団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の56年 早朝散歩 4 貴重な健康ボール

2021-10-12 17:24:55 | 夫婦

 

 団地内には早朝散歩のコースに長方形の四角い広場が有ります。

何の目的でこの広場が作られたのかは知りませんが4辺の網の周りには雑草がお生い茂って遊ぶ子供達も少ない広場には踏み潰されてもシッカリ根を下ろした草が生えています。

 ある朝この広場で最初のボールを見つけたのは7月です。

散歩のコースで平らな土の上を歩けるのは快適で、奥様が買ってくれた(懐は一緒です)靴底も減らないし、広場内を5周程歩くのが日課になりました。

 何周か歩くうちに叢の中から又一個見つかりました・・広場中央へ蹴り出します。

次の日から周りの叢を自分の目で探しながら歩く私がいました。

そして遂に3個目が見つかったのです。

叢を探しているうちに終戦後の少年時代に高田馬場で近所の学童仲間と野球をした思い出が甦って来ました。

食糧難の戦後でしたが子供達は皆元気で仲良し・・

男ばかり5人兄弟の次男だった私が不器用だったのに兄は器用に何でもこなしました・・

台風で役立った鉱石ラジオのセットを停電の暗闇で家族が耳を側立てて聞き入ったことも・・

後に兄は父の後を継いで測量機修理の仕事を継いだのも当然の事です。

器用な兄が自分で布を縫い合わせて作ったグローブはボールがスッポリとキャッチ出来なくていつもポロポロ・・

でも布製のグローブでも自分のものなら立派な草野球のレギュラーです。

そんな兄を今でも尊敬している私です。

長兄89歳今でも存命です。

戦後後楽園(今の東京ドーム)プロ野球が始まり赤バットの川上哲治、阪急から移籍の青バットの青田選手、ライト打ち得意のセカンド千葉選手、塀際の魔術師平山選手・・

入場料の安い左翼の外野スタンドで観戦していた私は、老練な平山選手が、すぐ目の前までバックして来て大飛球をキャッチした瞬間の光景は今でも忘れられない・・

当時プロとは関係のない子供達の草野球は近くの学校の校庭とか、近所の空き地等が野球場になっていたのです。

戦後の事ですから空き地の周りは草ボウボウだったり、深い竹藪だったり・・

そんな草野球チームですから野球道具といえば、各自持ちの布製のグラブ、チームの金持ちの誰かが持ってきた不揃いのバットが一本か二本・・

肝心のボール(当時は健康ボールというゴム製のボール)は2個位・・

皆で小遣いを出し合って手に入れたような気がします。

試合中、誰かが打ったボールがとんでもない方向へスッ飛んでいきました。

遥か彼方の藪だか叢だかに消えていきました。

試合は中断です。

勿論、貴重な健康ボールが無いと野球を続ける訳にはいかないし・・

全員が、そして控えの私までボールが消えた方向へ一斉に走り出します。

それから5分掛かろうが10分掛かろうがボールが見つかるまでは皆全員で叢の中を探し回るのです。

草野球を始めるのが放課後の事・・

夕闇迫る野ッパラで夢中になって探し回る少年達・・

突然「アッタ~・・」遂に誰かがボールを見つけたのです。

手には貴重なボールが泥に塗れて輝いて見えます。

選手全員が笑顔で喜び合います。

さて、もう真っ暗闇の中では草野球もできません。

ボールを見つけた本人が次の草野球が出来るまで預かって解散するのです。

夕闇の中、貧しいけれど温かい家族の元へ少年達は帰っていきます。

広場のボールは昼間誰かが蹴っ飛ばして或いは投げて・・

隅の叢に消えているのか・・

今朝もウロウロとボールは探して散歩を続ける私です。

3つ揃えば大満足・・全く見つからない時は悲しい・・

明日はきっと見つかるよ・・

 今は最高に贅沢??秋の芋尽くしです。ゴチソウサマ