戦後の混乱期を過ぎて世の中が落ち着いて来たころの今から70年以上も前の話です。
何かの買い物で母親と東京新宿の三越百貨店に出掛けた私達親子です。
当時あの三越デパートもストライキの真っ最中でした。
今思えば、三越のストライキ騒ぎは後にも先にもこの年だけだったようで・・
私も貴重な体験をしたものです。
私達親子は新聞等で三越百貨店がストライキ中も営業していることは承知していました。
恐らく母一人では心細いので男の子の私を一緒に連れて行ったのだと思います。
案の定、三越の正面入り口には鉢巻きをした大勢の男の人達(従業員?)が緊張した顔で入り口を塞ぐように詰めていました。
その人たちは口々に繰り返し何かを叫んで気勢を上げていました。
母もそれほど上背が有るわけでもないのですが、私は子供ですから見上げると真剣な大人達の険しい視線に初めはビックリしました。
それでも二人が店内へ入ろうとすると・・男の大人たちが「子供連れだ、通せ通せ」と、人一人が、やっと通れるくらいの道を開けてくれて・・
無言の親子は人垣の真ん中を揉まれるように中へ中へと導くと云うより押し出されるように店内に入ることが出来ました。
すると今度は左右にネクタイをして年配の立派な服装をした男の人達が1列に並んでいて・・
今思えば重役さん達でしょう・・「良くいらっしゃいました・・・」と深く頭を下げて私達を迎え入れて呉れたのです。
三越デパートで母が何を買ったのかは覚えていません。
店内で母が他のお客さんと「怖いですね~・・気味が悪い・・早く帰らないと・・」とひそひそと会話をしていました。
確か暮れの12月だったようですのでお歳暮の買い物だったのかもしれないのです。
ですから、買い物の後、デパートの大食堂で2枚重ねのホットケーキを食べさせて貰えるのが第一の楽しみだった私には残念ながら・・
従業員のストライキで食堂は休みだったかと思われます。
早々にデパートの外へ出た母が連れて行ってくれたのが近くの中華料理のお店でした。
闇市の盛んな戦後の新宿界隈でお店を開いているのも大変な頃です。
母も初めて行くお店だったようです。
母と私が店内に入ったら壁に短冊の紙で幾つかメニューが張ってあるのが見えました。
鮫子?私が目にしたのは餃子だったのですが・・
二人ともギョウザなんて全然知らないし、字も読めないから魚偏の鮫を当てはめたのです。
「何だろうね?サメコって・・」」と母・・初めての店で値段も書いてない餃子は注文しなかったみたい・・
結局、何か別の中華料理を注文したのだろう・・
あの時鮫子を注文して餃子を食べていればもっと早く餃子の味を知ったに違いありません。
母は?83歳でこの世を去りましたが、一番の得意料理はPTAの友人で、お蕎麦屋さん直伝の親子丼でした。
今朝最新の無人販売店で宇都宮餃子を買ってきました。
70年以上前に新宿の中華料理店の餃子と比較はできませんが・・
思った以上に美味しい冷凍餃子は完食です。ゴチソウサマ