最近テレビの報道の中に、あの時何故自分だけが生き残って・・・の後ろめたさを持って、おおげさだけど・・・大なり小なりその負い目を持って生きてきたのだ・・と。
70年経った今でもヤッパリ鮮明に思い出す。・・・友の冥福を祈りながら・・・
最近テレビの報道の中に、あの時何故自分だけが生き残って・・・の後ろめたさを持って、おおげさだけど・・・大なり小なりその負い目を持って生きてきたのだ・・と。
70年経った今でもヤッパリ鮮明に思い出す。・・・友の冥福を祈りながら・・・
8月8日 今朝もカンカン照り・・
昨日の日没・・・
あの日 下敷きになった家屋から這い出した私は、ぞろぞろ人の歩くままに、まるで意思のない人形のように歩
いていった・・
行きついた先から・・・西の空を見た・・・
あの時は空全体が真っ赤に燃えているように染まっていた。
人の叫び声が・・潮のように・・・ウワーォ・ウワーォと寄せては返す波のように朝まで響いていた・・・
・・・・ 1945.8.6の夜であった・・・
68年前、明日の再会を約束して・・・
13歳だった私は親友とこのドームの前で、手を振って別れた・・・
「明日ね・・またね・・」と・・・
この日も類焼を避けるために、家に縄をかけて引き倒す作業をしていた。・・
朝から夕方まで・・ そして・・二人は手を固く握りあった・・
これが彼女との永遠のわかれになった。
この日 68年経った今でも・・・やっぱり、行くことが出来ない・・・
自宅で一人・・・黙祷・・・
5月25日
もう夏のようなカンカン照り 病み上がりにはこたえる・・・
焦るな・・あせるな・・・と押さえてみるが・・この老馬は・・きかない・・全く、困ったものだ。
退院して日も浅い・・分かっていても・・ ドンマイ・ドンマイ・・ ガンバレ
5月23日
21日退院して初めてパソコンを開いた・・
40日と少し別世界で暮らしていると帰宅しての我が家・・?スーと物の定位置が出てこない
これをボケと言うのか???なんか 心もとない・・
久しぶりで見下ろす公園の緑が鮮やかだ・・
8月5日 今朝は曇り
67年目の被爆の日が来る
昨日の事、ぼんやり窓から眼下に見える川を見ていた 何時もの遊覧船だ
何本もの航跡を残して去って行った その川底から浮き上がってきた赤い影・・・
67年前この川面も水お求めて折り重なった人で埋め尽くされていた・・・
あの時 燃え盛る中からうめき声の塊の様な 人の叫び声のようなものがうねりをあげていた。 いつまでも、いつまでも・・・・夜の白むまで・・・何日も 何日も・・
私の耳には8月6日がくるたびに あの切ない声が強く弱く響いてくる・・・
あの川面に浮いてきた影はきっと、今も川底で鎮魂の日を待っている幾千幾万の人たちが手を差し伸べている様に思えてならない・・・
いつまでも過去に埋もれてはいけない・・・せめて明日一日は未来を信じて今に生きている事に感謝して過ごしたい