最終回文庫 ◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されない不具合があります。ご容赦ください。

私のコレクション 『梶山俊夫絵本帖』特装本

2024年12月25日 | 梶山俊夫
梶山俊夫さんが亡くなられて(2015年6月16日没)から、来年2025年で10年になります。
我が家の毎朝の食卓には、梶山さんがゾウ、キリン、ワニがテニスをする姿を描いたお皿が並びます。このお皿を使い始めたのは、梶山さんと一緒にテニスをしていた頃ですから、かれこれ20年近くになります。

今日の本。
特装本・限定本という、発行部数が少なく、装幀に趣向を凝らした趣味の本の値崩れは目を覆いたくなりますが、出版当時は手が出なかったものが、最近では入手しやすくなりました。この本もそのうちの一冊です。
『梶山俊夫絵本帖』特装本限定150部 あすか書房 1981年11月10日刊
梶山さんの陶画がはめ込まれた紙帙に、上下巻2冊が収められています。

紙帙

窓に嵌め込まれた陶画

(左)下巻             (右)上巻  
表紙:麻布藍型染 
見返し:西ノ内菊池五介紙(梶山さんが好んで使っていた、茨城県奥久慈の西ノ内の菊池五介氏が漉いた和紙)

上巻の署名

奥付部分 限定150部のうちの最終番号。上巻、下巻の両方に奥付があり、これは上巻の奥付


下巻の署名

別添の肉筆画(一葉)


上巻に掲載されている絵の明細

下巻に掲載されている絵の明細


ページをめくると、梶山さんとの思い出がよみがえってきます。



私のコレクション 天野祐吉 述 梶山俊夫 畫『繪本蟲問答』(豆本)

2019年03月07日 | 梶山俊夫





天野祐吉 述 梶山俊夫 畫『繪本蟲問答』1981年夏 終日閑房(長野県戸倉町)刊 限定50部




71㎜×54㎜ 帙入り 本体と帙の題箋に手彩。標題紙裏と最終頁に手彩肉筆画。


 帙





 本体






 標題紙裏に貼り込まれた手彩肉筆画。最終頁にも手彩肉筆画があります。






終日閑房の本は、梶山さんが2015年6月にお亡くなりになってから手元に集まってきたものがほとんどです。

 これまでに紹介した『四分板塀にそって』昭和55年7月、終日閑房刊。限定60部と『梵盆栽緣戯』(宮川 健著 梶山俊夫繪)昭和54年7月30日 限定60部。は、いずれも終日閑房から刊行されたものです。

梶山さんから終日閑房についての話を伺ったことがあったのか……そういえばと、関連しそうな断片的なことを思い出しましたが、それが終日閑房のことだったのか確かめようとしましたが、調べてもたどり着けませんでした。何とも残念。



カテゴリー「梶山俊夫」を設けて、これまでの記事をまとめました。







手作り製本 毎日新聞連載小説 佐藤愛子『風の行方』 梶山俊夫/絵 

2018年04月25日 | 梶山俊夫





書棚を移動するのに、ぎゅうぎゅうに詰めてあった本を出してみたら、思い出があるものがいろいろ出てきました。

梶山俊夫さんに頼まれて製本したもの。
毎日新聞朝刊に連載された佐藤愛子/著『風の行方』の切り抜きを並べてコピーして、それをまとめて製本して紺色のクロス装にしたもの。371回の連載を3日分ずつ1ページにコピーしたもの。
今だったら、コピーする手間を考えただけで、やる気は起きないだろうなぁ……。



見返しには梶山俊夫さんの墨署名をいただきました。



文庫本(上下2冊)の表紙。
  


1997年8月に毎日新聞社から単行本が出版され、上の集英社文庫は1999年に刊行。
テレビドラマは1999年9月から全64話で昼ドラ枠での放送。だったようです。

何冊作ったんだったか。3冊? いや、5冊だったか……。









梶山俊夫さんからの年賀状 1991年~2008年

2017年03月15日 | 梶山俊夫




2015年6月に亡くなられた画家梶山俊夫さんからいただいた年賀状。
過去記事2つをまとめて、年賀状をいただいた年の順に並べ替えました。
画像のサイズが揃っていませんが、ご容赦ください。





 いちばん古いのは平成3(1991)年でした。この年の干支は「未🐏」。

  




 平成4(1992)年。この年の干支は「申🐵」。

  




 平成5(1993)年。この年の干支は「酉🐓」。

  




 平成6(1994)年。この年の干支は「戌🐶」。

  




 平成7(1995)年。この年の干支は「亥🐗」。

  




 平成9(1997)年。この年の干支は「丑🐄」。

  




 平成10(1998)年。この年の干支は「寅🐯」。

  




 平成13(2001)年。この年の干支は「巳🐍」。

  




 平成14(2002)年。この年の干支は「午🐎」。

  




 平成15(2003)年。この年の干支は「未🐏」。

  




 平成16(2004)年。この年の干支は「申🐵」。

  




 平成17(2005)年。この年の干支は「酉🐓」。

  




 平成19(2007)年。この年の干支は「亥🐗」。

  




