バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

今日も元気だ・・・

2011-05-22 09:24:29 | 原爆孤老のつぶやき・・
5月22日 から

朝の目覚めはモーニング珈琲からだ。

先日のこと、小さなプランターに何時の日か小鳥が落としてくれたのだろう一本の大根らしき物が育っていた。

たった一つしかない我が家の菜園・・こんどそこえピーマンを植えるつもりでその大根を抜いてみた。  
  立派なラデッシュが成長していた。

感謝 感謝早速今朝の食卓え・・  

いちごは一寸日がたっているけど長年鍛えた老骨、少々の黴菌には負けてはいられない。

       やっぱり神様からのご褒美は格別な味がする。  

                ごちそうさま・・

季節はずれの長雨

2011-05-13 16:45:23 | 原爆孤老のつぶやき・・
5月13日 

一週間降り続いた雨もヤット上がりお日様の顔を見ることが出来た。
長雨のあいだ昔、夫と二人で勝手気ままに歩いた旅のつれづれに、集めた珈琲カップのお掃除と整理をすることにした。

夫は何故か厳つい体に似合わず華奢で繊細なものが好みであったようだった。
      

それに引き換え小柄でなよなよしい私は荒々しい大雑把なものが好きであった。

珈琲カップを一つづつ手にとって見ていると、連れ立って焼き物を尋ねてあちこちの窯場を旅をした30年も前にふっと引き戻される。
     

大正生まれの夫は 赤紙一枚で兵隊になり何年間か中国の最前線に加わり生死の境を経験した話を語ってくれたことがあった。

そんな世界で生きてきた夫は その世界とは裏腹に美しいもの繊細なものに憧れたのかもしれない。
      

同じ意味では思春期だった私も原爆投下によって一瞬にして生死の境目に引き落とされたのだが、・・・

こんな不釣合いの夫婦ではあったが・・・それなりに静かな日々を送った。
その夫も五年前他界した。

             

何時の日だったかこのカップを二人して手に入れたとき、反目も無く共通の話題に花を咲かせたのであった。

戦後アメリカから逆輸入されたもので、七福神が描かれているのだそうだ。

65年前に日本はアメリカに敗れた、  その国からやって来たこのカップ・・・

二人の思いは違っていたかもしれないけれど・・・

何ともいえない存在感の有るカップだ。

夕方まで掛かって、思いのシッカリ詰まったカップで一服の珈琲を頂いた。

          甘露 甘露・・・

平和公園に春が来る・・・

2011-04-06 09:53:29 | 原爆孤老のつぶやき・・
4月6日 

暑さ寒さを繰り返しながら今年も春は訪れる。

晴天に誘われて平和公園まで歩いてみた

何時までも一抹の悲しさを胸に抱きながらも青空に誘われて歩くうち・・「毛髪の碑」と刻まれた碑の前に出た

あの時 被爆した女性の黒髪が頭皮ごとすっぽりといたるところに落ちていた・・・
一瞬にして まるでかつらのようにもぎ捨てられた黒髪・・・
あの女性たちは、この碑の前に集まっているのだろうか・・・
  
この石碑の上にも桜の枝がそっと寄り沿うように下がっている。碑の前でしばらく手を合わせ川面に写る青い空を眺めながら歩いていったところに子供を抱きかかえて横たわる母子像の前に出た

この姿は子供を抱きかかえながら燃え盛る炎をくぐり抜けていく親子の激し怒りを私は感じる。          自然は65年前にあった出来事の上にも、そーっと優しい桜のベールを掛けてくれているのだろうか。

公園の中は暖かい陽気に誘われて大勢の人で一杯だった。
               

         自然の恵みに感謝したい。

毎日報道される東北地方の被害

2011-03-27 15:58:57 | 原爆孤老のつぶやき・・
3月27日 

11日から毎日被害の現状を放映されているのを目にしている。
いたたまれない苦しさを感じる。

天災もxさることながら、日に日に拡大されていく原発の現状・・・

被爆してから65年もたつ今でさえ被爆した私たちはその影響をぬぐいきれない恐ろしさを背負って生きている。

それなのに、何故・・原発なのでしょうか??
毎日海水を汚染させながらまでも、再稼動を願うのでしょうか・・・

私たち被爆孤老には理解できません。
今の世界情勢を見るとどうしても必要なものなのでしょうか??
多分、そうなのでしょう。・・・

あまりにも今の人の生活が進歩されていて、この現状を維持していくためにも必要不可欠なのでしょう。

なんだか、自然から与えられたこの地球を変形(私にはそうおもえます)してでも 人が住み良いと思っている生活を望むのでしょうか?    

今のように都会の真ん中を高速道路路が走り山は削られてコンクリートで固められ、植物も動物も住む場所をなくして・・  人はより美しい花々を作り、動物をより人に便利なように作り変えて・・・  いったい  これ、ドウユウこと??・・  居場所も食べ物も無くなった生き物たちが、追いやられたり始末されたり・・・

