そうそう目にすることのないものです。星さんは締切日を守ることで知られていますが、後で紹介する出版社に渡した原稿の字体は、原稿用紙のマス目いっぱいに書かれた読みやすいものであるのに比べ、この下書き原稿の字体は、小さく弱弱しい感じがします。アイディアのメモの字体と同じようです。

講談社から1978年に刊行された『きまぐれ体験紀行』に収録されています。







私のコレクション 肉筆原稿 星新一(1)

2011年11月29日 | 星新一





これは古書店で入手した星新一氏の肉筆原稿。


割付で改ページの所で無残にも切られています。新聞の文化欄に載ったもののようです。



こちらはその原稿を書いたときに使われた(かもしれない)シェーファーの万年筆と、喫煙していた時代に使用していた喫煙パイプ。


モノだけではホントに使っていたものかどうかわからないので、一筆したためていただきました。





私のコレクション 庄野潤三『旅人の喜び』(限定500部)

2011年11月20日 | 限定本





庄野潤三『旅人の喜び』の市販本はソフトカバーのペーパーバック版ですが、別にハードカバー函入りの限定500部本があります。

函。グラシンをかけたままなので、ボケています(^_^;)


口絵ページは著者近影。そこにペンの署名があります。

せっかくの限定本なのに、署名ページがこれでは、ちょっと残念です。

奥付ページ。ピンボケでした。


社会人になりたての頃、神保町の古書店の店主が座る背の書棚にあるのを見つけて値段を聞くと、眼ン球が飛び出るほどの値段でした。
最初のボーナスをもらったときに買いに行くと、少しおまけしてくれました(^o^)

……それが今となっては、半値ほどになっています(T_T)
 
この本、帯の背がヤケているものが多く、極美本は少ないです。




私のコレクション 神沢利子『林檎の木のうた』(私家版 限定44部)

2011年11月18日 | 限定本






詩・神沢利子、絵・大島哲以『林檎の木のうた』には童心社刊の市販本(1979年)のほかに、総革装の私家版があります。


表紙はシンプル。


奥付。中身は市販本と同じです。


見返しに、おふたりの署名が入っています。大島哲以さんは1999年に亡くなられているので、今となっては貴重。


私家版であることを示す紙片が貼られています。


神沢利子さんとお会いしていた時、亡くなられたお母様の遺稿句集をまとめたいという話で、それなら一緒に作ろうということになりました。
それから材料をそろえてお宅に何度か通い、和装本の作り方を指南して、お嬢さんと3人で仕上げました。
この本は、そのお礼にいただいた、思い出深いものです。


その遺稿句集『朴の木抄』も紹介しておきます。
何部作製したのだったか……。三人で手に余るほどの部数ではなかったと思います。
左は手漉き和紙の筒状のケース。


ケースの題簽は神沢利子さんの自筆。


お母様がお召しになっていた着物を裏打ちして表紙にしました。四つ目綴じ。
題簽は神沢利子さんの自筆です。


奥付。手描きの朴の葉を貼りつけたのは、神沢さんのアイディア。(一部修正しています)


指南したのは製本だけで、ほかは神沢さんのセンスとアイディアです。
清楚な仕上がりになっています。








私のコレクション 高橋啓介『日本の限定本百粋』湯川書房刊(特装本)

2011年11月15日 | 特装本





高橋啓介著『日本の限定本百粋』湯川書房刊。
『限定本彷徨 上』(昭和62年)、『限定本彷徨 下』(平成元年)の2冊を総革装で合本にしたもの。
製本家 大家利夫氏による手づくり製本で、購入希望者20人以内ということで、記番がないので実際に何部造られたのかは不明です。

背(部分)。


署名紙が挟み込まれています。


奥付(部分)。画像を修正してある箇所には、私の名前が印刷されています。


募集の案内状。


案内状によれば、所蔵者の名前はペンネームでも大丈夫だったようですから、著名人の名前にしておけばよかったかなぁ(^_^;)
この案内状が届いたのが、長期にわたった大きな仕事が完成した時だったので、自分へのご褒美として購入を決めたんです。






