“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

なくせ!原発10.30大集会inふくしま

2011年10月31日 17時40分04秒 | 臼蔵の呟き
なくせ!原発10.30大集会inふくしま
安心して住み続けられる福島を!の集会が福島市四季の里で開催されました。参加者数は10000人を超え、全国の都道府県から集会参加者が来場しました。

会場は福島市の西、あづま運動公園のすぐ横に面していました。全国からの参加者、バス、車両でいつもは静かなあづま運動公園一体はにぎやかでした。銀杏の木も紅葉して、非常に綺麗な田園風景の中での集会開催でした。それだけに東京電力による目に見えない放射能汚染の怖さと被害の甚大さが感じられる一日でした。続いて挨拶を紹介します。


<飯館村村長 菅野典雄さん>
みんなで作り上げた飯館村が全村避難を強いられました。悔しくて無念です。愚痴っても解決しないので必死でがんばっています。全国から参加された方に訴えたいことがあります。大量生産、大量消費、大量廃棄の生活を見直すときだと思います。人と人との関係も見直すべきときにきていると感じています。3.11震災を契機に(我々は)考える機会に直面していると思います。我々の取り組みで30年、50年先の社会が良くなったといえる社会にしたい。故郷は遠くにありてーーというが、故郷はそこに住んでいて(価値ある)のものと思う。

<日本共産党委員長 志位和夫さん>
「3.11以前の当たり前の生活に戻して欲しい」これが、福島の人たちの願いであると思います。今回の事故は、全て国、東京電力に責任がある。そのことを訴えるべきである。まずは、除染を徹底する事が大切です。対象面積は11600㎡、今回政府が予算化したのは除染予算2400億円、その他を入れて1.2兆円しかない。このくらいの予算では対象地域を除染する事は出来ない。政府はやる気がないのである。避難地域の方が故郷に帰る事が出来るように除染を全てやるべきである。
二つ目に、東京電力に原発事故の全面賠償をさせるべきだ。賠償請求手続きが煩雑である。共産党は国会で東京電力西澤社長に問いただした。しかし、東京電力は事故が人災であることは認めない。これは賠償を値切ろうとしているからだ。
電力業界は4.8兆円の積み立て金がある。その積立金を賠償資金として取り崩すべきだ。また、原発利益共同体(重電メーカー、ゼネコン、大手金融機関など)にも賠償責任を負うべきことを求めて行きたい。野田内閣にも求めて行きたい。「全国で原発なくせ!」の声が大きくなっている。

なくせ!原発10.30大集会inふくしま

2011年10月31日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
なくせ!原発10.30大集会inふくしま
安心して住み続けられる福島を!の集会が福島市四季の里で開催されました。その集会に参加して感じたこと、内容を幾つか報告します。

参加者数は10000人を超え、カンパは107万円が寄せられたと発表されました。全国の都道府県から集会参加者が来場しました。北海道の参加者は、前日、福島での除染ボランテアに参加したと報告がされました。

挨拶には浪江町長、飯館村村長、福島県農業協同組合中央会会長、前福島県知事、日本共産党委員長、原発ゼロを目指す全国の会、浜岡原発の廃炉を目指す会代表などの挨拶がありました。挨拶の幾つかを紹介します。

<福島県農業協同組合中央会会長の挨拶>庄條徳一さん
この国を担う子供たちの夢を奪った事故を許すことは出来ない。原発政策を進めてきた政府、東京電力の人災だとの観点で対決してきた。先人から受け継いだ豊饒な大地、すばらしい自然を私どもの世代で少しでも取り戻したい。子や孫がふるさとに帰り、農業を生業にするようにがんばっています。福島県産の農産物は市場に流通するものは、安全です。是非利用し、福島県の復興のために協力をして欲しい。

<浪江町長>馬場有さん
私は今、政府、東京電力に除染を一生懸命やるように強く訴えています。東京電力の賠償に関する手続きが始まっているが、東京電力の対応は目線が上からでとんでもないことだ。加害者は東京電力である。賠償請求書を書けなど上から目線での対応は許せない。浪江町は21000人の人口があった。しかし、その町民21000人は全国にチリジリになってしまった。こういう状況を作ったのは東京電力だ。国策として国の責任もある。私は国と東京電力に果敢に挑戦してゆく。参加者の熱い支援をお願いしたい。

養殖カキが水揚げ

2011年10月31日 06時10分00秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、震災後初水揚げのカキの話です。

宮城県の牡鹿半島は太平洋に南向きに突き出ています。その付け根付近に万石浦(まんごくうら)があります。浦ですがちょうど小さな湾のようなものです。浦の入り口が、津波が来た方向と反対側を向いています。この万石浦では養殖施設が残ったのです。10月29日に震災後初めて、養殖カキの水揚げが一斉に行なわれました。今期の宮城県のカキは450トンほど揚がります。

宮城県漁協によると、例年の一割程度の出荷になるということです。

もう一つの震災からの復興お話です。27日に女川町でホヤ養殖の研修会が開かれ50名の漁師さんたちが集まりました。全国一の生産量を持ち、ホヤの種は石巻市の鮫浦湾で捕れる天然採苗したものを使っていました。鮫浦湾のホヤの養殖施設が壊滅的な被害を受けたため、各地のホヤ養殖の漁師さんたちは、自分で苗を確保する必要があるのです。研修会では、宮城県の技師から天然ホヤを陸上の水槽で産卵させて、シュロ縄やカキ殻に付着させる方法を指導したそうです。
ホヤは大きくなるまで3年かかりますので、大変な努力が必要です。

ワカメは来年から出荷が出来るので、養殖物の復活はワカメが最初になります。

先日、神戸から来た客人にホヤをご馳走出来ないのは残念でした。