癒やされるかもしれない研究所日誌

人生とか人間関係とかお金とか、そんなことを考えて思ったまま綴っています。スピリチュアルなことも多いです。

さみしさと孤独

2018-03-29 14:55:31 | 気付いたこと

さみしさと孤独と向き合うって、自分自身と向き合うことなんだな、と思いました。

自分の見たくない醜い面と向き合う。

だから最初は、見るのもイヤ、触るのも怖い。

 

だけど、「えいやーーっ!」ってつかんでみて、なぜだかとってもほっとしました。

 

挑戦してみて、出来た!っていう嬉しさなのかな?

怖がって怖がって近づかなかったものだけど、そんな怖いものじゃなかったていう安心かな?

「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」って俳句(?)がありますが、そういう感じ?

初めて自分と出会ったような感じ?

そもそも、これほどのさみしさや孤独を自分は持っていたことに気付いてないかったし、向き合おうとしてもこれほど抵抗する自分にも気付いてなくて・・・ごめんねっていう気持ち。

 

でも、いい言葉が見つからないけど、ぎゅっと抱きしめたら、

「もう大丈夫、もっと幸せになっていける」

そんな感覚も出てきましたし、「自分が大好きだな」とも思えました。

 

自分の気持ちや自分の本音に敏感に反応して生きていけたら、もう、さみしさや孤独を抱えている自分を置き去りにしなくなるのかな、と思いました。


気持ちの変化のはじまり

2018-03-29 12:56:04 | 気付いたこと

1月は、引っ越しに伴う物の片づけや、お役所関係の手続き、その他もと住んでいた場所の会合やPTAの行事などで忙殺され、ものすごーーく忙しく、家の片づけがままならず、仕事を休まないと追いつかないことに・・・。

2月に入って3連休があり、ようやくゆっくり休むことができました。

自分の家でゆっくり休む。やりたくない家事は後回し。もしくは子供に頼む。
そしてやりたいこと(手芸など)をゆっくり楽しむ。

これがホントーーに幸せで、こういう時間で人生を埋め尽くしたいと心から思いました。

 

このころから、新たな変化が始まったと思います。

 

今までも変化の連続でしたけどね(^-^;

離婚したいけど離婚なんてするべきじゃない。
子供のために両親はそろっているべき。
年老いた旦那の親を見捨てるなんてひどいこと。
離婚したら、近所の人になんて言われるか不安。
嫁は家事をきちんとこなすべき。
子育てはしっかりするべし。
母親は優しいく子供の理解者であるべき。
親は子供を見捨ててはいけない。
人の悪口なんて言うべきではない。
頼まれたら引き受けるべき。
人から慕われる良い人を目指すべき。

長女が高校を中退するころ(もうかれこれ5年前?)までは、そういう常識の中で生きていました。

でも、長女の高校での不登校・中退で、こういったものが崩れはじめた。

それでもまだ変わるものがあるって、人間ていったいどれだけのものを抱えているんでしょうね。

 

そう、ちょうど2月の3連休前に、

Happyちゃんの記事   天の川銀河とのコンタクト

はるちゃんの記事   孤独のお値段

どちらも私にとっては衝撃的でした。

 

まずは、アヌンナキ!

昔からこういう話は興味があったので、もしかしたら地球って宇宙人の実験室なんじゃないかと若かりし頃思ったことがあったけど、どうやら当たらずとも遠からずだったのがびっくり。

人間がそういう遺伝子操作を受けていたのは、本当なんだろうなーと思う。

でも結局地球人て、「わお、地球人の遺伝子操作された体で3次元の人間を体験してみたいわ♡」って生まれてきてると思うので、アヌンナキを責める筋合いもないのかも・・・と思う。

でも、Happyちゃんが多くの人にこの情報を流したことで、大幅に「生きる」の意味の範囲が広がった気がするし、人間が今まで知覚してきたものの範囲がだいぶ狭かったことも分かったわけだから、これからまた、地球全体の流れが変わるんだろうな・・・なんて漠然と思った。

 

それとは対照的に「個に帰る」ようなはるちゃんの記事。

さみしさとか孤独って、人間みんな避けてる気がする。少なくとも私は避けて生きてきたよ。

見たくないもの、感じたくないもの、ないほうがよい感情、そういった風に扱ってきた。

はるちゃんみたいにさすがに孤独と二人きりの時間を優雅とは思えないけど、まず、私は孤独やさみしさとちゃんと向き合ったことがないなと思った。

心の中にはいろんな扉があって、楽しいこと・うれしいこと・得意なことの扉は次々と開けられても、孤独とかさみしさとか、ずっと開きたくない扉もあって・・・、はるちゃんの記事を読んで、そろそろ、今まで開けてこなかったそういう扉も開けてみないといけないのかなーーーと・・・。

今までと同じでは、これ以上は望めない。

思い切って、さみしさや孤独と向き合う覚悟、つまり一人きりになる覚悟をしてみてもいいんじゃないかなと思いました。実際離婚して、今は子供と暮らしているけど、子供たちだって巣立っていくのだし・・・。

 

そのころのメモ↓

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でも、誰にも振り返ってもらえない寂しさに耐えられるか?

 

もしかして、寂しさは耐えるものじゃないのかも。

見る角度の問題か?味わう?

寂しさって、もしかして、私こそが私を寂しくさせてる?

思ってるより私は私を見つめていない?愛していない?

確かに新しい生活が始まって、私に構ってあげてないかもなー

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こんなことがありまして、

世界はHappyちゃんの言う通り大きく広がっていく感じだけど、私は内へ内へと入っていく感じ。

まずはやはり、自分のことからですからね。

 

そして、孤独やさみしさと向き合うのは怖いけど、その怖さに挑戦してみるという形でどうだろう・・・と思いました。

 

その時のメモ↓

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挑戦

一人になる挑戦

そうしようと思うとできないけど、挑戦だと思うとやってやろーじゃんて思う。

そういう性格なのかな私が。

それとも、挑戦ていうスタンスがみんなもやりやすいのかなー

 

一人を極めることで、新しい世界が現れる気がする。

一人になるのあんなに怖かったのに、一歩さえ踏み出せばいいのかな。

 

 

孤独の扉は、怖くて誰も触れないけど、開けてみるとそこは見たこともない思いがけない世界が広がってるのかも。

今までのような生き方はもうしない。

そのために、もう一度やり直すために離婚して、新しい生活を手に入れたのだから。

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読み返すとなかなかこっぱずかしい( ̄▽ ̄;)

 

そんなわけで、今まで避けて通ってきた道を、避けないことにしてみました。