9月24日
退院後、何となく時間を持て余し気味だったが、広島県立美術館に行ってみた。
大型連休とあって結構なにぎわいだった。
あまりロシアの画家には馴染みがなかったが入館してみて些かびっくりした。
今まで私の乏しい絵画の知識と全然違ったものを感じた。
あの寒い北国のロシア・・何もかも閉ざされた重苦しい世界の中で花開いた文学の世界・・・私の青春時代に読み耽ったトルストイやツルゲーネフの文学者の肖像画もあった。 その精密さは さもありなん、と思ったが・・・その画の中からあふれ出ている暖かさ、妥協を許さない画面・・驚きであった。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、印象主義に変化していくのは薄紙をはがれるように心愉しかった。
このイワン・シーシキンの「森の散歩」(1869年 パンフレットより)も人物を包み込むような日差しが今からの未来を感じさせるようでとても暖かな気持ちになった。 この日は、ホントに豊かな一日であった。 感謝 感謝
退院後、何となく時間を持て余し気味だったが、広島県立美術館に行ってみた。
大型連休とあって結構なにぎわいだった。
あまりロシアの画家には馴染みがなかったが入館してみて些かびっくりした。
今まで私の乏しい絵画の知識と全然違ったものを感じた。
あの寒い北国のロシア・・何もかも閉ざされた重苦しい世界の中で花開いた文学の世界・・・私の青春時代に読み耽ったトルストイやツルゲーネフの文学者の肖像画もあった。 その精密さは さもありなん、と思ったが・・・その画の中からあふれ出ている暖かさ、妥協を許さない画面・・驚きであった。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、印象主義に変化していくのは薄紙をはがれるように心愉しかった。
このイワン・シーシキンの「森の散歩」(1869年 パンフレットより)も人物を包み込むような日差しが今からの未来を感じさせるようでとても暖かな気持ちになった。 この日は、ホントに豊かな一日であった。 感謝 感謝