息子が帰ってきたので、昨日は家族揃ってお墓参りに行った。
で、
Mはこの時期に毎度思う。
お墓って必要?? って。
昔、息子がまだ中学生か高校生の頃に、Mが「墓はいらない」と言うと
「それじゃ俺ら、どこにお参りに行けばいいのさ?」と、息子は聞いた。
「わざわざ出かけなくても、思い出すのはどこでもできるっしょ。それでいいじゃん」と、M。
「でも、けじめがつかないっしょ」と、息子。
なんだなんだ?? 息子のアタマは凝り固まってるぞぉ~?
と、その時危惧した。
それにしても、
お墓って必要なの??
Mは、ものすごぉぉぉ~~く不自然に思えるんだなぁ……
ちょっと前に、テレビで(番組が分らんけど…)見て「ほぉ…」と思ったことがあって、
まぁ、それはお墓とはカンケーないんだけど、
石や砂利は、大きな岩とかから削られてできる。
土は生きものの死骸からできている。
……とな。
確かに。
分りやすいのは木の葉だね。朽ちると土になるもんね。
誰がどんなシチュエーションで言ったのか覚えてないのがMだ。
ただその時、「あぁそうか、だから土に帰るんだ」と思った。
人も土に帰る。
Mも土に帰りたい。
自然の一部になりたい。
そう考えた時、お墓に入るってことはめっちゃ不自然だ。
納骨するとき、お墓の下のほうを開けると、暗い空間がぽっかり口をあける。
暗くて湿った場所に、陶磁器でつくられたポット→木箱→入れる。
骨はいつまでも、暗くて湿った場所に置かれる。
それって、イヤだ。
そりゃ、死んだら何も分らなくなるんだろうし、
肉体は入れ物であって、焼いたあと骨になったところで、どうってことないんだろうけど、
今、生きてるMが思うに、Mが使ってたものだから愛着がある。
それを、暗くてじめじめした石の囲いの中に入れられるなんてゾッとする。
やっぱ、自然に帰りたい。
どこかの海でも、山の土の中でもいい。散骨してもらいたいなぁ。
お墓の建設ラッシュは人間のエゴ。
石を切って、土地を独占して、しまいには土地争いの種にもなって…。
狭い日本なのに。
生きてる人間でさえ、土地がなくて家も建てられないのに、
お金のある人は、死んでまでも交通の便の良い土地を保有して埋葬されてる。
今は、納骨堂とかいって、もっと不自然になってる。
Mの父親は納骨堂にいるけど、まだ生きてる母親は田舎の実家の墓に入ると言って、
実家の墓を勝手にリニューアルしていたっけ。
これまた……笑っちゃう。
で、その墓は誰が面倒みるのよさ??
お墓は、面倒を見てくれる人がいないと悲惨だよね。
ただ寂しいだけ。
墓石は崩れ、コケが生え、気味の悪いものになる。
自然に帰れば草や木が一緒なのに、古い墓石は異様で哀しい。
今年も、そんな思いで墓参りをしてきた。
今は、少子化やら子どものいない家が増えている。
先祖代々なんだろうけど、
お墓があるだけで逆に負担になってるという現実がある。
で、納骨堂っていう単純な発想なんだろうけど、
それって、本当に単純発想だ。
今は、共同墓地っていうのが、ボチボチ増えてるらしい。
あっっ!! やってもうた。 ↑シャレのつもりはないけど……
やっぱり区画があってお金を出すんだけど、それは管理する人がいるから仕方ない。
で、自然に帰すような墓地になっていて、公園になっているというのがいい。
あまり不自然な公園は嫌だけど、自然に帰れるならそれがいいなぁ……。
と、お盆にうだうだ思うMデあった。