憲法、憲法に基づく三権分立、議会制民主主義の否定を許すのか、基本的原理を守るのかの闘いです。安倍、自公政権のごまかしと、暴走を止める力は、国民の自覚と安倍、自公政権への批判しかありません。彼らの国民愚弄の政治、政権運営を認めず、憲法9条に基づく政治実現、自衛隊への規制などを通じた縛りを徹底することで、今回の閣議決定を有名無実化させることができます。
彼らのごまかしと暴論を打ち破り、国民に広く知っていただく国会における徹底審議を展開することが重要です。自民党、公明党、元維新の会、民主党の一部が集団的自衛権行使容認の動きをしたとしても、次の総選挙で彼らの多くが再選されないことが感じられるような国会内外の連携した運動こそが歯止めとして機能するのだと思います。
<東京新聞社説>安保関連法の整備 平和主義の逸脱許さぬ
政府が「集団的自衛権の行使」を容認したとはいえ、憲法の平和主義からの逸脱は許されない。自衛隊活動を拡大するための関連法整備が守るべき一線を越えるのなら、とても認められない。
集団的自衛権の行使を認める閣議決定を受けて、政府は関連法案を準備する作業チームを国家安全保障会議内と防衛省に設置した。法案化に向けた作業を急ぎ、今秋に召集を予定する臨時国会以降、準備できた法案から順次、提出する方針だ、という。
政府が自らの憲法解釈の変更を閣議決定したからといって、直ちに集団的自衛権を行使できるようになるわけではない。自衛隊が実際に活動するには、根拠法を国会で成立させる必要があるからだ。
行使容認に伴い、政府が改正を想定する法律は、自衛隊法や周辺事態法、国連平和維持活動(PKO)協力法など十本以上に上る。
法案は提出前、自民、公明両党の事前審査を経るだろう。その際、立法者の目で精査してほしい。戦後日本が歩んできた平和主義の道から外れてはいまいか、と。
「自存自衛」を掲げて派兵した先の大戦の反省に立つ平和主義の根幹は「海外での武力の行使」をしないということに尽きる。
集団的自衛権に基づいて他国同士の戦争に参戦すれば、それが「個別的自衛権に匹敵する事態」(山口那津男公明党代表)だったとしても日本は敵国とみなされるだろう。自衛隊も攻撃されて交戦状態に入れば、双方に戦死者を出す。
それでも「専守防衛は全く変わらない」と強弁できるのか。
安倍晋三首相は会見で「武力行使が許されるのは自衛のための必要最小限度でなければならない。従来の憲法解釈と基本的な考え方は何ら変わらない」と話した。
ならばなぜ、集団的自衛権行使の可否をめぐり、全く逆の結論が出てくるのか。理解に苦しむ。政府の今回の解釈変更は、許容される自衛の措置の限界を示したそうだが、私たちは平和主義の限界をはるかに超えたと考える。
与野党は、七月中旬以降、衆参両院の予算委員会でそれぞれ、首相も出席して集中審議を行う方向で協議している。
政府が、一内閣の閣議決定で長年積み重ねた憲法解釈を変えてしまおうとするなら、それをまず止められるのは国会である。限界を超えた法案なら政府に再考を促すか、自ら廃案、修正に動くべきだ。それこそが国権の最高機関としての見識ではないか。