24日ブログで仙台漫画展のことを書きました。この企画は3.11震災後の時期に初めには(当初)計画されていました。震災があり7ヶ月遅れて開催されました。その出品者の何名かの方は現在亡くなっています。その方々が、存命中にこのような企画が考えられ、出品されているようです。
この作品展示で関心したことは、「中国、満州引揚者」である漫画家(当時は10歳前後の少年)が中国のことを怨んでいないことです。これは凄いことだと思いました。終戦と同時に住む家を追われ、中国からの引き上げ船で逃げるように着の身着のまま引き上げてきたわけです。非常に過酷な条件で日本に帰国し、苦労を重ねて漫画家とて成功した方々です。
当時、中国に対して日本が行った行為はほとんど展示、記載されていませんのでわかりません。しかし、出品者である漫画家が語らないくらい日本軍の行為はむごいものだったのだと思います。それに比較したら、「自分たち=漫画家、家族」の関係した中国人、満州の人々は彼ら日本人に「優しく」接したのだと思います。
赤塚さんは相手が中国でなく日本軍、ドイツ軍だったら「皆殺しされた」かもしれないと語っています。(記録で)他国を侵略した日本軍、軍属が満州、中国にしたことを思えば出品者である漫画家がこのように語るのは当然かもしれません。
歴史的事実をめぐって白黒逆転させる動きもありますが、今回の展示会は当事者でもある引揚者の作品、言葉として重いものがありました。また、日中戦争、歴史的事実を受け止め、自らの作品、言葉で語る漫画家に感謝もします。自分も救われるような思いがします。
この作品展示で関心したことは、「中国、満州引揚者」である漫画家(当時は10歳前後の少年)が中国のことを怨んでいないことです。これは凄いことだと思いました。終戦と同時に住む家を追われ、中国からの引き上げ船で逃げるように着の身着のまま引き上げてきたわけです。非常に過酷な条件で日本に帰国し、苦労を重ねて漫画家とて成功した方々です。
当時、中国に対して日本が行った行為はほとんど展示、記載されていませんのでわかりません。しかし、出品者である漫画家が語らないくらい日本軍の行為はむごいものだったのだと思います。それに比較したら、「自分たち=漫画家、家族」の関係した中国人、満州の人々は彼ら日本人に「優しく」接したのだと思います。
赤塚さんは相手が中国でなく日本軍、ドイツ軍だったら「皆殺しされた」かもしれないと語っています。(記録で)他国を侵略した日本軍、軍属が満州、中国にしたことを思えば出品者である漫画家がこのように語るのは当然かもしれません。
歴史的事実をめぐって白黒逆転させる動きもありますが、今回の展示会は当事者でもある引揚者の作品、言葉として重いものがありました。また、日中戦争、歴史的事実を受け止め、自らの作品、言葉で語る漫画家に感謝もします。自分も救われるような思いがします。