その表紙。

ソフトカバーで、表紙の袖が折り返されています。

サインは、その袖に……この本、表裏の見返しがすべて黒なので、白いのは袖部分しかありません。
その表紙。

その目次。

見返しページに、見開きにわたってサインをいただきました。

定価900円は、当時としては高めの設定だったようです。
本の内容に合ったサイン……ということで、たとえば『ふりむけば猫』。
その表紙。
見返しの裏、タイトルページに対向するところに、こんなサインをいただきました。
オシャレでしょ。
その表紙。

その奥付。

表紙の折り返し部分に、サインをいただきました。

内容に合わせたサインをしてくださいます。
これから後、いくつかの作品を紹介していきますので、その実際をお確かめください。



「尾行」、「追跡」というタイトルのショートショート、あったかな?「追跡」だったら『ごたごた気流』に、「尾行」だったら『エヌ氏の遊園地』に収録されている作品です。
内容が不十分でしたので、画像を追加して、9/21に文章も付け加えました。

表紙はイメージとかけ離れていますね(^_^;)
その奥付。

奥付には挿絵画家名の表示がまったくありません。

でも、各ショートショートのタイトルページには、挿絵があります。
この本のタイトル『跟踪』と同名のタイトルページの挿絵です。

この絵は、あきらかに和田誠さんです。
角川文庫版『ごたごた気流』に収められている「追跡」のタイトルページがこれです。

まったく同じです。
角川文庫では目次ページに、挿絵画家名が表示してあります。

ところが、台湾版『跟踪』には、挿絵画家の表示がどこにもありません。
おかしなことに台湾版の冒頭には、こんなページがあります。

「授権書」とあります。中国本土を意識したものなのかもしれません。
この出版社は、著者に同意の署名をもらったことで、すべての権利を委譲されたと誤解したのではないでしょうか。
著者が挿絵も描いているとでも思ったのでしょうか。日本では考えられないことです。
……ということは、挿絵の和田誠さんには、著作権使用料は支払われていないのでは??



コレクション・シリーズの星新一篇は、ひとまず終わりにして、次からは赤江瀑です。妖艶な雰囲気を醸し出す作家として表舞台でよく目にしたお名前でしたが、最近は文芸誌、中間小説誌の広告でお名前を見ることもほとんどありません。寂しいですね。
この作家をご存知の方は、ほとんどいらっしゃらないのではないかと思いますので、受賞歴を並べてみます。
1970年「ニジンスキーの手」で小説現代新人賞、1974年に「オイディプスの刃」で角川小説賞で映画化、1983年に「海峡」「八雲が殺した」で泉鏡花文学賞を受賞しています。
以下は、「病膏肓」に属する、かなりマニアックな内容になります。
『獣林寺妖変』(1971年)は、強烈な印象が残る作品でした。
講談社から昭和46年に刊行されました。これは初版本。
本は売れ行き良好だと、重版します。その2刷本。

帯の色が黄色に変わりました。それとともに変わった部分があります。
製本方法が、角背から丸背になっています。

下が初版本、上が2刷本。
小口側から見ると…。
右が初版本、左が2刷本。 初版本にホコリが溜まっていますね(^_^;)
この違いを指摘する方はこれまでもいましたが、3刷本を比べると、さらに相違点が出てきます。
3刷本。

帯に相違点があります。

左が2刷本、右が3刷本。
2刷では白ヌキで「赤江瀑 処女作品集」としてあった部分がスミ刷りに変わり、使用されている書体が変更になっています。気合を入れて?新たに作り直しています。
ただ、3刷本に付ける帯をその時から変えたわけではなく、2刷用に作った帯の在庫があったためか、3刷本でも2刷用の帯が掛けられているものがあります。
2作目の『罪喰い』(1973年)で直木賞候補となりましたが、この時の受賞作は長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」と藤沢周平「暗殺の年輪」の2作でした。選考委員は9人、司馬遼太郎、柴田錬三郎、石坂洋二、水上勉、川口松太郎、源氏鶏太、村上元三、今日出海、松本清張というそうそうたる面々で、高評価したのは源氏鶏太ひとりだけでした。
2年後の1975年にも「金環食の影飾り」で、ふたたび直木賞候補になりましたが、この回は「受賞作なし」で、選評は良くありませんでした。
『獣林寺妖変』の2刷は1976年8月、3刷が同年の10月で、3刷で重版中止になりました。(4刷本を目にしていないので、そう思っています) 初版から5年の時を経て2刷を出し、その2か月後に帯を作り直して3刷を出したのは何故だったのでしょうか。時を空けての再刊の場合、「読者からの要望が高まって」とよく言いますが、再刊を希望する手紙が山ほど編集部に届くなんていうことはごく稀なことですから、出版社側の事情、著者側の事情など、なんらかの事情があったんでしょう。それをあれこれ考える(妄想する)のも、面白いですね。
この作品が文庫化されたのは、1982年。単行本の初版から実に11年後のことでした。それも出版各社の文庫本戦略と絡んでいたのでしょうから、そういった面からとらえてみるのも面白いかも。
この作家、マニアックなファンが多く、凝った造りの限定本が多いのが特徴です。それらの本については、おいおい紹介していこうと思っています。
今日紹介するのは、出版された時から「限定版」とされていたものです。『殺し屋ですのよ』というタイトルで1969年に未来プロモーションから刊行されました。

