癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

用意周到に準備する事

2017-05-14 09:32:00 | 気付いたこと

先日、前もって準備しておくためにお金を使う話を書きましたが、

お腹がすくことについてもそうだなーと思いました。

お腹がすいて力が出ない(誰?!)みたいになるのが嫌なの。
お腹がすいて気持ち悪くなりたくないし、やる気でないとか、とにかく自分がイヤな気分になることが嫌なの。

ってか、皆んなも自分が気分悪いところにいるのは嫌だと思うけど

以前、社宅に引っ越した時も、あれも揃えてこれも揃えて暮らしやすくしなくちゃって、色んなもの買ったりした。

収納とか大好きで収納便利グッズとかたくさん買ったけど、逆に物を増やすだけだったりね。
もちろんちゃんと役に立ったものもあるけど・・・。

でも、そうやってるうちにお金も無くなって、じゃあ次の給料日には今回買えなかったアレとアレを買って・・・とかやってると、もうその時点で次の給料日の予算決まっちゃって、自由になるお金がない!みたいなね。

一体
いつになったら、理想の家になって理想の暮らしができるんだろうって、ぐったりしながら考えたことあったわ、確かに。

暮らしやすくしたかったのは、便利に快適に暮らすためだけど、その根っこには、今は快適じゃないし、自分が困りたくない、このままじゃ困りそうだ、っていう不安があって、そこからやってるから、おかしな感じの着地点になってるんだろうね。

それにこれって、いわゆる「ない」に目が向いてるんだよね、今あるもの、揃っていて快適に暮らしてる部分には目がいってないんだよ〜。

つまり、快適じゃ「ない」とこばかり探して見つけてそこをなんとかしようとしているんだわ〜(−_−;)

なんていうか、快適に、困らないように、段取りよく、且つ効率的に整えて暮らすのは、こんな文明社会に生まれたんだから人として当然と思って、だから、快適じゃない部分、行く行く自分が困りそうな部分、今欠落していると思われる部分探しに躍起になってて、でもそれって、自分としては当然の行動で(何しろ人として効率のいい快適な暮らしは当然だと思ってるし)、当然すぎてどこがどういけないのか全くわからなかったよ〜(−_−;)

ホント、ピッタリ身についていて、目の中のコンタクトレンズくらいピッタリ張り付いていた価値観(前提・思い込み)だったよ。

何をどうしていいかわからない人ほど、常識を疑ったほうがいいのかもね〜。

なんとも壮大な、だけど単純なカラクリだー_| ̄|○