以下は北海道大学山口二郎教授のレポートです。
熊本日日新聞への投稿記事です。
九月下旬、しばらくイギリスを訪れた。折しも、欧州財政・金融危機が深刻化し、また野党労働党の年次大会が開かれていた。この二〇年、日本ではイギリスの政治システムを模範として、改革を進めてきた。改めてイギリスの悩みや、両国の距離を見ることで、日本の課題を考えてみたい。
私自身は、資本主義の暴走を是正し、人間の尊厳を守る社会経済政策を追求するという理念に共鳴してきた。その意味で、イギリス労働党をモデルとして日本の民主党に政策提言を行ってきた。その労働党が一三年続いた政権を失った後、どのように再建するかは興味深い問題である。三日間に及ぶ大会は、野党といえども、多くのメディアが詳しく伝えていた。まず感心したのは、議論の文化が続いていることである。大会には多くの分科会が設けられ、様々な政策テーマについて、党員による議論が行われた。いつ政権に戻れるか分からないが、自分たちの党が誰を代表し、どのような社会を目指すのかという議論を怠らないというところに、政党の原点を確認した思いである。
また、全体会で母子家庭に育つ一六歳の高校生が保守・自民連立政権による歳出削減を糾弾する演説を行い、喝采を浴びていた。メディアは、現政権のヘイグ外相が三四年前、一七歳の時に保守党大会で演説を行ったのを彷彿とさせると評していた。日本では、未成年者による選挙運動は禁じられているくらいで、高校生が党大会で演説することなど想像できない。この青年を見て、政治家や指導者の育成は時間をかけて、若者を鍛えることによって行うのだと感心した。日本で、十代の若者を政治的な意味での無菌室に入れておいて指導者不在を嘆くのは、何とも矛盾した話である。
最終日に、ミリバンド党首が演説を行い、あぶく銭を追求する従来の資本主義モデルを変革し、新たなモラルに基づく社会経済システムを構築すると訴えた。彼はまだ若く、堅苦しい雰囲気で、支持率も低い。しかし、党員はこれから数年かけて、ミリバンドを首相候補に鍛え上げていこうと考えているようである。
野党指導者だけでなく政権指導部も一定期間持続することが、政治論議の自明の前提である点は、日本と大きく異なる。民主的な手続きによって選ばれた指導者には、途中不人気であっても仕事をさせ、次の選挙の時に国民が評価を下すというのが、イギリスの民主政治である。この五年間、毎年首相が交代してきた日本と比べると、権力に対する感覚がまったく異なることに、愕然とする。イギリスの国民もメディアも、ある意味では権力者に対して寛大である。多少のスキャンダルがあっても、辞めろという声は出てこない。国民は、数年間の政権の実績を吟味して、選挙でその政権の持続を許すかどうかを判断することを、自らの役割と認識している。
現政権のキャメロン首相は、深刻な財政赤字に対処するために、たとえば、大学の授業料を三千ポンドから九千ポンドに引き上げるなど、様々な歳出削減と負担増に取り組んで、各層の国民から不平、不満を招いている。確かに与党支持率は低い。しかし、党首の支持率では、キャメロンがミリバンドを大きくリードしている。つまり、国民は不満を持ちながらも、現政権が進める緊縮政策を、やむを得ないものと受け止めている。
二大政党が単独過半数を取れず、連立政権を作る。そして、政府は財政赤字や経済危機に対処するために、不人気ながら歳出削減と負担増に取り組む。これは、近未来の日本政治の姿かもしれない。大震災に見舞われた日本は、イギリスよりも政策選択の余地がないとも言えよう。イギリスを範とした改革を完結させるためには、日本でも目前の課題をどう解決するか、議論を蓄積し、次の選挙を迎えることが必要である。
熊本日日新聞への投稿記事です。
九月下旬、しばらくイギリスを訪れた。折しも、欧州財政・金融危機が深刻化し、また野党労働党の年次大会が開かれていた。この二〇年、日本ではイギリスの政治システムを模範として、改革を進めてきた。改めてイギリスの悩みや、両国の距離を見ることで、日本の課題を考えてみたい。
私自身は、資本主義の暴走を是正し、人間の尊厳を守る社会経済政策を追求するという理念に共鳴してきた。その意味で、イギリス労働党をモデルとして日本の民主党に政策提言を行ってきた。その労働党が一三年続いた政権を失った後、どのように再建するかは興味深い問題である。三日間に及ぶ大会は、野党といえども、多くのメディアが詳しく伝えていた。まず感心したのは、議論の文化が続いていることである。大会には多くの分科会が設けられ、様々な政策テーマについて、党員による議論が行われた。いつ政権に戻れるか分からないが、自分たちの党が誰を代表し、どのような社会を目指すのかという議論を怠らないというところに、政党の原点を確認した思いである。
また、全体会で母子家庭に育つ一六歳の高校生が保守・自民連立政権による歳出削減を糾弾する演説を行い、喝采を浴びていた。メディアは、現政権のヘイグ外相が三四年前、一七歳の時に保守党大会で演説を行ったのを彷彿とさせると評していた。日本では、未成年者による選挙運動は禁じられているくらいで、高校生が党大会で演説することなど想像できない。この青年を見て、政治家や指導者の育成は時間をかけて、若者を鍛えることによって行うのだと感心した。日本で、十代の若者を政治的な意味での無菌室に入れておいて指導者不在を嘆くのは、何とも矛盾した話である。
最終日に、ミリバンド党首が演説を行い、あぶく銭を追求する従来の資本主義モデルを変革し、新たなモラルに基づく社会経済システムを構築すると訴えた。彼はまだ若く、堅苦しい雰囲気で、支持率も低い。しかし、党員はこれから数年かけて、ミリバンドを首相候補に鍛え上げていこうと考えているようである。
野党指導者だけでなく政権指導部も一定期間持続することが、政治論議の自明の前提である点は、日本と大きく異なる。民主的な手続きによって選ばれた指導者には、途中不人気であっても仕事をさせ、次の選挙の時に国民が評価を下すというのが、イギリスの民主政治である。この五年間、毎年首相が交代してきた日本と比べると、権力に対する感覚がまったく異なることに、愕然とする。イギリスの国民もメディアも、ある意味では権力者に対して寛大である。多少のスキャンダルがあっても、辞めろという声は出てこない。国民は、数年間の政権の実績を吟味して、選挙でその政権の持続を許すかどうかを判断することを、自らの役割と認識している。
現政権のキャメロン首相は、深刻な財政赤字に対処するために、たとえば、大学の授業料を三千ポンドから九千ポンドに引き上げるなど、様々な歳出削減と負担増に取り組んで、各層の国民から不平、不満を招いている。確かに与党支持率は低い。しかし、党首の支持率では、キャメロンがミリバンドを大きくリードしている。つまり、国民は不満を持ちながらも、現政権が進める緊縮政策を、やむを得ないものと受け止めている。
二大政党が単独過半数を取れず、連立政権を作る。そして、政府は財政赤字や経済危機に対処するために、不人気ながら歳出削減と負担増に取り組む。これは、近未来の日本政治の姿かもしれない。大震災に見舞われた日本は、イギリスよりも政策選択の余地がないとも言えよう。イギリスを範とした改革を完結させるためには、日本でも目前の課題をどう解決するか、議論を蓄積し、次の選挙を迎えることが必要である。