ジャケットに透明ビニールカバーが付いています。題箋を貼った段ボール製の外箱が付いています。
1冊ごとに署名が入っています。署名には何種類かありますが、同じ言葉でも少し違っています。たとえば……

他にも。
実際に何部刊行されたのかはわかっていませんが、完売できずに返品も多く、一部はゾッキ本として処分されたようです。
定価は800円。当時としても手が出ないほど高価というわけではなかったはずですから、販売方法にでも問題があったのかもしれません。
この本、古書展やネットオークションにたびたび登場するので、発行部数は1000部以上はあったのではないでしょうか。製本してからページをめくって署名するのは大変ですから、紙に署名したものを製本段階で綴りこんだようです。
通常の印税率10%では1部あたり80円ですから、×1000部では8万円にしかなりません。別に署名代が数十万円支払われたとしても、署名に要した手間と時間に見合うだけの報酬は得られなかったと思います。
「私のコレクション」としてこれまでに6回、星氏の署名本を中心に紹介してきましたが、星新一(本名:親一)氏が亡くなったのは、13年半前の1997年12月30日、享年71歳でした。その日、星氏の担当編集者から星氏の訃報のお電話をいただきました。今もそのときの状況を、ありありと思い出すことができます。
星新一氏が星製薬の御曹司だったことはよく知られています。父の星一が創業した星製薬の社訓に「親切第一」があり、親一という本名は、その社訓から取られているそうです。
これまでの「コレクション」紹介の中で、「病膏肓」と書きましたが、実は、こんなものまであるんです。
当時の星製薬が販売した「ホシ胃腸薬」。紙筒入で定価50銭。
ハングル文字が並記されています。
これはネット・オークションで手に入れました。
父親の星一氏は渡米中に亡くなり、急遽、星新一氏が社長に就任しましたが、経営が怪しくなってきたころのことで、会社の権利一切を引き継ぐ手続きをした後、作家としての道を歩み始めるのです。
……その経緯については、ご自身の『人民は弱し 官吏は強し』や、最相葉月さんの労作『あのころの未来 星新一の預言』で、うかがい知ることが出来ます。
ミーハーなファンだったので、お会いした時に、当時購入した缶入りの「ホシ胃腸薬」にサインをお願いをしましたが、今になって思えば、ご自身の心中は穏やかではなかったかもしれません(^_^;)
星新一氏の祖父は小金井良精という著名な解剖学者、人類学者で、その奥さんが森鷗外の妹、小金井喜美子という家系だということは、あまり知られていません。
タイトルに「署名本」とつけておきながら、本ならぬ缶が登場でした(^_^;) ちょっとしたカン違いということで、ご容赦を。
ここまでくると「病膏肓に入る」と言われてしまいそうです。
『花とひみつ』私家版400部限定本です。
縁あって、手元にやってきました。
その標題紙。
星新一氏にご署名をいただいたのは、ショートショート1001篇を達成なさったときでした。
和田誠氏にご署名をいただいたのは、それから10年以上経ってからでした。
「星さんのサインは、僕だって持っていないよ」とおっしゃっていました。
和田誠氏の私家版絵本は全部で7冊あります。その全冊を持つことは不可能に近いですが、谷川俊太郎氏との『しりとり』(限定500部)は持っています。
標題紙。トリミングしてあります。
谷川俊太郎氏と和田誠氏両者のご署名をいただいているのですが、私への宛名が入っているので写真は載せません。
この『しりとり』は1997年にいそっぷ社から復刻版が出ています。それはまだ入手可能のようです。
この2冊を含めて、私家版絵本全7冊が復刊ドットコムで、今月末にセット販売(分売不可)されます。
オリジナルではとても持てないけど、手元に置きたい方は、ぜひ予約を! 18900円と、ちょっとお高いですが(^_^;)
→ http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68319548