ふと思いたって立春の朝、塔寺の心清水八幡宮と立木観音堂を訪れました。
心清水八幡宮です

社前の清水で口をすすぎ手を清め心静かに二礼二拍手一拝、久方ぶりに清らかな素直な心で神への祈りを捧げました。私の祈りのすぐあとに深々とお二人の祈りがありました。私の心も静まり心豊かになりました。卒寿の命を神におゆだねする私の祈りでした。

八幡宮に続いて立木観音堂を参拝しました。早朝の観音堂です。

こちらも早朝なのに引きも切らずに参拝なさる方がお出でになっていました。
私がお参りがおわって帰る参道でお若い元気なおばあさんに「ころり観音さんですよね」と声をかけられました。「はいころり観音」ですと答えると「すこやかにねころりと逝きましょう」と笑顔でおっしゃいました。綺麗な姿のおばあさんでした。微笑ましくて嬉しくなりました。
帰り道、参道の脇に見事な句碑がありました。

私は、俳句って深い教養と細やかでするどい感性を持った方たちだけのもので私のような無粋なものにはなじめないものと思っていました。正直無粋な凡人の私には新聞の文芸蘭などで高名な俳人の先生の句などを見ても句意を理解し心ひかれることが出来ないものが多いんです。ですから俳句は凡俗な私などの関心外の別の世界と思っていました。
でも本当に見事な句碑です。雪を踏んで近寄って見ました。「献詠 会津坂下町うぐいす吟社」とありました。そして句碑頭の句に
目つむりて聞くやうぐいす身のほとり 東河原 紫苑
とありました。
ああ、私にも分かる句、やわらかな美しく静かなな句、俳句って私にも分かるんだ嬉しくなってしまいました。
「東河原 紫苑」さんのことはばばちゃん(家内)から紫苑さんではなくて本名でいろいろ聞いていました。旧家のお生まれで深い教養をお持ちで美しい書をなされるお方、そして福島県文学賞俳句部門で正賞をお受けになり俳句の吟社を主催なさり、生涯美しいものを求め抜いて逝かれた方と聞いていて密かに心よせていた私でした。ですから句碑頭の句を読んで「ああ、ここに紫苑さんがいらっしゃった」嬉しいと感動してしまいました。
そして心をこめて句碑の一句一句を読み続けました。
蝶が過ぎゆけば折り鶴寂しくなる 御池田 素苑
洗っても洗っても芹母郷の香 津尻 美生
おぼろ夜の月にも木にも母ありき 十日町 玉女
花冷えや窓閉めて裁つ黄八丈 若松 和歌
句碑の前の雪の上に立ってゆっくりと一句一句味あわせて頂きました。悲しいかな教養のない私です、句の中には語句が読めなかったり、心及ばない句もありました。それでも一生懸命心をこめて最後の句まで読ませて頂きました。今日は私にとってすばらしい日でした。
なお参考までに句碑が読めるように大きくした写真のURLをコメント欄に書いて置きました。