ねぎやんのしま人のたわごとパ-ト2

視覚障碍者、ねっしーのあれこれ日記・・・

もう30年も前か・・・

2008-06-16 20:59:09 | ノンジャンル
帰りの道で、我が母校へ寄った。

地下鉄出入り口の隣



ここは立ち喰いそば屋がありました。
やっていた人は同級生の兄

登校時刻に間に合わないとここで一服(笑)
どーせ遅刻は遅刻だし

入るとかならず友人がいたので、話も盛り上がる


店の兄貴も「貴様らいつも・・・」とコーヒーを入れてくれた。




この車庫も当時と変わってないや





神社も同じ、違うのは当時の友人たちがここにいないことかな?
あと道が狭く感じますね。




ここは裏門へのショートカットの道、以前は当然泥道




ここが裏門のあったとこ、今は立派な校舎だけど当時は木造2階建てのオンボロ

8時半ピッタリに校門は閉まってしまうので、左の塀を乗り越えてました。

でないと、たった1秒の遅刻でも、ここから正門まで戻って校舎へ入るのに10分近くも掛かってしまい、かなりのペナルティになっちまいます。

先生たちもそこはお手の物、オイラが塀を乗り越えるのを狙って竹刀を持って塀の中で待っていた!

顔見合わせて笑ったもんです。




卒業式にここに車を止めてみんなでお別れ会を道産子ラーメンでやったのです。もうお店つはありませんでしたけど。

でも・・・



おそば屋さんは残っていました。トッピング出来るおそば屋さんで、学生に(サラリーマンにも)やさしいお店です。
このお店で卒業間近の昼休み、友人と食べたのを思い出します。

テレビでは「笑ってる場合ですよ」がやっていました。










ここは第二正門、実は正門のすぐ隣にあります。

新しい校舎が出来るまでは、工事で使えず、こちらが正門としていました。



最後になりましたが、ここが正門です。
実は私、入学は裏門から入り、卒業は正門がら出て行きました。
この正門の前で悪友たちと写真を撮ってお別れをしたのですが、それからすごい年数が経ってしまいました。

そんな昔の事とは思えないのですけどね。

帰り道、その学生たちを見て「時代は本当に変わったな」と思いました。

ばね指

2008-06-16 20:02:26 | ノンジャンル
で、いきなりバネ指日記のつづき


今日、テーピングを外してバネの按配をみました。

恐る恐る指を曲げる・・・

痛い・・・でももう少し・・・



カックーン!


ダメだこりゃ


再度包帯を巻いてテーピング代わり


また今日も整形外科と接骨院のハシゴでした。

まぁあれ以上悪くなっていないのだからマシかなぁ?

しかし・・・

看護士さんに再度


「これホントに治るのですか?」

「今日で何日目?」

「3回目」

「んーまだかなぁ、でももう少しするときっと変わったなと気づくと思いますよ。時間掛かりますがよくなりますよ」


「はーい」


と元気な返事はしても気分がブルーなのは言うまでもない。


暖めたほうが早く治るのか、もう少し冷やしてからの方が良いのか、固定したほうが良いのか、動かしたほうが良いのか?
お医者さんによって見解がバラバラ、結局分かんないと言う事なんだろうな。

夢と現実

2008-06-16 19:55:46 | ノンジャンル
昨日、秋葉の事件現場へ足を運んだ。

もちろん単なる見物ではなく用があって行ったのですが


近くへ行くとお香の匂いが風とともに運ばれてきて

あぁ、あの事件は本当の現実の出来事だったんだと知らされる。




4x5で写真を撮っている女性カメラマンがいた。


現場は花束で多い尽くされ、本当になんの落ち度もなく犠牲になった人は無念だったろうとしか言いようがない。
かわいそうとかそんな簡単な言葉では言い表せない、それは現場へ足を運んだ人すべてが感じることだと思う。

そして、事故当事者、親族、関係者すべてはこの地にくると「夢のような出来事」と感じるのだろうな。

とても信じがたい出来事なだけに。



宮城県の地震と共に亡くなられた方すべてにご冥福をお祈りすると共に、人間きは学んでさらり強くならなければいけないのだと思います。