“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

フランス テロ事件と抗議行動

2015年01月15日 14時42分31秒 | 臼蔵の呟き

<人民網日本語版>パリ大規模デモ体験記 風刺が襲撃にNON! 

新年早々の7日午前、フランスの週刊紙「シャルリ・エブド」編集部が自動小銃を持った2人組に襲われ、編集部の8人が殺されるという惨劇が起こった。その後の警官襲撃やスーパーでの人質立てこもりなどの一連の事件と合わせて、犠牲者は17人にのぼった。9日夜、テロの実行犯3人が警察との銃撃戦の末にいずれも射殺され、悪夢の3日間は幕を閉じた。

フランスでは事件直後から、言論機関に対する凶行を非難し、犠牲者らに連帯を示すデモが各地で起こった。事件終息翌日の10日のデモ参加者は70万人に達し、11日にはオランド大統領ほか各国首脳も参加する国を挙げてのデモ活動が行われることになった。パリに住む私は、住民の一人として、シャルリ・エブド編集者らへの哀悼を胸にデモに出かけた。

▽参加者で埋まった道

ル・モンド紙によると、11日のデモ参加者はパリだけで少なくとも130万人、全仏で400万人を数えた。フランスの人口が6600万人であることを考えると、参加率の高さがわかる。行進のスタート地点は、共和国の理念を表すマリアンヌ像の立つレピュブリック広場だ。広場直下の地下鉄は閉鎖されると聞いたので、歩いて向かったが、同じ方向に向かう人がどんどん多くなり、進めなくなった。別の道も試したが、どこも人でいっぱいで進めない。中国人の友人との待ち合わせも諦め、デモにやってきた人々を観察した。

ヘリコプターからの映像を後で見ると、デモ開始の午後3時前に広場はいっぱいになり、放射状に広がる道は押し寄せる人々であふれていた。ラジオでは今回の集まりを「解放以来」の規模と表現していた。ファシズムドイツの4年にわたる占領から解放された1944年8月、パリは歓喜に湧き、人々が町に出てきた。今回のデモをそれと比べるのは大げさかもしれない。しかし水曜に始まった一連の襲撃事件で不安にかられていたフランスの人々が、事件の一応の終息によって安堵のムードにあることは確かである。テロリストがまだ逃亡中であれば、デモの様相はまったく異なっただろう。

▽合言葉は「ジュ・スュィ・シャルリ」

編集部襲撃の後に人々の合言葉になり、デモでも多くのプラカードに書かれていたのが「Je suis Charlie」(私はシャルリ)というスローガンだった。シャルリとは勿論、テロの標的となった「シャルリ・エブド」のことである。「エブド」とは「週刊」を意味する「エブドマデール」の略で、日本語訳すれば「週刊シャルリ」ということになる。「シャルリ」は、「チャールズ・ブラウン」から来たとも、シャルル・ド・ゴールをからかって付けたとも言われている。

ガンは、襲撃のニュース後にツイッターで生まれたとされる。テロによって言葉を失っていた人々は、「私はシャルリ」と宣言することで、雑誌社への攻撃という言論を圧する暴力と真っ向から対決する決意を示した。SNSでプロフィール写真をこのロゴに変えたり、店舗のウィンドウにこの紙が張ってあったり、壁に「私たちはみんなシャルリだ!」という落書きがされてあるのを見ることが多くなった。各国語でも書かれ、中国語では「我是査理」というプラカードが掲げられているのをテレビで見た。

デモの最中にも時折、「シャルリ、シャルリ」という掛け声が時折かかったり、感情が溢れだすようにさざなみのような拍手が起こったりしていた。誰かが国歌「マルセイエーズ」を歌い出すと、皆がそれに唱和していた。

▽武器には漫画で対抗

デモでは、自作の風刺画や犠牲となった漫画家のコピーを張ったプラカードが多く見られた。犠牲となった風刺画家はテレビなどにも出演する国民に親しまれた人物だった。抗議がこれほど盛り上がったのは、編集部への攻撃を自分のものとして市民が捉えたからだし、そうした暴力を野放しにしておいてはいけないと市民が危機感を持ったからでもあった。

「シャルリ・エブド」の風刺の対象となったのはイスラム教ばかりではない。今回のデモで行進したオランド大統領も笑いの種だった。日本では宗教を風刺画の対象とした同誌に慎重さが欠けていたのではと指摘するメディアもある。だが「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というヴォルテールの国である。今回のデモは、言論を暴力で圧殺するテロ行為にフランスは断固として立ち向かうという意思表示となった。

