“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

米軍の犯罪 枯葉剤疑い

2014年07月07日 11時43分45秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党政権が閣議決定した集団的自衛権行使容認にも関係する話です。かつて、米軍がベトナム戦争に沖縄から爆撃機、海兵隊などを派遣していました。その直接的出撃基地化されていた沖縄から、ベトナムで大量に散布された枯葉剤が発見されたとの報道です。今から40年近く前のベトナム戦争の残骸がこのようなかたちで発見されると言うのはなんともやり切れない話です。

この枯葉剤で奇形児が沢山生まれたと報告されています。侵略戦争がどのような理由、理屈をつけようとも、正当性がないものであることを証明しているように思います。正義の戦いがあるのかどうか分かりませんが。他国を侵略し、武力を行使することがそもそも正当性などは侵略者にとって眼中にないのかもしれません。正統性がないからこそあらゆる不法行為を行い、武力で相手国を支配しようとするのだと思います。

<琉球新報>米軍の犯罪 枯葉剤疑い濃厚

 【沖縄】ことし1月、米軍基地返還跡地の沖縄市サッカー場から新たに見つかったドラム缶から、沖縄市の調査分析で米軍がベトナム戦時に使用した枯れ葉剤「エージェント・オレンジ」の主要成分の一つ「2・4―D」が初めて検出されたことが、6日までに分かった。もう一つの主要成分「2・4・5―T」も検出されており、ドラム缶の汚染物質に「エージェント・オレンジ」が含まれている可能性が極めて高くなった。
 枯れ葉剤に詳しい専門家は「オレンジ剤と同じ成分が検出された。枯れ葉剤が埋められたのは間違いない」と断定している。

 沖縄市は1月末に発見したドラム缶計61本の付着物や底面土壌、たまり水から試料を採取し、南西環境研究所へ委託して調査・分析を進めてきた。枯れ葉剤の主要2成分は、埋設ドラム缶のたまり水から検出された。市は6日、関係部局の幹部・職員を集めて調査結果を説明した。市は今週にも結果を公表する。
 調査したドラム缶61本中、3本から土壌の環境基準値を超えるダイオキシン類が検出された。最高値は基準値の約2倍という。そのほか、PCB(ポリ塩化ビフェニール)やPCP(ペンタクロロフェノール)も検出されているとみられ、枯れ葉剤に加えてその他有害物質による「複合汚染」の可能性が指摘される。
 ダイオキシン類と枯れ葉剤を研究する本田克久愛媛大学教授は「何種類もの枯れ葉剤・除草剤はあるが、オレンジ剤典型の成分が検出された。同じ組成の枯れ葉剤が埋められていたのは間違いない」と話す。
 2013年6、7月には計22本のドラム缶が、市サッカー場から発掘された。市の前回調査では、缶の付着物から土壌環境基準値の8・4倍のダイオキシン類が検出された。22検体中18検体から「2・4・5―T」が検出されたが、「2・4―D」はなかった。枯れ葉剤特有のダイオキシン類も高濃度で検出された。
 今回調査したドラム缶計61本のうち、30本はダウ社とみられる表記があった。

<用語>枯れ葉剤
 猛毒のダイオキシン類を高濃度で含む除草剤の一種。ベトナム戦時中、米軍が密林の枯死などを目的に空中から大量散布した。散布地域で、がんや出産異常など人体への有害性が指摘されている。ベトナムで主に使用された「エージェント・オレンジ」は毒性が強く、枯れ葉剤主要成分の「2・4・5―T」と「2・4―D」を混合して製造された。

ベトナム戦争は、インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムjで発生した戦争である。第二次インドシナ戦争とも。ベトナムでは抗米救国闘争といわれる(インドシナ戦争は抗仏救国闘争)。

ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争であるため、ベトナム戦争がいつ開始されたかについては諸説ある。南北ベトナムの統一戦争という観点からは、南ベトナム解放戦線がベトナム共和国(南ベトナム)政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月というのが一般的である。

この戦争はアメリカを盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営との対立を背景とした代理戦争と言われた。

