8月5日
今朝は抜けるような青空だ
65年前・・・昭和20年8月4日 土曜日
八月に入って女学校も夏休みだったが、戦時中 どこの女学校も、中学校も毎日学徒動員で広島市内の軍事工場にかり出されていた。
私たち13才の女学生達はあのドームあたりで家屋の類焼を免れるために一軒ずつ家屋に繩を付けて取り壊す作業に従事していた。
この日は日曜日・・作業は無かった。
前日4日土曜日、作業の済んだ後、私は親友のYさんとあのドームの川筋を手をつなぎながら行ったり来たりと歩いた。
これがYさんとの永遠の別れになるとは・・・
日曜日一日おいて6日 月曜日・・・
あの被爆の日から、日にちが経っていくごとに、65年前のあの時間が重く、重く胸にのし掛かってくる。
彼女の暖かい手・・思春期の二人のたわいない・・いや、二度と聞くことの出来ない優しい声・・何度も向き合っては笑い会い・・そして・・月曜日の再会を信じ合って・・何度も振り返っては手を振りあい・・右と左に歩いていった・・・あの時・・
その40時間ほどの後だ・・・原子爆弾がさく裂したのは・・・
毎年、毎年、この8月4日から6日までの三日間 日に日に重く心に掛かってくる。
「さよなら・・じゃー月曜にね・・」の約束がはたされないまま・・・ 今年もあの日がやってくる・・・
今朝は抜けるような青空だ
65年前・・・昭和20年8月4日 土曜日
八月に入って女学校も夏休みだったが、戦時中 どこの女学校も、中学校も毎日学徒動員で広島市内の軍事工場にかり出されていた。
私たち13才の女学生達はあのドームあたりで家屋の類焼を免れるために一軒ずつ家屋に繩を付けて取り壊す作業に従事していた。
この日は日曜日・・作業は無かった。
前日4日土曜日、作業の済んだ後、私は親友のYさんとあのドームの川筋を手をつなぎながら行ったり来たりと歩いた。
これがYさんとの永遠の別れになるとは・・・
日曜日一日おいて6日 月曜日・・・
あの被爆の日から、日にちが経っていくごとに、65年前のあの時間が重く、重く胸にのし掛かってくる。
彼女の暖かい手・・思春期の二人のたわいない・・いや、二度と聞くことの出来ない優しい声・・何度も向き合っては笑い会い・・そして・・月曜日の再会を信じ合って・・何度も振り返っては手を振りあい・・右と左に歩いていった・・・あの時・・
その40時間ほどの後だ・・・原子爆弾がさく裂したのは・・・
毎年、毎年、この8月4日から6日までの三日間 日に日に重く心に掛かってくる。
「さよなら・・じゃー月曜にね・・」の約束がはたされないまま・・・ 今年もあの日がやってくる・・・