テロ事件、宗教対立を防がなければなりません。
<東京新聞社説>文明は異なれど争わず
見出しの「文明は異なれど争わず」とは人類共存のための原理です。だが、それが難しそうに見えるのは文明文化の違いを悪用する者がいるからです。
「イスラム国」の蛮行は悪用の典型として、先日のパリの週刊紙銃撃テロの発端は新聞が掲げた預言者ムハンマドの風刺画でした。では、なぜムハンマドの絵はいけないのか。
イスラム教の礼拝所、モスクに入ったことのある人はまず何もないことに気づくでしょう。
○聖像聖画の類なし
日本のお寺なら仏像仏画、キリスト教会なら十字架やマリア像があるのにモスクには聖像聖画の類いは一切ありません。あるのは聖地メッカの方向を示す壁のくぼみ(ミフラーブ)と、その横、導師の上る説教壇(ミンバル)ぐらいでしょうか。
説教壇はムハンマドが自宅の中庭で、踏み段の上から信徒に説いた故事にしたがうものです。
ムハンマドはメッカ征服時、神殿の偶像の撤去と破壊を命じました。神はアラーのほかなく、それまでの部族の多神教崇拝は誤りとして否定したのです。教えは神の言葉の内というのです。
絵ではなく、たとえばムハンマドの死後二百年ほどのイスラム伝承学者イブン・サードはムハンマドの容姿をこう伝えています。
<中背または少し高く、肩幅と胸は広く厚く、額は秀でて、目は大きく黒くて、黒髪は肩まで垂れ、あごひげは伸ばしていたが口ひげは摘んでいた。身だしなみはよく、髪には油、ひげには水を塗り、まぶたには黒い粉をつけていた>(角川書店「世界人物逸話大事典」)
原理主義者の伸ばしたひげは、預言者にならっているともいわれますが、似顔絵など今のイスラム世界にはありません。それも偶像崇拝となってしまうからです。
○分かれたアメリカ紙
それがフランスの新聞に描かれて、しかもからかう調子だったのだからイスラム世界の不快感は当然でした。
一方でフランスは表現の自由を主張しました。
フランス革命で勝ち取った権利であり、自由こそは西欧文明の核心、発展の源だからです。引っ込めるわけにはゆかない。
興味深かったのはアメリカの反応でした。自由かつ多民族の国。日本などとくらべ、格段に欧州ともイスラム世界とも近い距離にあります。ムハンマド風刺画の転載についてニューヨーク・タイムズ紙は載せず、ワシントン・ポスト紙は載せた。それほどにきわどい判断が求められたということでしょう。
素早い判断を見せたのは欧州でした。イスラム系の移民や子孫、ユダヤ人が住んでいます。
フランス、ドイツなどの首脳、またイスラエルの首相、パレスチナの議長らが腕を組み行進しました。合言葉は団結です。
結びつけたくはないが「文明の衝突」という言葉があります。
アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントン氏が、冷戦という超大国同士の抗争の次に来る争いとして予言しました。実際、ボスニア紛争では東方正教会系のセルビア人とイスラム系のボスニア人が戦い、9.11テロでは悪用されたきらいがあります。
衝突を避けるハンチントン氏の処方箋とは、文明同士の理解と協力、つまり団結でした。各国首脳の腕を組んだ行進とはまさにそれでした。
もう一つ思い起こしたいのは独特の意味をもたせたオリエンタリズムという言葉です。エルサレム生まれのパレスチナ人で文芸評論家のエドワード・サイード氏が発していた警告で、ヨーロッパ中心主義への徹底した批判です。
オリエンタリズムは、東洋学とか東洋趣味などと訳されるが、彼はこの言葉に西欧の意識的また意識されざる偏見を見るのです。発展を遂げた西欧文明は、イスラムなど他文明に対し、支配者の顔、見下した態度をとっているのではないか、と。無論賛否はあるでしょうが、文明間の理解とは容易ならざる面もあるのです。
○偏見に付け入るテロ
テロを起こす勢力は、あらゆる対立、亀裂、矛盾を巧みに扇動の種とします。ネット時代では情報は正しくとも間違っていてもそのまま個人に届きます。ハンチントン先生のころと違って、文明を衝突させないため、政治だけでなく個人も責任をもつ時代になっているのです。
イスラム教徒は世界七十億人中の十五億人。五人に一人。それほど多いが原理主義者は少なく、テロリストはさらに極少です。世界は惑わされてはならず、異文明に偏見をもってもならないのです。「イスラム国」の人質事件は偏見につけ入ろうとしているのです。