第一次インドシナ戦争終結後も、北ベトナムが支援する南ベトナム解放戦線が南ベトナムで武力を用いた反政府活動を続けたため、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー政権は少数のアメリカ軍人からなる「軍事顧問団」を南ベトナムに派遣した。(口実)ケネデイ大統領は軍事顧問団の規模を増大させた。ジョンソン大統領は大規模なアメリカ軍を送ってベトナム戦争に積極的に介入した。

アメリカの他にSESTO(東南アジア条約機構)の主要構成国である大韓民国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが南ベトナムに派兵した。ソビエト連邦や中華人民共和国は北ベトナムに対して軍事物資支援を行うとともに多数の軍事顧問団を派遣したが、アメリカやSEATO諸国のように前面に出る形での参戦は行わなかった。

ベトナム戦争をめぐって世界各国で大規模な反戦運動が発生し社会に大きな影響を与えた。1973年のパリ協定を経てニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。その後も北ベトナム+南ベトナム解放民族戦線と南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦となった。


内田樹教授の考察 解釈改憲と自民党の政治独裁

2014年07月07日 05時25分24秒 | 臼蔵の呟き

『憲法の空語を充たすために』まえがき

『憲法の空語を充たすために』というリーフレットを来月出版する(かもがわ出版)。その「まえがき」をさきほど送稿したので、どういう本かご理解いただくためにここに採録。

みなさん、こんにちは。内田樹です。
このリーフレットは2014年5月3日の憲法記念日に神戸市で行われた兵庫県憲法会議主催の集会で行った講演に加筆したものです。
 この講演のあと、予想通り、安倍晋三政権は7月1日の閣議決定によって歴代政権が維持してきた「集団的自衛権は行使しない」という方針を転換し、海外派兵への道を開きました。日本の平和主義を放棄するという歴史的決断を首相個人の私的諮問機関からの答申を受けて、自公両党の与党協議による調停だけで下したのです。
国のかたちの根幹にかかわる政策の変更に立法府がまったく関与していない、つまり国民の意思が徴されないという異常な事態にもかかわらず、国民の側からはつよい拒否反応は見られません。讀賣新聞やNHKは内閣の方針に賛意をあきらかにしており、民主制を否定するような手続き上の重大な瑕疵についても強い抗議の声は聞こえてきません。
もちろん市民の側からは反対の意思表示がなされていますが、大手メディアの支援を受けた内閣が支持率40%台を維持している以上、市民の議会外からの批判が内閣の方針を動かすことは期待できないというのが現状です。
日本の民主制がこれほど脆弱であったこと、憲法がこれほど軽んじられていることに多くの人は驚倒しています。なぜ、日本の民主制はこれほど脆いのか、なぜ戦後70年にわたった日本の平和と繁栄を下支えしてきた憲法を人々はこれほど侮り、憎むのか。

私は護憲の立場にあるものとして、日本の民主制と憲法の本質的脆弱性について深く考えるべきときが来ていると考えています。私たちの国の民主制と平和憲法はこれほどまでに弱いものであった。わずか二回の選挙で連立与党が立法府の機能を事実上停止させ、行政府が決定した事項を「諮問」するだけの装置に変えてしまった。
立法府が機能不全に陥り、行政府が立法府の機能を代行する状態のことを「独裁」と言います。日本はいま民主制から独裁制に移行しつつある。有権者はそれをぼんやり見ている。ぼんやり見ているどころか、それを「好ましいことだ」と思っている人間が国民の半数近くに上っている。

独裁によって受益する見込みがある人たち(与党政治家、官僚、財界人)がこれを歓迎することは理解できます。でも、独裁によって受益する可能性がまったく見込めない有権者たちがそれでもなお独裁を歓迎するのはどのような根拠によるのか。ワイマール共和国の末期、ヒトラーへの全権委任についての国民投票では89.9%が賛成票を投じました。第三共和政の末期、フランスの国民議会議員の85%はペタン元帥への全権委任に賛成票を投じました。なぜ、ドイツやフランスの市民たちは自国を近い将来破滅に導く指導者にこれほどの権限を気前よく委譲したのか。これは久しく「歴史の問題」でした。歴史の専門家が考えればいいことであって、一般市民とはかかわりのないこと、遠いよその国でおきた「不可解な事件」でした。でも、今は違います。このまま進めば、いずれどこかの国の歴史の教科書に「このとき日本の有権者は国民の基本的人権を制約し、70年守ってきた平和主義を放棄しようとする政治勢力の独裁をなすところもなく傍観し、それどころか半数近くの国民はそれを歓迎したのである」と書かれることになるかもしれない。