筆がシンボルに

今回のデモでは、漫画家や作家の武器である鉛筆がシンボルとなった。巨大な鉛筆のハリボテを作ってくる人、鉛筆を髪留めにして来た人、一家で鉛筆を握って来た人などの姿が見られた。言論は時に暴力による襲撃に遭遇する。だがそれは言論に力がないからではない。むしろ言論に力があるからである。日本では慰安婦報道について誹謗中傷を受けた元朝日新聞の記者の勤務先にテロ予告がなされているという。言論を支えるのは人民である。テロに屈してはならない。

▽共存は可能か

編集部襲撃は、イスラム教過激派が、ムハンマドを題材とした風刺画を掲載した雑誌社を目の敵にして行ったものだった。さらにその後のスーパーでの人質立てこもりは、ユダヤ系の店舗を故意にねらったものだった。オランド大統領は襲撃直後から、フランスはこの野蛮に対して、イスラム教徒を含めて一丸となって戦わなければならないと宣言した。「共和国の行進」と名付けられた今回のデモは、宗教や人種の対立を超え、「自由・平等・友愛」という共和国の理念の下に集まろうという運動だった。

フランスでは移民受け入れが早くから始まっていたが、二世の社会的統合が問題となっている。本国での苦境を脱してやって来た一世は、生活が苦しくとも、フランスで職を得て生活することにある程度満足する。だがフランスで生まれ、フランスで育った二世は、フランス人とされながらもフランス社会に溶け込めないストレスの中にある。郊外のスラムで育ち、教育水準も低く、社会的ネットワークが乏しい。同じ内容の履歴書を送っても、アラブ人の名前よりもフランス人の名前の方が有利であるという実験結果もある。フランス社会での成功の道を閉ざされ、行き場を失った若者が、絶対的な方向を与えてくれる原理主義に走るという構造がそこにはある。

フランスでは昨年、「Qu’est-ce qu’on a fait au Bon Dieu?」(神様にいったい何をしたって言うんだ?)というコメディ映画が大ヒットした。保守的なフランス人家庭の4人の娘のうち3人が中国系、アラブ系、ユダヤ系と結婚し、最後の1人もアフリカ系黒人と結婚することになって起こるドタバタを描いた映画だった。娘の意志を尊重しようとしながらも、偏見を隠すのに必死な両親を、観客は腹の底から笑った。この映画が1200万人を超える観客を動員したことは、変わることを迫られ、変わることを受け入れようとする自己認識の象徴とも見える。

笑いを圧殺しようとする力を、フランスは「笑いは死なない」と高らかに笑い飛ばした。今回の悲劇を経たフランスがいかなる道を踏み出していくのか。テロ事件が一段落した今、ますます目が離せないと感じている。(増田啓)


与党知事選敗北 結果を認めること

2015年01月15日 11時50分22秒 | 臼蔵の呟き

自治体選挙における選挙結果を謙虚に受け止めることができない安倍、自民党は異常です。自治体選挙で示された結果は、自治体住民の総意を表現しています。政権にとって都合がよいかどうかは関係がありません。自治体選挙で示された結果を尊重しないで、国政選挙で示された議席数は承認されたとする安倍、自民党の傲慢な主張が許されるはずがありません。

また、農協改革は農協、農業者の議論を前提とするものであり、当事者が反対し、議論も尽くされていないことを強引に押し付ける政治手法も彼らの暴走、独善的な政権運営を証明しています。

<東京新聞社説>与党知事選敗北 地域の声に聞く耳を

 前職の国政への転身に伴う佐賀県知事選で、与党推薦の候補が敗れた。滋賀、沖縄両県知事選に続く敗北だ。安倍政権は強引な政治手法への批判と受け止め、地域の声にもっと耳を傾けるべきだ。

 安倍晋三首相(自民党総裁)は佐賀県知事選の敗北について「残念だった。敗因分析をしっかりやり、(四月の)統一地方選に生かしたい」と述べた。昨年十二月の衆院選で、与党が三分の二以上の議席を維持したことに慢心してはいなかったか。

 十一日投開票の佐賀県知事選は「保守分裂選挙」となった。

 首相官邸主導で擁立したのが、図書館の民間委託や市民病院の民営化を進めるなど、トップダウン型の「改革派」として知られる樋渡啓祐(ひわたしけいすけ)前武雄市長(45)。

 「改革派」知事誕生を、政権を挙げて後押しすることで、安倍内閣が「第三の矢」と位置付ける全国農業協同組合中央会(JA全中)の権限縮小など、「岩盤規制」改革を加速したかったのだろう。しかし、地元農協関係の政治団体や一部の自民党県議らが反発。元総務官僚の山口祥義(よしのり)氏(49)を担ぎ出し、激しい選挙戦となった。

