ツタンカーメン王のエンドウ豆の花が今年も咲いた。日本のエンドウ豆と違い、花の色は紫である。
その色の鮮やかさは、たとえようもなく美しく、エジプトという遠い国への強い憧れを思わせる。
3000年前の昔、エジプトの人たちもこの美しい花をみていたのだろう。
ツタンカーメン王は、紀元前1340年頃、エジプトを統治した歴史上有名な王。1923年、イギリスの考古学者
ハワード・カーター氏は、この王の墓を発掘した。その時、副葬品の中からエンドウ豆が発見された。イギリスに
持ち帰り栽培したら、何と3000年の眠りから覚め、芽を出したのである。
この種子の一部がアメリカに渡った。昭和31年、「世界友の会」水戸支部の大町武雄氏がサクラ、イチョウなど
日本独特の種子をアメリカに贈ったところ、そのお礼としてフアシスワース夫人からエンドウ豆のいわれを書いた
手紙とともに数粒の種子が贈られてきた。
以来、わが国でも栽培が行われるようになった。私がこの豆の種子を友人からもらったのは平成10年の夏だった。
説明書に従い、この年の秋、種子10粒を植えた。翌年からは50粒に増やし、毎年、栽培を続けている。
収穫した豆はピースご飯同様、電気釜で炊き、保温しておくとご飯の色は桜色に変わる。これにも感動。
その色の鮮やかさは、たとえようもなく美しく、エジプトという遠い国への強い憧れを思わせる。
3000年前の昔、エジプトの人たちもこの美しい花をみていたのだろう。
ツタンカーメン王は、紀元前1340年頃、エジプトを統治した歴史上有名な王。1923年、イギリスの考古学者
ハワード・カーター氏は、この王の墓を発掘した。その時、副葬品の中からエンドウ豆が発見された。イギリスに
持ち帰り栽培したら、何と3000年の眠りから覚め、芽を出したのである。
この種子の一部がアメリカに渡った。昭和31年、「世界友の会」水戸支部の大町武雄氏がサクラ、イチョウなど
日本独特の種子をアメリカに贈ったところ、そのお礼としてフアシスワース夫人からエンドウ豆のいわれを書いた
手紙とともに数粒の種子が贈られてきた。
以来、わが国でも栽培が行われるようになった。私がこの豆の種子を友人からもらったのは平成10年の夏だった。
説明書に従い、この年の秋、種子10粒を植えた。翌年からは50粒に増やし、毎年、栽培を続けている。
収穫した豆はピースご飯同様、電気釜で炊き、保温しておくとご飯の色は桜色に変わる。これにも感動。