 平成20(2008)年。この年の干支は「子🐀」。

  


    卯🐇と辰🐉の年が無く、十二支が全部揃ってはいません。




梶山俊夫さんからの年賀状の記事を一つにまとめましたので、過去記事は削除します。












私のコレクション *梶山俊夫作 『残夢 竹棒』 限定100部

2016年11月19日 | 梶山俊夫





梶山俊夫作『残夢 竹棒』
季刊「銀花」昭和55年8月25日発行 限定100部


 表紙。帙に貼ってあるのと同じ版木による題箋です。



表題紙部分。表紙裏側部分に署名と肉筆絵が入っています。




3つ折りの帙に納められています。絵は肉筆で、本と同じ題箋が貼ってあります。


帙を広げると最大A4のスキャナからはみ出すので、途中までです。




私のコレクション *梶山俊夫『ねずみ浄土』

2016年10月22日 | 梶山俊夫





発行:音楽文化集団ともしび 
昭54年9月30日 限定500部の内、木版画一葉添付(手彩、サイン入)の特装200部 和綴 

  赤いクロス装の帙。
 



  四ツ目綴じの和装本。
使っているのは梶山さんお気に入りの 西ノ内 菊池五介さん制作の手漉き和紙。



  別葉の手彩色、署名入りの木版画が添えられています。



  挿絵は丹緑本風。


季刊「銀花」45号(1981年春)の「書物雑記」欄で本書が紹介されていました。
手漉き和紙にオフセット4色で印刷。和綴じに仕立て、この作者独特の画風を、原画により近い形で味わうことができる。
 限定五百部のうち手彩色版画一葉つき二百部本一万二千円、並装三百部本三千二百円。









私のコレクション *梶山俊夫繪 『梵盆栽緣戯』(限定60部)

2016年09月12日 | 梶山俊夫




梶山俊夫さんが79歳で亡くなられたのは2015年6月16日ですから、もう1年以上が経ちました。
人づてに体が弱ってきておられることは聞いていましたが……。近親者だけの葬儀に入れていただいてお見送りしました。

お元気な時は長野や浜名湖などに旅行したこともあり、疎開先の常陸太田にほど近い北茨城でアンコウ鍋を食べるのが恒例行事のようになっていました。一緒にテニスも楽しんだり、骨董屋めぐりをしました。



昭和54年7月30日に限定60部刊行された『梵盆栽緣戯』(宮川 健著 梶山俊夫繪 終日閑房)。

布製の帙に『梵盆栽緣戯』と『阿ッ方齋夢残』の2冊が収められています。



布製の帙。木版の題箋が貼りつけてあります。




『阿ッ方齋夢残』肉筆画に木版の題箋が貼りつけてあります。




『梵盆栽緣戯』肉筆画に木版の題箋が貼りつけてあります。




奥付には、こう記してあります。

     本書ノ記番ハ、子丑寅
     卯辰巳午未申酉戌亥ノ
     十二支(著者刊行者本
     十二部)ト、東西南北
     ノ夫々十二支(一般頒
     布四十八部)ノ限定六
     拾部ニ、梶山俊夫自刻
     印版ヲ以テ押捺シタ。
     尚、限外本ハ一切製作
     セズ。


茨城の常陸太田に疎開していたころの話をまとめた本を上梓するお手伝いをしてから、もう20年も経ちました。












私のコレクション 坂本一敏(3)  私刊本 『雨亭歌抄』(限定17部)

2011年11月10日 | 梶山俊夫





坂本一敏さんの自選歌集『雨亭歌抄』限定17部私刊です。

厚手の手漉き和紙で「たとう」を造りました。

表紙。題簽は坂本さんの自筆です。

タイトルページに署名が入っています。

大内香峰氏作の書票を貼り込んでいます。

奥付。画像の一部を修正しています。

当時の手帳を見ると、1996(平成8)年10月19日に日本書票協会全国大会が開かれ、その時に坂本さんから自選歌集を造りたいという相談を受けたようです。
作成部数が少ないため、和本四つ目綴じにすることはすぐに決まったように思います。原稿をワープロで打ち、割り付けしたものを和紙風用紙にコピーしました。表紙はご自身愛用の着物地で、何種類か預かって、裏打ちに適したものを選びました。
当時の手帳を見ると、12月15日の日曜日は裏打ちを試すこと三度目で、失敗したのも何枚かあったことが記されています。たとうに納めようと思ったのは、製本が出来上がってからだったと思います。
坂本さん自筆の題簽が届いたのが1996(平成8)年12月28日、その夜はブックデザイナーを囲む忘年会があり、帰宅が遅かったにもかかわらず、深夜に貼り終えて完成させました。翌29日にご自宅にお届けし、奥付の1997(平成9)年1月1日に間に合わせることが出来ました。
そうそう、お礼に何かプレゼントをしたいというので、いくつか提示していただいたものの中から、梶山俊夫氏の肉筆画を選んだことを思い出しました。
どこにしまったのか、見つけられなかったので、出てきたときに……。


<12/8 追記>
部屋を整理していたら、その肉筆画が見つかりました。12/8付の記事で紹介しています。