 樋渡氏の応援には、菅義偉官房長官や谷垣禎一自民党幹事長ら政権幹部が駆け付けたが、県民多数の支持を得るには至らなかった。

 民間の活力をそぐ規制は撤廃するのが筋ではある。しかし、異なる意見に耳を傾けない姿勢は反発を招き、かえって実現を遠ざけてしまうのではないか。農協改革は必要だとしても、熟議と説得のプロセスが決定的に欠けていた。

 安倍政権が異なる意見に耳を傾けようとしないのは、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への「県内移設」反対を掲げて当選した翁長(おなが)雄志沖縄県知事に対しても同様だ。

 昨年末、就任あいさつで上京した翁長氏と面会した政権幹部は山口俊一沖縄北方担当相だけ。安倍首相も沖縄基地負担軽減担当の菅長官も会おうとしなかった。

 安倍政権は、新年度予算案でも沖縄振興予算を減額して揺さぶりをかけている。政府が進める県内移設受け入れに転じた仲井真弘多(ひろかず)前知事時代とは対照的な、露骨な冷遇ぶりだ。

 昨年来、対決型の知事選で与党敗北が続くのも、地域の声と向き合おうとしない安倍政権への反発ではないのか。政権の主張を押し通す政治手法の限界でもある。

 敗因分析とともに、自らを省みる謙虚さが必要だ。


名張・再審を認めず 証拠は検察のものか

2015年01月15日 07時28分45秒 | 臼蔵の呟き

司法に関する信頼が揺らげば、三権分立などは全く有名無実で機能しません。また、法に基づく裁判制度そのものが信認を受けることはありえません。自身があろうと無かろうと自らが調査した資料、証拠を開示して、堂々と弁論と審判を受けることは最低限の条件です。権力組織である検察の独裁的、隠蔽体質は民主主義とは相容れないものです。

国による裁判で死刑を宣告するような極限的状況ではこのような検察、裁判官の対応は許してはならない蛮行と言えます。

<東京新聞社説>名張・再審を認めず 証拠は検察のものか

 触らぬ神にたたりなし、ということなのか。検察側の倉庫に眠ったままの証拠は、今回も、調べられることがなかった。証拠開示への逃げ腰は、司法に対する国民の信頼を損ないはしないか。

 奥西勝死刑囚(89)の再審開始を認めなかった名古屋高裁の名張毒ぶどう酒事件異議審決定は、昨年五月の請求棄却決定と同様、弁護団が新証拠として提出した三通の意見書を「再審請求の要件を満たさない」と一蹴した。弁護団は「検察官の証拠隠しを許したまま非情な決定を出したことは許し難い」と高裁の対応を非難している。

 証拠隠し、とは、裁判所にも弁護側にも見せていない検察側の手持ち証拠の存在を指す。

 検察側はかつて、裁判所と弁護団との三者協議で「証拠はまだ膨大にある」と認めていた。弁護団は、その中に奥西死刑囚の無実を明らかにする手掛かりがある可能性が高いとみて証拠の開示を求めてきたが、裁判所も検察側も応じぬまま、異議審も終結した。

 近年、証拠開示が突破口になった再審開始が相次いでいる。

 二〇一二年に再審無罪となった東京電力女性社員殺害事件では、被害女性の爪に残された皮膚片などが開示され、DNA鑑定で真犯人が別にいる可能性を示した。昨年、再審開始決定が出た袴田事件も、血痕付き衣類のカラー写真など新たに開示された六百点が確定判決への疑問を深めた。

 裁判員制度導入に際し、公判前に争点を整理するため、検察側が段階的に証拠を開示する制度が施行されたが、再審請求審の証拠開示は制度化されておらず、裁判所と検察庁の裁量任せだ。

 東電、袴田両事件では、証拠を出し渋っていた検察側が裁判所に促されて開示を決断したが、今回の名張事件では、裁判所も消極的な対応に終始した。

 公権力が公費を使って集めた証拠は、一体、だれのものだろう。

 一九六四年の一審判決は無罪、〇五年に一度は再審開始決定。未開示証拠を検察側が独占したまま二転三転した死刑判決を維持することは、国民の目に、司法の正義と映るだろうか。

 弁護団は十四日、特別抗告し、舞台は最高裁に移る。「再審制度においても、疑わしきは被告人の利益に、という刑事裁判の鉄則が適用される」とは、その最高裁の白鳥決定である。扱いが分かれる証拠開示の問題でも、白鳥決定に即した対応を望みたい。