伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

ごくろうさん、風呂がま

2013-06-14 11:06:36 | みなさんにおしらせと独り言
平成13年に取り替えた「長府の風呂がま」(燃料は灯油)ですが、一昨日「なんか変な音がするよ」と長女の声。

そういえばそんな気がしないわけでもないけど…と思いつつ、沸かしてみたら案の定、臭いまでしてきた、、、

翌晩、やっぱり音が変やし、点火もしなくなった

家風呂はあきらめて外湯に行った。

そして、昨日、前回購入した某燃料店に連絡をして確認してもらったところ、点火時に火が噴いた
さすがに、12年×365日以上の回数を使ってますからくたびれてきたんだね、、、

ご苦労さん、お世話になりました、、、ということで付け替えることになりました。


思い起こせば、幼いころは「五右衛門風呂」で薪で沸かしていた頃もありましたね。
面倒になったのと釜の調子が悪くなったので「銭湯通い」をしていた頃もありました。
あの頃(昭和30年代)は、「銭湯」って普通に毎日通うところだった。
お父さんと行ったときは「男湯」に入ったこともある(笑)。
小学校のお友達もいっぱいいた。「男湯」にいることを笑われたこともあった…ような。

そんなこんなの「銭湯通い」も、家風呂をガス釜に変えたことで終わり、それからはずっと「風呂は家にあるもの」として生活してきました、、、

嫁に行ったらいったで、再び「五右衛門風呂」生活に逆戻り
長女が生まれた頃(昭和50年代後半)も「薪」で焚いて、体の芯からあったまるいいお風呂でしたが、何かと不便といえば不便だった
その頃の様子は、長女には微かな記憶として残っているらしい、長男が生まれても、なお「五右衛門風呂」だった、、、

末っ子ちゃんは「五右衛門風呂」を知らない、、、「町」の子になってました(笑)。
狭い浴室で、子ども三人を順番に入浴させる仕事は、父親にしかできなかったような、そんな昔の記憶です。


さて、「家にお風呂はあるもの」という生活を長年続けてきて、いきなり「風呂通い生活」はやっぱり生活リズムが狂っちゃいます。
急いで晩御飯と晩酌を済ませて、後片付けもそこそこに慌てて出かけ、外で湯っくりお風呂に入ります、、、

あぁ~~帰宅してから家事をするのはやっぱり面倒くさい

このまま、バタンキューと眠りたい日々です。
来週火曜日まで我慢するとするか…