本年1月に逝去された半藤一利氏は太平洋戦争を中心に日本の近現代史の書籍をたくさんお書きになっていらっしゃいます。私の生まれより3年あとの1930年(昭和5年)のお生まれで いらっしゃいます。私は「ノモンハンの夏」「昭和史」「日本のいちばん長い日」などたくさんの書籍を読ませていただき私の昭和史の知識や感懐のすべては半藤一利氏の書籍から学ばせていただいているんです。
そして新しくA4版の「半藤一利の昭和史」という写真がいっぱいの「永久保存版の書籍」を手に入れました。

そしてページを開き第1ぺージの自筆の「あとがき」の原稿用紙の写真原稿をを読ませていただいてとびらの1ページを開くと胸をうつすごい写真が目にはいったのです。

とっさに私に心にこんな歌詞のメロでイーが思い浮かんだのです。
「煙も見えず雲もなく風も起こらず波たたず・・・・」
日清戦争の逸話に基づく海軍軍歌「勇敢なる水兵」の歌詞ですよね。80 数年昔茅葺きの小さな校舎の小学校でお習いして友達と盛んに歌って遊んだんですよね。。当時私は幼い軍国児童でした。
写真を見ると二本の帆柱に3本の太い煙突から黒い煙が出ています。重油ではなくて石炭っを焚いているんですね。しかも先頭の軍艦からは斉射の砲煙が見えています。私はこれは明治27年(1894)同28年の日清戦争前後の写真ではなかろうかと思ったのです。それから10年後の日露戦争の日本海戦の時の軍艦はもっともっと近代的になっていますから。
明治になってわずか27年前後に、もうこんな軍艦を持って中国の清朝時代の大国と戦って勝利したんですね。
「まだ沈まずや定遠は・・」定遠は清国最新鋭の軍艦のことですよね
そんなふうに歌詞は続きます・
私は正直平和主義者です。戦争は嫌いで憎みます。でも127年も前の海戦の栄光の明治の軍歌を昭和の初めにお習いした小学校の児童の心に帰って心が躍るのです。
そして18歳のとき3千数百人の将兵をのせた戦艦大和が残った国中の燃料を掻き集めて沖縄への片道特攻作戦に出発し、九州沖でアメリカ軍の飛行機の群れに攻撃され沈没し3500余人の若者が戦死した時の愚劣で凄惨な昭和の敗戦に思いがいたるのです。
本当に戦争は怖いです。平和を守らなければなりません。まんまんいちある一国が自国の正義のために核爆弾をのせたミサイルを発射すれば相手国も瞬時に同じようにミサイルを撃ち返すでしょう。そして持っている核とミサイルがなくなるなるまで互いにうちつくすでしょうね。やったらやったるでーの核戦争に勝利などあろうはずがありません。地球は核に汚染され全人類が苦しみのうちに滅亡するんでしょうね。貧富の差なんど関係ありませんね。仮に立派なシェルターで一時核爆弾の難をのがれても地球は核に汚染されているんですから生きるすべはないでしょうから・・・(所持核兵器数 アメリカ6185 ロシア6500)