韓国でのセウォル号事件が与えた大きさを、示す事例、韓国社会への衝撃を物語っています。この分析と意見を書く筆者は韓国の憲法学者です。日本の似非学者、御用学者と異なり、韓国憲法と政治、事件との関係を憲法に照らして分析し、たらざる点を分析しているのには頭が下がります。どこの国であれ、政治制度であれ、社会の根底に憲法の目指す社会、規範が生きていることを目指すのは当然のことです。それが法治国家、民主主義のあるべき姿だからです。
日本は安倍、自民党政権、公明党、元維新の会、みんな党などは憲法を解釈で空文化することをよしとしています。経済一流、政治三流を地で行くような安部、自民党政権を早く打倒、退陣させなければと思います。
【時論】恥ずべき憲法記念日、再び憲法教育から始めよう(韓国中央日報)
今年の憲法記念日を迎える感情は、誇らしいというよりもみじめな思いだ。人間の命が何より尊いという憲法の根本価値を無残に壊したセウォル号事件がまだ胸に突き刺さっているためだ。韓国の憲法第10条は「国民は人間としての尊厳と価値を持つ」と規定している。また憲法第34条と10条には「国家は災害を予防して、その危険から国民を保護する」と明示されている。ところがこの憲法条項が、セウォル号とともに海に沈んでしまったのだ。
韓国の憲法は人間の尊厳性を最高価値として前面に出している。しかしセウォル号事件でこの憲法価値は徹底的に踏みにじられた。セウォル号の船長は大切な生命を見捨てて自身だけ先に船外に脱出した。惨事の背景には人間の命よりも利益を優先させようとする構造的な不正があった。国家は事故初期から無気力な姿で結局、国民の生命を守れなかった。
変造書類を見て運航許可を出し、船舶の安全検査もいい加減に行い、救助のための直接交信さえ試みないなど今回広がった状況を見れば、彼らが人間の生命をどれほど軽く見ていたらこの有り様に至ったのかと怒りが込み上げてくる。
セウォル号惨事の構造的要因として指摘されているいわゆる「官僚マフィア」問題も、憲法の精神を破ったものだ。憲法第7条は「公務員は国民全体に対する奉仕者であり、国民に対して責任を負う」と規定している。この条項は、公務員たちにどこの誰かの利益のためだけに活動してはならず、国民の奉仕者として公正な公務遂行を命令するものだ。もし公務員が不正の請託を受けて業務を公正に遂行しないのであれば、これは憲法第7条を破るものだ。
このように憲法は、細かい日常のことに至るまで根本的な指針を与えている。ところがセウォル号事件では、憲法精神が徹底して蹂躪(じゅうりん)された。セウォル号の船主・船長・船員はもちろん関連公務員たちの頭の中には、最初から憲法的な価値が入力されてもいなかったのかもしれない。憲法の価値と秩序が彼らに刻印されていたら、惨事を防ぐか、少なくとも被害を最大限に抑えることができただろう。憲法学者として今回の憲法記念日が恥ずかしく感じられる理由だ。
セウォル号事故が起きて3カ月が過ぎたが、特に変わったことはない。それでもひたすら怒りと悲しみだけに明けくれるわけにはいかない。
新たに立ちあがって国家を改造するには、今でも憲法の価値と秩序を守るようにする憲法意識の再認識と拡散が必要だ。
憲法の価値と法秩序に対する教育を強化するのは、国民の生命と国家の安定を守るための切迫した課題だ。これ以上生半可な態度に出ていたら第2、第3のセウォル号惨事が出ないという保障はない。憲法の価値を損ねたり法秩序を崩したりすれば処罰されるという認識が幼い頃から身につくように、教科の課程で忠実に教えなければならない。
小学校から憲法の価値を身につけるように教科課程を編成し、教科書にこれに関する内容を十分にとり入れるべきだ。現行の高等学校教育過程には「法と政治」という科目に法教育が含まれている。しかし憲法の価値はこの世のすべての生活領域の基礎となる。したがって特定科目で単純に憲法の内容だけを紹介するのに終わってはいけない。すべての教育過程の根幹に憲法の精神が溶け込み、生徒たちに自然に染み込ませなければいけない。例えば憲法第11条の平等権の規定は誰でも政治的領域だけでなく経済・社会・文化などすべての領域で差別を受けないとされている。
憲法の平等権の精神が守られるには、政治・経済・文学・芸術・体育を教える時も、その基礎にならなければならない。
法が守られなければ人間の尊厳性と秩序が崩れる。それで法に違反すれば制裁を受けるという点を認識するように、幼い頃から教育しなければならない。教育方式も憲法の理念と制度、憲法の精神が生活の中で具体化される憲法秩序をすべての教科書に盛り込んで教えなければならない。
公教育で十分に教育させて憲法の精神を身につけさせなければ、韓国の未来、韓国の法治主義には希望がない。グローバルスタンダードを先導するどころか、ついて行くこともできないだろう。教科課程を定めるのに各領域の間の調整は容易ではないだろう。しかし、あらゆる分野で法と秩序は必要だ。特に憲法は、個人生活だけでなく社会すべての領域で指針を与える最高法だ。憲法価値と理念を教育すべき必要性は、あまりにも明白だ。セウォル号事故以後、政府は国家システムを改造すると約束した。だが国家改造が成功するには、単純に組織を改編して制度の手入れにとどまってはいけない。国家システムの革新も憲法精神の発現、憲法遵守から出発しなければならない。これが可能にするには憲法の価値に対する教育を急いで強化しなければならない。
憲法上の権利と義務を、教育を通じて全国民が熟知すれば、他人の権利を不当に侵害しないのみならず自分の権利が侵害されることを防ぐことができる。これ以上、尊い命が犠牲にならない世の中を作る時、憲法記念日を恥ずかしくなく迎えられるはずだ。
チョン・ジェファン成均館(ソンギュングァン)大法学専門大学院教授・法務部憲法教育強化推進団長