私のコレクション 坂本一敏(3)  私刊本 『雨亭歌抄』(限定17部)

2011年11月10日 | 梶山俊夫





坂本一敏さんの自選歌集『雨亭歌抄』限定17部私刊です。

厚手の手漉き和紙で「たとう」を造りました。

表紙。題簽は坂本さんの自筆です。

タイトルページに署名が入っています。

大内香峰氏作の書票を貼り込んでいます。

奥付。画像の一部を修正しています。

当時の手帳を見ると、1996(平成8)年10月19日に日本書票協会全国大会が開かれ、その時に坂本さんから自選歌集を造りたいという相談を受けたようです。
作成部数が少ないため、和本四つ目綴じにすることはすぐに決まったように思います。原稿をワープロで打ち、割り付けしたものを和紙風用紙にコピーしました。表紙はご自身愛用の着物地で、何種類か預かって、裏打ちに適したものを選びました。
当時の手帳を見ると、12月15日の日曜日は裏打ちを試すこと三度目で、失敗したのも何枚かあったことが記されています。たとうに納めようと思ったのは、製本が出来上がってからだったと思います。
坂本さん自筆の題簽が届いたのが1996(平成8)年12月28日、その夜はブックデザイナーを囲む忘年会があり、帰宅が遅かったにもかかわらず、深夜に貼り終えて完成させました。翌29日にご自宅にお届けし、奥付の1997(平成9)年1月1日に間に合わせることが出来ました。
そうそう、お礼に何かプレゼントをしたいというので、いくつか提示していただいたものの中から、梶山俊夫氏の肉筆画を選んだことを思い出しました。
どこにしまったのか、見つけられなかったので、出てきたときに……。


<12/8 追記>
部屋を整理していたら、その肉筆画が見つかりました。12/8付の記事で紹介しています。


 

私のコレクション 坂本一敏(2) 『古書の楽しみ』(特装限定95部)

2011年11月09日 | 特装本





坂本さんの思い出は尽きませんが、ご厚誼をいただいたそもそもの始まりは、坂本さんが雑誌「古書通信」に「雨亭文庫」という名で古書店をなさっていた頃でした。後から聞けば、古書籍販売の鑑札まで取っていたのだそうです。

その時は、すごい経歴の方とも知らず、ふつうの古書店に注文するように、注文葉書に「目録によく載っている蔵書票(書票)というものについて教えてもらいたい」と書き添えたところ、注文した本と一緒に、たくさんの書票を送っていただきました。それから、書票の魅力にはまり込んでいったのです。


そんな坂本一敏さんの著書『古書の楽しみ』の私家版特装限定本。限定95部(別に家蔵本15部)。

左がかぶせ函、右は愛用の着物を表紙にしています。


函を開いたところ。


宮下登喜雄さん制作の書票が入っています。


添えられている「私家版刊行覚書」。


奥付。


そんなことから始まったおつきあいでしたが、やがて雨亭文庫で刊行していた豆本シリーズの発送をお手伝いするようになり、お宅に何度もお邪魔するようになっていきました。

ご相談を受けて、ご自身の自選歌集を造りたいということで和装本を造ったりもしたので、それは次でご紹介します。





私のコレクション 坂本一敏(1) 『蒐書散書』(特装限定60部、114部)

2011年11月07日 | 特装本





愛書家として、また日本書票協会会長として、またあるときは雨亭文庫の主人として活躍された坂本一敏さんの著作の一冊です。

造本にうるさかっただけあって、ご著書の限定版は凝っています。2種類の限定本を紹介します。

アトリエ・ミウラ1980年刊『蒐書散書』特装限定60部本。


マーブル紙装の函。


表紙クロスもマーブル染め。


三方小口もマーブル染めになっています。


識語「一期一會」と署名。


奥付。川端康成のノーベル文学賞の賞状をデザインしたことで知られるケルスティン・ティニ・ミウラ女史と夫君の三浦永年氏の手によるマーブル制作、製本ということが記されています。対向ページにおふたりの署名があります。切れてしまっているので、別に載せます。


