スポーツや市民社会にルールがあるように、戦争にもルールがある。例えば、よく知られているのが、レッドクロスの建物(病院施設)を攻撃してはならないということである。
先週からNHKでBC級戦犯の特集をしている。前にも書いた映画「明日への遺言」もこのBC級戦犯の裁判での様子を描いたものだ。A級戦犯はよく知られている通り、戦争責任の最も重い中枢部にいた面々だが、BC級戦犯は、いわば軍の中間管理職的な位置にいた方々だ。軍の命令なので、自分のところで勝手に中止したり変更したりはできないものであるが、その執行段階での手続きを問われている。特に、捕虜や人質の扱いは、国際法で定めているにもかかわらず旧日本軍は教育されていなかったのかほとんどが守っていなかったと伝えられている。
7月に講演していただいたベトナム帰還兵のアレンさんによると、「戦場では冷静な判断はできず、動いたものはすべて敵として認識し攻撃しないと自分が殺されてしまう」と証言している。現場では、騙し騙されという状況があったのかもしれない。また、日本兵に家族を殺された遺族は、少なからず「恨み」「殺意」を持っていて当然かもしれない。
そういう状況を仮定すると、その時冷静な判断をしえたかどうかということを考えると自分でも自信が持てない。「戦争は理性ある人間的な感覚を喪失させてしまう」という体験者の話を聞くにつれ、現地での責任を問うことは難しい側面を持つ。誰1人としてそのような状況に立たせないためにも、戦争はするべきではない。
また、戦争で殺すことが許される相手は、「軍人」である。軍隊同士が戦うのだから当然だと考えるだろう。しかしだ、第1次世界大戦の頃は、軍同士のぶつかり合いだったため、戦死者の95%が軍人で一般市民はわずか5%に過ぎなかったものが、直近の湾岸・イラク戦争などでは、軍人5%・一般市民95%と逆転している。空爆やミサイル、遠隔操作の武器が増え、しかも攻撃対象が無差別化していることを意味している。もはや、戦争は軍隊同士の戦いではなく、軍が一般市民を殺す「殺戮」「虐殺」の構図となっている。「他国の侵略から守るべき」と主張する方々は多いが、そのことで誰の命が奪われるのか、よく考えて欲しい。
先週からNHKでBC級戦犯の特集をしている。前にも書いた映画「明日への遺言」もこのBC級戦犯の裁判での様子を描いたものだ。A級戦犯はよく知られている通り、戦争責任の最も重い中枢部にいた面々だが、BC級戦犯は、いわば軍の中間管理職的な位置にいた方々だ。軍の命令なので、自分のところで勝手に中止したり変更したりはできないものであるが、その執行段階での手続きを問われている。特に、捕虜や人質の扱いは、国際法で定めているにもかかわらず旧日本軍は教育されていなかったのかほとんどが守っていなかったと伝えられている。
7月に講演していただいたベトナム帰還兵のアレンさんによると、「戦場では冷静な判断はできず、動いたものはすべて敵として認識し攻撃しないと自分が殺されてしまう」と証言している。現場では、騙し騙されという状況があったのかもしれない。また、日本兵に家族を殺された遺族は、少なからず「恨み」「殺意」を持っていて当然かもしれない。
そういう状況を仮定すると、その時冷静な判断をしえたかどうかということを考えると自分でも自信が持てない。「戦争は理性ある人間的な感覚を喪失させてしまう」という体験者の話を聞くにつれ、現地での責任を問うことは難しい側面を持つ。誰1人としてそのような状況に立たせないためにも、戦争はするべきではない。
また、戦争で殺すことが許される相手は、「軍人」である。軍隊同士が戦うのだから当然だと考えるだろう。しかしだ、第1次世界大戦の頃は、軍同士のぶつかり合いだったため、戦死者の95%が軍人で一般市民はわずか5%に過ぎなかったものが、直近の湾岸・イラク戦争などでは、軍人5%・一般市民95%と逆転している。空爆やミサイル、遠隔操作の武器が増え、しかも攻撃対象が無差別化していることを意味している。もはや、戦争は軍隊同士の戦いではなく、軍が一般市民を殺す「殺戮」「虐殺」の構図となっている。「他国の侵略から守るべき」と主張する方々は多いが、そのことで誰の命が奪われるのか、よく考えて欲しい。