さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

船越地区の鎮守様はキューリの神様なんだそうですよ

2017-04-02 | 日記
ばばちゃん(家内)が船越(ふなこし)集落の友達から聞いたんだけどキューリの神様ってなんなんでしょうね。昔はそのキュウリの神様のお祭りにはあちこちの町や村からたくさんの人がキューリを持って参詣して賑わったんだそうですよと言うんです。

「ふう~ん?、キューリの神様ね」私もキューリと神様の取り合わせがあまりにもとっぴなので不思議に思いました。

私は5月の田植えの頃新緑の美しい船越の鎮守様の森を思い浮かべました




うす曇りの日でしたけど船越の鎮守様を訪ねて見ました。私の家から3000歩ほどのところでした。鎮守の森のケヤキは葉を落として冬の様相でした。すごい大木の森です。



船越集落への道です。右に折れて鎮守様への参道です。



集落の標識にはキューリが2本描かれています。なるほど船越の鎮守様はキューリの神様なんだと妙に納得して近寄って見ると違いました。この標識はたくさんのビニールハウスでキュウリを栽培なっさていらっしゃる方の案内パネルでした。鎮守様とは関係ありませんでした。

鎮守様の参道です。逆光のため鎮守様の石の標識の文字が写真ではよく読めませんが「村社八坂神社」とありました。八坂神社って美しい山鉾巡行で有名な京都祇園の八坂神社ですよね。船越の鎮守様は京都祇園の八坂神社の末社なんですよね。




船越の鎮守の八坂神社です。




境内のケヤキの古木です。




この神社の狛犬はちょっと変わった姿をしていました。目が金色に輝いて牙が青く染まっていました。遠い昔近郷近在の町や村からたくさんの人参詣して賑わったこととなんか関係があるんでしょうか?。わたしは金色に輝く目をした狛犬ははじめて見ました。



参道から境内への入り口に見事な石の灯籠がありました。高さは私の背の高さ(164cm)の倍近くありました。明治14年(1886)建立とあって、「天王社永代灯籠」とありました。八坂神社は天王社とも言うんですね。




石灯籠の寄進者の名前が刻まれていました。船越地区の人だけでなくあちこちの町や村の人の名前がありました。遠くは越後の広瀬村の方の名前もありました。この八坂神社を信仰している方が広範囲に広がっていることが分かりました。

私の保存してある写真の中に夏の八坂神社の祭礼の時の大きな幟の写真がありました。幟には「鎮守祇園天王」とありました。



皆様はには重々お分かりのことなんですけど、こういうことに疎い私には祇園の祭りと言えば度々テレビで放映される山鉾巡行の京都の祇園祭りや、日本の三大祇園祭のひとつ花嫁姿の七器(ななほかい)行列や、山車の上で演じられる子ども歌舞伎で有名は会津田島の祇園祭りが頭に浮かぶだけでなんにも分からないのです。

惚けた頭ですこしばかり調べてみました。町史を開いて見ました。そしたら船越の八坂神社の祭神は「須佐之男命(すさのうのみこと)」とありました。 須佐之男命と言えば昔小学校でお習いしたことを思い出します「 須佐之男命は神話の中で世界の中心の神の天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟の荒ぶる神で姉の天照大神に乱暴狼藉を働き、怒った天照大神は天の岩戸(あめのいわと)お隠れになり、世界は光を失って暗闇になった」須佐之男命はそんな荒ぶるとんでもない神さんなんですよね。

私にはキュウリの神様といい。荒ぶる須佐之男命が祭神といい八坂神社、祇園の祭りってなんなんだろうと不思議に思うばかりでした。

ネットのウィキペディアで調べてみました。
「平安時代京都の夏に疫病が流行して人々は苦しみ社会不安が深まった。当時の人たちはこれは飢餓や戦で恨みを残してこの世を去った人たちの悪霊のたたりと考えた。その悪霊を鎮めるため、釈迦の生誕地の祇園精舎の守護神牛頭天王を祀り疫病の流行を押さえ無病息災を祈願した。これが八坂神社祇園の祭りの始まりである。牛頭天王はあるとき悪神に追われたときキューリの畑に身を隠した。悪神はキューリのトゲを恐れて近づけず牛頭天王は助かった。牛頭天王は日本では習合して須佐の男尊になった」



ということで船越のキュウリの神様のお祭りは夏の疫病から人々をまもり無病息災を祈願するため須佐の男命こと牛頭天王を祀る祭礼でした。なにも知らない私にとっては大きな勉強でした。今は夏の疫病などの流行は聞かなくなったいい時代になりでキューリを持ってお参りする人も少なくなり牛頭天王様もゆっくりとお休みになっていらっしゃるんですね。