九州電力、北海道電力のやらせメール、やらせ発言が政治問題化、マスコミで連日報道されています。九州電力のやらせメールは政府の第三者委員会の調査、提言を受けて対応がされました。しかし、九州電力は知事をかばう姿勢から、第三者委員会の調査報告を否定した最終報告書を提出しました。その最終報告書を経済産業大臣が理解不能としたために九州電力は報告書の書き直しを行うとされています。えー???というような対応です。事実は1つであり、国民を、佐賀県民を馬鹿にした話です。
以下は、北海道大学教授 山口二郎教授の投稿分です。
日本政治における議論の空しさを物語る事件として、原子力発電をめぐる公開シンポジウム等における「やらせ」が九州や北海道で明らかになりました。これは、公開の自由な討論会という外形を装いながら、原発反対意見が吹き出すことを恐れた電力会社が関係者を動員して賛成意見が目立つように事前に準備したということです。はじめから賛成派を動員するのなら、そもそも公開シンポジウムなど行う意味はありません。
大きな権力や資金を持った役所や電力会社がなぜそのように姑息なことをするのでしょうか。日本のエリートは、異なった考えの人と率直に議論するということに慣れていないのです。役所の審議会には,官僚の考えを正当化してくれるような学者、専門家が集められます。批判的な立場の学者とは、議論の場さえ存在しません。増して、官僚や大企業から見れば無知蒙昧に見える地域住民を相手にまともに議論する意味などないというのが、日本のエリートの発想でしょう。
今回の福島第一原発の事故はそうした異論との対話を拒否する独善的体質がもたらしたものと言えます。異論を謙虚に聞いていれば、原子炉に対する安全対策がもっと十分に行われていたはずです。はじめに結論ありという姿勢こそ、政策の失敗の原因です。
以下は、北海道大学教授 山口二郎教授の投稿分です。
日本政治における議論の空しさを物語る事件として、原子力発電をめぐる公開シンポジウム等における「やらせ」が九州や北海道で明らかになりました。これは、公開の自由な討論会という外形を装いながら、原発反対意見が吹き出すことを恐れた電力会社が関係者を動員して賛成意見が目立つように事前に準備したということです。はじめから賛成派を動員するのなら、そもそも公開シンポジウムなど行う意味はありません。
大きな権力や資金を持った役所や電力会社がなぜそのように姑息なことをするのでしょうか。日本のエリートは、異なった考えの人と率直に議論するということに慣れていないのです。役所の審議会には,官僚の考えを正当化してくれるような学者、専門家が集められます。批判的な立場の学者とは、議論の場さえ存在しません。増して、官僚や大企業から見れば無知蒙昧に見える地域住民を相手にまともに議論する意味などないというのが、日本のエリートの発想でしょう。
今回の福島第一原発の事故はそうした異論との対話を拒否する独善的体質がもたらしたものと言えます。異論を謙虚に聞いていれば、原子炉に対する安全対策がもっと十分に行われていたはずです。はじめに結論ありという姿勢こそ、政策の失敗の原因です。