バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

今日も暑い・・・あの日も暑かった。・・・

2014-07-23 10:11:28 | 原爆孤老のつぶやき・・

最近テレビの報道の中に、あの時何故自分だけが生き残って・・・の後ろめたさを持って、おおげさだけど・・・大なり小なりその負い目を持って生きてきたのだ・・と。

70年経った今でもヤッパリ鮮明に思い出す。・・・友の冥福を祈りながら・・・


68年経った西の空・・・

2013-08-08 10:43:23 | 原爆孤老のつぶやき・・

8月8日 今朝もカンカン照り・・

          

    昨日の日没・・・

     あの日 下敷きになった家屋から這い出した私は、ぞろぞろ人の歩くままに、まるで意思のない人形のように歩

               いていった・・ 

                行きついた先から・・・西の空を見た・・・      

                    あの時は空全体が真っ赤に燃えているように染まっていた。

               人の叫び声が・・潮のように・・・ウワーォ・ウワーォと寄せては返す波のように朝まで響いていた・・・

                            ・・・・ 1945.8.6の夜であった・・・

  


           


忘れえない、あの日・・・

2013-08-06 15:40:29 | 原爆孤老のつぶやき・・

68年前、明日の再会を約束して・・・

13歳だった私は親友とこのドームの前で、手を振って別れた・・・ 

       「明日ね・・またね・・」と・・・

この日も類焼を避けるために、家に縄をかけて引き倒す作業をしていた。・・

               朝から夕方まで・・  そして・・二人は手を固く握りあった・・ 

               これが彼女との永遠のわかれになった。

この日 68年経った今でも・・・やっぱり、行くことが出来ない・・・

                              自宅で一人・・・黙祷・・・ 

         

    


ナカナカ体調が戻らない・・・

2013-05-25 10:41:30 | 原爆孤老のつぶやき・・

5月25日 

もう夏のようなカンカン照り  病み上がりにはこたえる・・・

焦るな・・あせるな・・・と押さえてみるが・・この老馬は・・きかない・・全く、困ったものだ。

    退院して日も浅い・・分かっていても・・    ドンマイ・ドンマイ・・  ガンバレ


明日は原爆忌

2012-08-05 13:45:20 | 原爆孤老のつぶやき・・

8月5日 今朝は曇り

67年目の被爆の日が来る 

昨日の事、ぼんやり窓から眼下に見える川を見ていた  何時もの遊覧船だ

     

何本もの航跡を残して去って行った   その川底から浮き上がってきた赤い影・・・

67年前この川面も水お求めて折り重なった人で埋め尽くされていた・・・

あの時 燃え盛る中からうめき声の塊の様な 人の叫び声のようなものがうねりをあげていた。  いつまでも、いつまでも・・・・夜の白むまで・・・何日も 何日も・・

私の耳には8月6日がくるたびに あの切ない声が強く弱く響いてくる・・・ 

 あの川面に浮いてきた影はきっと、今も川底で鎮魂の日を待っている幾千幾万の人たちが手を差し伸べている様に思えてならない・・・

    いつまでも過去に埋もれてはいけない・・・せめて明日一日は未来を信じて今に生きている事に感謝して過ごしたい

 


原爆の日

2011-08-06 14:26:41 | 原爆孤老のつぶやき・・
8月6日たり

66年前のこの日は雲一つ無い青空だった。

今朝、ドームの前は人の往来が激しい。

8時から式典が始まった。
カンカン照りでなかっただけ出席者は楽であった。

何年たってもこの日・この瞬間・・生々しく浮かんでくる・・映像・・消えることは無い。

真摯に今日一日は過ごしたい。

あの時、奇跡が起きた。

2011-06-26 14:56:42 | 原爆孤老のつぶやき・・
6月26日 たり

昨日も32度を越えた。  今日もそれくらいの暑さになるようだ

暑さが増してくるとグーッと66年前に引き戻される。・・・

8月6日 「ピカドン」が落ちた時、兄は宇品港辺りの工場で学徒動員での軍事作業をしていた。     
その瞬間大音響とともに瓦礫の下敷きになった、    
もうもうと立ち込める灰燼の中から這い出て数キロはなれた我が家え向かった