でも、そのような切迫した危機感が日本国民にはまだ見ることができません。たぶんあまりにも長きにわたって平和と繁栄に慣れ切ってしまったためでしょう「たいしたことは起こるはずがない」と高をくくっているのです。どうしてこれほど危機感が希薄なのか。それは国民のほとんどが「株式会社のサラリーマン」のものの見方を深く内面化してしまったせいだと私は思っています。なぜサラリーマンは独裁に違和感を持たないのか。その問いの答えは、株式会社の従業員たちが日頃慣れ親しみ、ついに骨の髄までしみ込んだ「有限責任」感覚のうちに求めることができるのではないか、というのが私のここでの仮説です。こんな奇妙な仮説を立てて現在の日本の政治過程を論じる人が他にいるかどうか、私は知りません。たぶんいないと思います。ですから、お読みになって「こんな話は聴いたことがない」と思われる読者が多いと思います。それでも、この仮説に基づいて現代の政治と経済のありようを見たときに、「腑に落ちる」点がきっといくつかあると思います。このリーフレットが憲法の問題、民主制の問題を根本的に考え直すひとつのきっかけになれば幸いです。
最後になりましたが、講演の機会を与えてくださった兵庫県憲法会議のみなさんと、このようなかたちで公刊する機会を提供してくださったかもがわ出版にお礼を申し上げます。

<毎日新聞夕刊>

集団的自衛権 どこか人ごと なぜ議論がもりあがらないのか

 集団的自衛権の行使容認が閣議決定されそうな勢いだ。解釈変更による「改憲」が国民投票も経ないまま、時の内閣の判断で決まっていいのか。安全保障政策の大転換なのに議論は今一つ盛り上がらない。大事なことがすうっと決まってしまいそうなこの感じ、何なのだろう。

 ◇「政治の話はタブー。大人だってそうでしょ」と大学生

 ◇白井聡さん「戦後のツケ」 赤坂真理さん「政治の消費者はダメ」

 前半16分、日本代表の先制ゴールが決まると、客席は総立ち。サッカー・ワールドカップ(W杯)の日本初戦、対コートジボワール戦が行われた15日、東京ドームのパブリックビューイングに約3万5000人が詰めかけた。人の集まる場所で「解釈改憲」について聞きたくて「大事な日にそんな取材をするな」という反発を覚悟して出かけた。だが、みな驚くほど親切に答えてくれる。

 サムライブルーのユニホームを着た男性(23)は「集団的自衛権? もちろん関心があります。行使容認に賛成。平和憲法だ、戦争放棄だ、と言っても中国が攻めてきたらどうするんですか」。孫と観戦中の男性(69)も「行使容認、大賛成」。閣議決定による解釈「改憲」という手続きに反対の人はいるが、行使容認には賛成が多い。

 別の日、今度は慶応大湘南藤沢キャンパスへ。3人の総合政策学部生に話を聞いた。行使容認にも解釈改憲にも賛成。「護憲派の上の世代の理想主義って既得権を守ろうとする人と同じにおいがする」という。

 3年生(20)は「このままじゃ自衛隊の人に申し訳ない。法整備のないまま手足を縛られて」と嘆く。少子化の日本ではいずれ徴兵制が必要になるかも、と話を向けると「こういう大学に通う僕が戦場に駆り出される可能性はないと思う。この国で徴兵制は無理。若者は竹やりより弱い。専門性の高い軍隊に国を守ってほしいから、戦闘員が足りないなら移民を。そのために相当のカネを投入し、法整備も必要」。

 それって雇い兵ってこと? 何だろう、この「誰かに守ってもらいたい」的な当事者ではない感じ……。思わず「身内の戦争体験を聞いたことは?」と尋ねると、「全然ないですね」。

 別れ際、彼らは言った。「正直、僕らの世代で行使容認に反対の人、ほとんどいないと思いますよ。W杯の時期で愛国心、すごいですから」。本当にそうなんだろうか。

 2日後、同じ学部の別の3年生(21)から話を聞いた。「僕は行使容認にも解釈改憲にも反対。『敗戦後、日本は戦争で一人も殺さず殺されもしなかった』という事実を壊してしまったら、先の戦争で死んだ人々の思いを踏みにじる」。周囲の友人もみな反対という。同じ学部内でも互いに異なる意見をぶつけ合う機会はないのか。