こんなこと考えているのは私だけなのか・・
原発の被害は人災です。

被災者の方々、自然と共存できる世の中で暮らしていけることを私たちみんなで努力していきたいと思います
そのためにも元気を出して上を向いて歩いてください。








極楽トンボもついに弱音を上げちゃった。・・

2011-02-13 09:36:32 | 原爆孤老のつぶやき・・
2月13日 
昨日今日と朝から雪が降る。
  
昨日はさすが前が見えないくらいに午前中は吹雪いた。
今までならワクワクするのに・・・

炬燵から出るのは抵抗が有る

まっ・・・こんな日もあるさ。。。素直にズボラを決め込むことにしよう

それにしても・・不甲斐ない・・

月末には蔵王に一人旅の予定がある。

まっ   のんびり 「待てば海路の日和あり}だー

 久しぶりの平和公園・・・

2010-11-06 08:28:50 | 原爆孤老のつぶやき・・
11月6日 

このたびは些か風邪が長引いて「何もしたくない症候群」になってしまった。

昨日は秋空に誘われて平和公園を散歩した。


ボツボツ街路樹も黄金色になってきた。
    
戦後都市計画で平和公園が出来、そして世界から寄贈されて今の大木に育っている。
                  木間を散歩出来る幸せを感謝・・

この地下に眠る幾万の犠牲者の魂・・・に黙祷する。

この尊い犠牲の上に根を下ろした樹木たち・・・何を考えているだろうか・・・

   心から戦争のない世界を祈る。


今日は被爆の前日だ

2010-08-05 09:44:13 | 原爆孤老のつぶやき・・
8月5日 
今朝は抜けるような青空だ

 65年前・・・昭和20年8月4日 土曜日 
八月に入って女学校も夏休みだったが、戦時中 どこの女学校も、中学校も毎日学徒動員で広島市内の軍事工場にかり出されていた。
 
私たち13才の女学生達はあのドームあたりで家屋の類焼を免れるために一軒ずつ家屋に繩を付けて取り壊す作業に従事していた。
この日は日曜日・・作業は無かった。

前日4日土曜日、作業の済んだ後、私は親友のYさんとあのドームの川筋を手をつなぎながら行ったり来たりと歩いた。

これがYさんとの永遠の別れになるとは・・・

日曜日一日おいて6日 月曜日・・・

あの被爆の日から、日にちが経っていくごとに、65年前のあの時間が重く、重く胸にのし掛かってくる。

彼女の暖かい手・・思春期の二人のたわいない・・いや、二度と聞くことの出来ない優しい声・・何度も向き合っては笑い会い・・そして・・月曜日の再会を信じ合って・・何度も振り返っては手を振りあい・・右と左に歩いていった・・・あの時・・

その40時間ほどの後だ・・・原子爆弾がさく裂したのは・・・

毎年、毎年、この8月4日から6日までの三日間 日に日に重く心に掛かってくる。

「さよなら・・じゃー月曜にね・・」の約束がはたされないまま・・・   今年もあの日がやってくる・・・










7月になった

2010-07-02 11:29:15 | 原爆孤老のつぶやき・・
7月2日 たり

今日も蒸し暑くて朝からシャワーを使かってしまった。
東、北にしか窓のない我が家、南、西の風向きだと全く風は入ってこない。  
先日意を決して一万歩を目指して朝から家を出た。
マンションの玄関から北東を目指して第一歩を進めた。
何時も歩き慣れている路とはいえ、一万歩に決心した上は力が入る。
丁度五千歩近くで平和公園の一角に出た。
些か草臥れて石のベンチにドッコイショと座り込んでしまった。
   
ここでは平和の鳥、鳩と雀が仲良く餌を食べている。

この公園には幾つかの石灯籠が立ててある。
その一つ「春日神社仕様とか・・・
これも、平和を願ってなのだろう

あの被爆の日もあと一ヶ月だ・・・

今年は私も傘壽に後一歩・・・天候が不順でなのか、ことのほか応えるようだ。

それはそれとして、自分なりに元気でいたいものだ。

暫く休んで御神輿を上げ後半分の距離をクリヤーしようと出発した。
途中デパートで歩数を稼ぎ草臥れたので電車に乗ろうかなと携帯を見たら、まだ7030歩だ・・・後3000歩とティータイムをとって自宅まで歩いた。

帰宅後 携帯でそのデーター調べてみた。
     歩数    9345歩
  消費カロリー   45キロカロリー
  脂肪燃焼量    12グラム
   歩行距離     4,9キロメートル

と出た。・・・\(・o・)/ワア!

なかなかのもんだなーと思ったが・・・とても毎日なんてムリムリ
暫く休憩となっている。

まっ ノンビリ無理せず歩くことにしよう。

フラワーフェスティバル

2010-05-04 15:48:29 | 原爆孤老のつぶやき・・
5月4日 
今日も初夏を通り越して真夏の暑さだ。
昨日からのお祭りで平和大通りは人の波で大変だ。
次から次と華やかな踊りの行列で賑わっている。 
60年前にこの瓦礫の土地に植えられた樹木が、半世紀以上経った今では堂々と枝葉を茂らせて天に向かって両手を差し延べている。
あの、鮮烈な洗礼を受けたにもかかわらず、大地にシッカリ根を下ろして頭上から道一杯に蠢いている人間を見下ろしている。  その大木達の叫びが聞こえる。

私はその人混みから離れて何本目かの静かな路を歩いたみた。
        
ひっそりとしたこの路の一角にブロック塀の隙間からシッカリ花を付けた草花があった。
あの公園の大木も、この隙間から開花したこの草も精一杯命を育もうとして太陽に向かって手を差しだしている。

自然の偉大さに感謝する。

私は歩き疲れて祭りの一番東側にに出た。そこは端っこなので人も少ない。  そこにはあの被爆の日、兵隊さん達を慰問するべく新劇人で結成された「さくら隊」の慰霊碑がある。
         
この祭りのために沢山のテントが並んでいる中、ここは誰も気にとめない・・・慰霊碑の存在すら知らない人達・・・なんともやるせない気持ちになるのは私だけだろうか・・・
慰霊碑はこの大通りには沢山ある。   そのどれもがこの祭りでゴミの置き場になっている。

祭りの本来の意味は何なのだろうか・・人間主題に進歩している現在人は奢りすぎているのではないだろうか・・・

それは「フェスティバル」だからこれで良いのだろうか・・・・??