七つの川の流れる美しい街は跡形も無く、見渡す限り暗黒の世界のように何も見えない。

 ただ、ところどころからチョロチョロと火の手が上がっているのが灰色の世界の中にかすかに見える。    
 とにかく前を向いて歩いていくうちに、何本もの川を越えねばならない。  
川の中には「みず・・みず・・」と人間とは思えない人の姿をした人が川の水面を埋め尽くしている。  兄たちはとても家族の生存は無いのでは・・・と絶望を抱えて一人ひとりの顔を抱き起こして歩いたそうだ。

何本めかの川にたどり着いた時、同行していた友が絶叫に近い声で・・「母さん・・カアサン・・」とよれよれになった人をシッカリ抱き抱えて膝間づいている・・

暫く兄と二人でその人を横たえ・・数時間一緒にいそうだ。  やがてその人は友人の腕の中で息を引き取った・・そうだ。

何万人の傷付いたり息絶えている人の中からたとえ一瞬でも再会できたのは、奇跡というより他は無いと思う。  

       はっきりと神の存在を認識した瞬間だと思う

また、あの瞬間の日が近づいてくる。    その兄の学友も兄も他界した。・・

安らかでありますようにと、祈るのみ・・

私にも奇跡が起こった。

広島はもう草も木もはえないと聞かされ 私たちは家族で九州の果て鹿児島県と宮崎県の県境、都城え移った。

私は女学校の二年生・・その日は日曜日だったのだろう、母と二人で大して人通りも無かったけど・・メインストリートを歩いていた。  その頃は食料事情も悪く、都会の人達が大きなリュックを背負ってこの田舎町に、何でもいい食べるものを・・と買出しに来ていた。

そんな人達を横目に見ながら私たちはお喋りに夢中で歩いていた。

私は見るとはなしに前方から歩いてくる大柄のおじさんと青年をみた・・

そのとき「 神戸の叔父と従兄弟によく似ているな・・」と思い、母に「あの人神戸のおじちゃんとみちぼんによう似てるよ」と話しかけた。   
母も「えーあんな遠い所の人がこんなところに居るはずはないよね」と振り返ってみた瞬間・・あちらの二人も振り返った・・
     その瞬間・・二人の大人の驚愕の声・・

数百キロも離れた神戸と鹿児島と宮崎の県境にある小さな町の中で・・・

あの戦後の混乱期・・私たちは終戦前の神戸大空襲は知っているものの、それに続いてのピカドン・・両家の安否の知りようも無くお互い 80% 生存はないものとあきらめていた。


こんなことは奇跡としか言い様がないと・・

戦後久しく両家では言い合ったものだ。

その叔父夫婦も我が両親もすでに他界した。 安らかにと祈るのみ・・・






今朝のレンドラに思うこと

2011-06-17 09:07:53 | 原爆孤老のつぶやき・・
6月17日 たりたり。
連日の鬱陶ししまってだらだらの一日を過ごしている。

日課にしている朝の連ドラ・・・戦時中 小学生は町を離れて田舎に非難させられた。  
都会育ちの両親には田舎に親戚も無いまま弟Sも広島から遠くはなれた田舎に家族と離れて疎開した

ドラマを見ていると「色々話には聞いていたが・・」12才の少年の心にはどんなにか過酷な日々を送っていたのだろう・・と・・・

今Sはだんだんと両手の筋肉が萎縮して治療もないまま・・ブラブラの両手をもったま・「僕は大丈夫・・・」と何時も返事は返ってくる。

あの66年前の試練が彼を鍛えたのか・・・何も言わないSを愛おしいと思う。