 「だって政治の話はタブー。『この教授のゼミを選んだからにはこういう考えの持ち主か』と推察し、少しずつ距離を詰めるのがせいぜいです。政治の話ができるのは親友だけ。でも大人だってそうでしょ。僕が政治に関心を持てたのは政治的な意見を述べる予備校教師に出会えたから。そんな先生は大学にもめったにいない」

 反対だが行動には踏み切れない。「脱原発の集会やデモに行ったが違和感の方が強かった。結局、投票くらいしかないのかな。大きな流れに逆らえない」。昨年の特定秘密保護法成立直後は友人と「ひどい」と話したが、その後は話題に上らない。「解釈改憲もきっとそう」

 深いあきらめが漂う。日々のニュースがすごいスピードで流れていく。最近インタビューした作家、半藤一利さん(84)の言葉が思い浮かんだ。「戦争への道を後戻りできなくなったノー・リターン・ポイントはいつなのか、その時代に生きていた人は、意外とそれに気づけない。今がその時ではありませんか」

 なぜ、こんなにも議論が盛り上がらないのか。文化学園大助教(社会思想・政治学)で「永続敗戦論」の著者、白井聡さん(36)は「枝葉末節の細かい議論に持ち込み、国民をけむに巻く。事例を次々に増やし、議論をテクニカルにする。安倍晋三政権のぼやかし戦術です」と批判する。確かに、政府が現行法制では十分に対応できないとする「15事例」や集団的自衛権に関わる「8事例」を列挙できる人はまずいない。最近は自公がどこに妥協点を見いだすか、政局の話になっている。

 白井さんはもう1点、「戦後のツケ」を挙げる。

 「日本は『敗戦』を『終戦』と言い換えることで敗戦を否認し、戦前の支配層が戦後の統治者として居残った。東西冷戦中、米国の保護下で経済発展を謳歌(おうか)できたことで、国民は思考停止し、いくつものタブーを棚上げしてきた。『平和憲法と非核三原則を掲げた唯一の被爆国』という建前を守る一方、米軍による核兵器持ち込みは見逃した。自衛隊創設からイラクへの派兵まで、憲法解釈の変更によるつじつま合わせの繰り返しを受け入れた。だから今、解釈『改憲』は立憲主義に反する、という批判はどこかむなしく響く。こんな光景は実は見慣れたもの。解釈変更によるつじつま合わせは、戦後の保守政治の王道だったからです」

 新著「愛と暴力の戦後とその後」を出した作家、赤坂真理さん(50)は「議論が盛り上がらないのは、憲法が私たち国民の血肉ではないから。もし血肉となっていれば、内閣の話し合いだけで憲法解釈を変えるのはおかしい、という反対の声が改憲・護憲の立場を超えて出てくるはず」と指摘する。「日本人にとって『憲法』は上から来たものです。国民が勝ち取ったことは一度もない。だから『憲法は国家権力を制限するもの』という西欧風の立憲主義に現実感がないのです。それでも戦後、平和憲法が尊重されてきたのは、戦争の怖さを肌身で知る世代がいたからでしょう」

 しかし、今、くしの歯が欠けるように戦中派が減っていく。赤坂さんは「今回の解釈『改憲』は賛成、反対で語れることではなく、もっと憲法の根幹に関わる問題。憲法って何か。国家って何か。素朴で率直な『子供の問い』を恐れず発しないと、私たちはいつまでたっても政治の『消費者』のままです」と訴え、こう呼びかける。「確かに私たちは国政にものを言う癖がついていない。でも今から始めることはできます。民主主義の本質は多数決ではなく、『民が主』という考え方です。今回の議論、『わからない』ことがたくさんあるのに、それすらちゅうちょして言えない。『わかんない祭り』始めませんか。『わかんない』と正直に言いましょう。今言わないと。騒がないと。自分の言葉で。政治の『消費者』になっては絶対にダメです」

 消費者ではなく、主権者に−−私たちはなれるだろうか。