さて、鶴の友でございます。
地元に住んでおりましても鶴の友の評判は一際高うございます。
本日も内野の酒飲みは鶴の友でいい心地になっていることでございましょう。
この鶴の友、一番安いものは上白という名前で売られておりますが、
これをぬる燗にして飲むと、まあうまいことうまいこと。
香りなどに派手さはありませんが比較的味がございまして
しかししつこさはなく、しっかりした骨格を奥に感じるような
そんなお酒でございます。
是非にも燗をつけるべきでございます。
で、そんなお酒が一升1800円で手に入るということになりますと
他のお酒はいきおい買わなくなります。
実際の所は鶴の友が異常なのでありますが
恐ろしいもので鶴の友に慣れると
他の造り酒屋はどれだけ暴利をむさぼっているのか?
などと思えてくるのであります。
この樋木酒造さん、どうも造り酒屋というもの、
半公共的な性格を持つものというような考え方を
持っておられるようでありまして
詳しい事は書きませんが
世話になった人もさぞ多いでしょう。
どうやらノブレス・オブリージというもの、
この世に本当に存在していたらしい、
そう思える話があれやこれやと。
この家あって、あの酒があるのでございましょうなぁ。
http://blog.goo.ne.jp/merino_wool 鶴の友 副題 羊の基準酒 より引用
北関東の住民の私が申し上げるのも大変に”おこがましい”のですが、さすが内野育ち-----この方は本当によく鶴の友と樋木尚一郎蔵元のことをご存知です。
肩のこらない短い文章で、”鶴の友の本質”を的確に指摘しています。
「鶴の友は建物以上に中に住んでいる人間のほうが、今の世にありえない文化財だ」-----尊敬する大先輩の早福岩男さんが、かつて言われたこの言葉の”意味”の一番良い”解説”が、上記の文章です。
今の日本にはきわめて少ない”有りえない人”が造っているから、”有りえない酒”になる-----それが鶴の友という酒の持つ”凄さの本質”なのです。
鶴の友について-2--NO1の最後に書いたように、業界の人間だったかつての私は”怖くて”理解できず、その”凄さ”を”有りえない酒質”に限って”理解”しようと努力していました。 久保田が発売されたころ私は苦戦しながらも、状況が好転し始めたこともあり、先に希望を持てる状態になっていました。しかし、鶴の友について--NO6に書いた”予言”をこの時期しているのですから、”努力”は無駄だったようです。
このころ、おそまつな私もほんの少し、”新潟の酒”のことが分かるようになっていました。 日本人の食生活の変化を見通していた、嶋悌司先生の”強い信念の指導”で登場した、軽くて切れの良い、酒を造っているより酒粕を造っていると言ったほうがある意味で当たっている”新潟淡麗辛口”の姿も、10号酵母、五百万石(新潟県産の酒造好適米)、低温発酵------この”原則”は同じなのに、蔵により”差”と言うか”個性”があることも分かり始めていました。
平成3年まで私は、〆張鶴、千代の光、八海山、そして鶴の友を酒質だけではなく”それ以外”も同時に比較できる、”恵まれた立場” にありました(以下の各銘柄への感想は昭和の終わりのころまでのもので、現在とは違っています)。
軽くて切れが良く、それでいて素っ気ないと感じないぎりぎりの”まるみ”を持つ、”鋭角的”な八海山、越乃寒梅(発売2年目までの久保田もこのタイプでした)。
軽みと切れの良さを持ちながらも角がなく、バランスがとれどこも引っ込まずどこも出張っていない〆張鶴。
淡麗タイプにはまれな甘さを持ちながらも、切れの良さがそのやわらかい甘さをむしろ”魅力的”なものにしていた千代の光------おそまつで浅い知識しかない私でも、10年以上見させてもらう機会を与えてもらえば、分からないなりにその酒質を納得できていました。
しかし、鶴の友は何故あの酒質になるのか、まったく見当もつかずまったく分からずじまいでした。
樋木尚一郎社長にお尋ねしても、酒質以外の話になることが多く、またその話が大変興味深く、他の蔵と違うゆっくりした時間が流れていて、その心地よさにつつまれ酒の話を伺う前に帰る時間になってしまうが常でした。
自分なりに”勉強”もし、他の蔵にもお聞きしたのですが、「あの蔵は別格で-----」という感じのお話がほとんどで、浅い知識しかない私でも”技術的には矛盾”と思える酒質の不思議は、分からないままでした。
新潟淡麗辛口を売って酒販店として”飯が食える”ようになりたい------という”日常”を失いたくなかった私は、それ以上踏み込まないように自分の気持ちを、懸命に”封鎖”していたのかも知れません。しかし、その”封鎖”があまり成功していないことも”頭の片隅”では自覚していました。
八海山、〆張鶴、千代の光に続いて鶴の友が、私の店に並ぶ可能性がゼロであることは、最初に蔵に行ったときに、はっきりしていました。
それまで培ってきた酒販店としての”日常”を失いたくなければ、行かないのが”最善の選択”なのに、私は無理に”機会”を造ってでも、内野に行き続けました。
おそまつな私ですが、おそまつなりに何回も樋木尚一郎社長のお話を伺ううちに、自分が鶴の友の”何に”惹かれているのか、おぼろげながら見えてきました。
”何が”見えたのかは、鶴の友について-2--NO3で書きます。