“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

野中広務元官房長官が「安倍批判」

2014年07月27日 10時53分59秒 | 臼蔵の呟き

元自民党中枢にいた政治家ですら批判をせざるを得ないほどの独裁振り、独善性には驚くばかりです。政治家個人の思惑を国民を巻き込んで進めるのは本末転倒と言わざるを得ません。とんでもない政治屋安倍を批判もせずに、こびへつらう自民党、公明党は政党としての大義、良識を持ち合わせていないことを示しています。

このような政党には未来がないことを自覚させなければならないと思います。

<日刊ゲンダイ>痛烈ダメ出し! 野中広務元官房長官「安倍批判」

 安倍政権の終わりの始まりがいよいよ、鮮明になってきた。支持率の下落、不支持率の大幅上昇に加えて、ウォールストリート・ジャーナル紙が23日、「安倍氏が日本の首相でいられるのも、あとわずかになるかもしれない」と書いた。と思ったら、野中広務元官房長官も24日に沖縄で開かれたシンポジウムでこう吠えた。

「憲法によってできた内閣が、その憲法を無視して、解釈でコトを図ろうというのは本末転倒です」

 政局カンにかけては動物的嗅覚がある野中氏のことだ。風向きが変わりつつあるのも、当然、わかっているのだろう。シンポジウムでは言葉を選びながらも、痛烈批判を連打した。

「総理はよくあれだけ体が続くなと思うくらい海外に行って、交流の努力をしているが、大切なのは中国、一番近い韓国、北朝鮮といかに友好親善を図っていくかです。それが日本の悠久の平和につながると思うし、沖縄の負担の軽減にも役立っていく。総理はどうして韓国、中国に自ら行って話し合いしようという努力をされないのか。残念です」

「すべては<総理が発想して総理が決めた>、そういう形に国の姿を持っていこうというのが今の政治の姿です。国会は最大の審議機関であるのに、それを無視してやっている。与党からも声が出ないのは悲しいし、野党はすり寄ってばかりで恥ずかしい」

 このシンポジウムは「躍進日本!春風の会」が主催し、「月刊日本」の発行人、南丘喜八郎氏が司会した。鈴木宗男氏や鳩山由紀夫元首相、大田昌秀元沖縄県知事らが参加、大勢の聴衆が集まった。

 安倍降ろしの声は地方からも日増しに強まっている。


歴史が示すまやかしだらけの「戦争の始め方」

2014年07月27日 05時28分44秒 | 臼蔵の呟き

戦争を仕掛ける政治指導者、軍国主義者の国民だまし、煽動の口実はこれまでも沢山ありました。今また、安倍、自民党中枢の平和のため、積極的平和主義、法の支配する政治を拡大する、国民の命と暮らしを守るために集団的自衛権行使容認=戦争できる国への転換―――――などなどまやかし、詐欺的な口実をまことしやかに、国の政権が行う日本。

憲法を解釈で変え、空文化しても何も罪を感じない自民党、公明党、元維新の会、民主党大半の議員はここで言う、戦いへと向かう者は、何かしら「正当な」理由を掲げる。自由のため、正義のため、自国民のため、第1次世界大戦途中参戦の米国ウッドロウ・ウィルソン大統領は「War to end all wars(すべての戦争を終わらせるための戦争)」とさえ言った。しかし、そんな大義や契機となった事件は口実(Pretext)に過ぎず、戦いの理由が全く別のところにあることも少なくないこと.--全く同じような人間たちです。

国民が、このような政治集団、政治家を容認するかどうかが問われているのだと思います。

<FT記事>

歴史が示すまやかしだらけの「戦争の始め方」戦争の現実を考えさせる「人生が戦争とともにあった」マクナマラ元国防長官の言葉

1万メートルの上空を航行中の旅客機が撃ち落されるという考えられないような惨事が起きたウクライナ。ハマスが打ち込むミサイルに、イスラエルが空爆や戦車までも投入する地上戦で応じる非対称の戦いが激化するガザ地区・・・。

 今や至るところで高度な殺傷能力を持つ兵器が使われている現実に心は沈む。

 テレビやネットに次々と流れ出す国際ニュースは、ロシア、ウクライナ双方が自らの正当性を語る。

 しかし、その「証拠」たるものが示されても、公正な目で見られるはずの非当事国民たる我々日本人は、「権威あるはずの人」のあまりにも多くのウソ、捏造にさらされ続けている今、疑念を抱きがちだ。

 戦いへと向かう者は、何かしら「正当な」理由を掲げる。自由のため、正義のため、自国民のため、第1次世界大戦途中参戦の米国ウッドロウ・ウィルソン大統領は「War to end all wars(すべての戦争を終わらせるための戦争)」とさえ言った。しかし、そんな大義や契機となった事件は口実(Pretext)に過ぎず、戦いの理由が全く別のところにあることも少なくないことを、我々は歴史のコンテクスト(Context)で知っている。

 18世紀末のロシア・スウェーデン戦争もそんな一例だ。越境したロシア兵がスウェーデン守備兵を攻撃した「事件」から始まった戦いだが、その「事件」はスウェーデン王グスタフ3世が仕組んだ自作自演劇。大国ロシアとの戦いに消極的な議員もいるなか、議会の承認なく開戦する権限のない国王が、「自衛戦争」として開戦へと進んだものだった。

 1939年8月末、当時ドイツ領だった現ポーランド領グリヴィツェのラジオ局が襲撃された「グライヴィッツ事件」もよく知られた自作自演劇である。

 時を同じくして国境付近で多発した放火事件ともどもポーランド人の仕業とされ、ドイツは「自衛権」を理由としてポーランドに侵攻、第2次世界大戦は始まった。しかし、それらの「事件」は「ヒムラー作戦」と呼ばれるドイツの自作自演劇。

そんな経緯を背景とした1961年の東独映画『グライヴィッツ事件』が、今年4月、ドイツ映画祭2014で日本でも上映となった。

 今から50年前の1964年8月4日、米駆逐艦マドックスが2日前に続き「2度目の」攻撃を北ベトナムから受けたとされる「トンキン湾事件」は、時の米国防長官ロバート・マクナマラをインタビュー中心に追ったドキュメンタリー『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』(2003)でも、悪天候で混乱した現場の誤認だった、との見解が語られている(「1回目」の攻撃は事実)。