伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

久しぶりに、愛宕神社訪問

2013-06-19 00:24:34 | みなさんにおしらせと独り言
とある人とここで待ち合わせ

 
思うに、社寺建築って、けっこう派手系な色彩なんですよね(笑)。
赤い鳥居も、「城下町」では目立ってなんぼですよ。

城下町=モノクロの景観でなければ!という理論は成立しません。
鉄筋コンクリート剥き出しの建物が歴史的建造物だ!と、褒めちぎっている場合ではありません、、、


ところで、「愛宕神社の由来」はご存知でしょうか?
ずっと以前からご紹介しているものをそのまんま使います、こういうのを無精もん!と言います(笑)。



~ 「愛宕の神様がお生まれになった時、国土を造られた神様が身を焦がしてお隠れになられました。」と日本の神話が伝えています。
 その身を焦がした火の力を活用することにより、文化が発達したのでありますから、生活の基を司る神様とあがめられました。

 太古、伊賀の湖であった大地から水が引いて真ん中に南宮山(なんぐうざん)が現れ、朝日獄(あさひだけ)が現れました。伊賀の周囲の山々には、太古の神様が祀られていましたが、南宮山は敢国(あえくに)さん、朝日獄には愛宕さんが現れました。すべて創成の力を持って住民に対されました。
 この神霊を世に送り出した近世の偉人は、小天狗清蔵(こてんぐせいぞう:猪田山出の方)さんです。
 愛宕さんは、火の神様として人々の暮らしを守っています。
 折々にお参りいただいて、愛宕さんの霊威を頂いてください。そのことが、道開きにつながります。 ~

だから「愛宕神社」は「火伏せの神様」と言われています。(毎年、同じことを書いている気がします…)

 愛宕神社本殿のこと 


ところで、『小天狗清蔵』さんのことは、「勝因寺の梵鐘」に記述があって、【元来愛宕山大福寺の什物として鋳造されたもので、小天狗という人が中心となって、鐘を鋳造し寄進した】とか、
また、「観光みえ:古代のロマンを伝える伊賀の山里」というページでは、【清蔵は山出の人で大峰山の修験者で敢国神社、菅原神社等を復興し、上野愛宕神社の創建者でもある】とも書かれています。

いろいろと、由緒ある愛宕神社で待ち合わせしていたのです。(誰とは言いませんが、愛宕さんの夏祭りの協力者の一人!には違いない)

その愛宕神社の祭礼を、粛々と守ってくださる「奉賛会」の方々も超高齢化まっしぐら、、、
少しでもお役にたてるのであれば、、、
そしてそれが未来につながるのであれば、、、


今年も頑張りましょう、ね。