手書きの限定番号が入ったページ。


ケルスティン・ティニ・ミウラ女史と夫君の三浦永年氏の署名。




もう1種類。書肆季節社刊の『蒐書散書』限定114部本(うち14部は芹沢銈介作品入り、100部は金守世士夫作品入り)


その金守世士夫作品。


識語は、やはり「一期一會」


限定番号の表示ページ。






私のコレクション 赤江瀑(10) 肉筆豆本 『薔薇の白毫』(限定20部)

2011年11月04日 | 赤江瀑





未来工房2004年3月刊。限定20部の肉筆豆本。


槐と桐で造られた箱を開いたところ。表紙とは別に、革貼りでタイトルを本金箔押ししたものが付いています。


表紙は木(黒柿)。木目を生かすためなのか、タイトルも入っていません。


仕様説明書。


前回紹介した『四月幻穹』と同様、表紙が紙ではなく木です。2枚目の画像をご覧ください。
本文との貼り付けが……和紙は木から作られるとはいえ、工夫もなしに「直接」貼りつけるというつなぎ方は感心できません。


私のコレクション 赤江瀑(9) 肉筆豆本『四月幻穹』(限定20部)

2011年11月03日 | 赤江瀑





未来工房2006年3月刊。限定20部肉筆豆本。

桐と檗の木箱(右)に納められています。左は神代杉の板表紙。


箱に納めたところ。


ページを開くと……


奥付に相当する箇所。


この本のように、紙ではなく、木や金属などの異質なものを表紙にする本は過去には結構たくさんあります。ほとんどが趣味の本です。

画像3枚目のように、表紙の木に本文の和紙を貼り、そのままだとどうしても違和感があります。

せっかくの肉筆限定本で20部しか作られていないのですから、この部分の処理は残念です。








私のコレクション 赤江瀑(8) 限定本『殺し蜜狂い蜜』(限定80部、120部)

2011年11月02日 | 赤江瀑
未来工房刊『殺し蜜狂い蜜』。1978年4月刊。A版限定80部本とB版120部本の2種類あります。

A版の函。


帙入り。


墨署名入り。


建石修志さんの銅版画(未綴じ)が、1葉添付されています。


限定表示のページ。



こちらがB版限定120部本。左はケース。


奥付。



限定表示のページ(画像5枚目)を見ると、下の奥付ページが透けて見えています。
もう少し斤量のある用紙を使ったほうが良かったのではないでしょうか。

限定120部になると、限定本と言うには造本がかなり簡素です。まあ頒価が5000円ですから、仕方がないかぁ。






私のコレクション 赤江瀑(7) 限定豆本 『野ざらし百鬼行』 『五月の鎧』(限定各180部)

2011年11月01日 | 赤江瀑





刊行順に紹介できていませんが(^_^;) 

未来工房刊の著者自選豆本2冊組み『野ざらし百鬼行』『五月の鎧』。限定部数はそれぞれ180部。
同時刊行ではなく『五月の鎧』が2004年12月、『野ざらし百鬼行』は翌2005年3月刊。2冊を納めるガラス製のケースに入っています。


それぞれの表紙。タイトルは赤江瀑さんの自筆。


裏表紙は爬虫類(ニシキヘビ)の革。



署名のページと揮毫のページがあり、各冊90部ずつ2種類の揮毫があるんだそうです。
だんだんマニアックになってきましたね。

肉筆のタイトルと落款が押された表紙は和紙なので、ケースへの出し入れでこすれてしまいます。ケースのガラスという材質が適切だったのか、ちょっと疑問が残ります。奇をてらい過ぎた感がします。
綺麗に保存するのであれば、ケースよりは箱帙に納めるのが良かったように思います。