今でも目から離れない出来事があります
15歳の夏
親友の家族と同僚で海へ行ったときのこと
私の家族はいなく、親友両親とその同僚が私の保護者なんですけど
海は台風が近づいていてうねりがひどく
水温も20度以下と、とても遊泳出来る状態ではありませんでした
当然遊泳禁止の立て札がなびいてまして
だーれも泳いでいません。
波打ち際で水につかると
つめてーーーーーー
しばらく様子を見て
体が慣れてきたら
少し泳ぐ
若いから、全然平気なんすよね
沖の大きい波までは行けないですが、
途中の浅瀬では十分遊べます。
日もだいぶ上がってきて
海水浴客が増えて
浪打際の水の冷たさに悲鳴を上げる人たち
笑いながら遊んでいました
朝10時過ぎに遊泳禁止が解除され
私は沖の大きい波のすぐ手前で
背泳ぎでプカプカ浮かんでいました。
学生時代はずっと水泳をやっていた事もあり
海の潮の流れや怖さも教えられていたので
ここなら今の自分の体力でも安全と言うところを
自分なりにわかっていました。
そもそも、水泳合宿が終わったばかりでしたから。
そこへ、5人ほどの人が騒ぎながら私を追い越して行きました
私は即「この人たち危険だ」と思ったのです
私が浮かんでいるところは、沖の大きい波と岸辺の小さい波のちょうど中間で
体を沖に持っていかれない場所だったからです。
私の場所でも、足はつきません
大丈夫かな?
一人の大人の男性が
「危ないから引き返そう」
そう言って私の方へ戻ってきました。
良かったと思ったのですが
少しして
岸の方で大声が聞こえます
先ほどの大人たちが騒いでいます
「あいつ溺れてんじゃねーか」
えっ
プカプカ呑気に泳いでいた私が、沖を見ると
私のすぐ側3mくらいのところで
人が浮かんだり沈んだりしています
最初は理解できないでいました
すぐに私と一緒に来ていた親友が
「その人溺れてるんじゃ?」
その言葉で理解しました
すぐ方向転換
救助に向かおうと泳ぎ始めた瞬間
岸から大声で
「いっちゃだめだー」
ものすごい声だったのですぐ気づきました
岸を見ると、私の保護者の大人達が大声で戻って来いと
叫んでいます。
溺れている人との距離からいって
今なら間に合う
それに一番近くにいるのは私だし・・・
そんなこと考えている間
あっという間に
彼は溺れたまま危険ゾーンへ流されてしまいました。
わずか数秒ですが
もう私には無理
すぐに引き返して保護者の下へ
一緒に来たと思われる大人達は大騒ぎしていますが
結局救助へ向かう人はその中にはいなく
近くにいた漁師がエアーマットを持って
沖の大きい波までいきましたが、
彼には近づけないでいました。
漁船なども出ましたが、当時は海水浴の水難救助活動が
あまり活発にされておらず、おたおた
なんか見ていて歯がゆかったです。
結局彼は海に沈んでしまいました。
私も小学生の頃、湖で溺れたことがあります。
泣きながらがむしゃらにバタバタ手足を動かしていた記憶があります。
友達の姿が見えたので
「助けてー」
と言うと
「足つくよ」
?
バタバタやっているうちに
岸まできたようです。
溺れると言うことはこういうことだと
身をもって知っていたので
今回のこの出来事は、15歳の私にはきつかったです。
自分では絶対に助けられたと思っています。
但し
じゃあ、自分も無事帰還出来たかと言えば
自信がありません
水難救助の仕方は教わっていましたが、
現実は
溺れるものは藁をもつかむのことわざ通り
救助に向かった人を藁と思ってしがみついてきます。
当然放しません
だから、助けるほうが逆に巻き込まれるのですが
それを回避出来る条件が
救助する人の体力です。
つまり自分の体力がどこまであったかという事です。
せめてもう一人近くにいたら
帰りのラジオで名前を知りました。
17才でした。
助けてほしかっただろう彼本人とご両親、そして一緒に来ていた保護者
対して、私を無事親元へ返さなくてはいけない親友の両親と同僚のつらい思い
この出来事はきついです
35年も経った今でも消えません。
人間は記憶を忘れるのでは・・・
それより、もし救助に行っていた選択を私がしていたら
今のこの自分は、今ここにいるのだろうか?
結果論は無意味なので、これでよしとしなければ
いけないのですが、夏になると、台風が近づくと
どうしても、あの光景が出てきて
きついなあ
ここに書いたらもっと忘れなくなる?
逆にすっきりするかもと書いてみました。
ダメだったら消します。
15歳の夏
親友の家族と同僚で海へ行ったときのこと
私の家族はいなく、親友両親とその同僚が私の保護者なんですけど
海は台風が近づいていてうねりがひどく
水温も20度以下と、とても遊泳出来る状態ではありませんでした
当然遊泳禁止の立て札がなびいてまして
だーれも泳いでいません。
波打ち際で水につかると
つめてーーーーーー
しばらく様子を見て
体が慣れてきたら
少し泳ぐ
若いから、全然平気なんすよね
沖の大きい波までは行けないですが、
途中の浅瀬では十分遊べます。
日もだいぶ上がってきて
海水浴客が増えて
浪打際の水の冷たさに悲鳴を上げる人たち
笑いながら遊んでいました
朝10時過ぎに遊泳禁止が解除され
私は沖の大きい波のすぐ手前で
背泳ぎでプカプカ浮かんでいました。
学生時代はずっと水泳をやっていた事もあり
海の潮の流れや怖さも教えられていたので
ここなら今の自分の体力でも安全と言うところを
自分なりにわかっていました。
そもそも、水泳合宿が終わったばかりでしたから。
そこへ、5人ほどの人が騒ぎながら私を追い越して行きました
私は即「この人たち危険だ」と思ったのです
私が浮かんでいるところは、沖の大きい波と岸辺の小さい波のちょうど中間で
体を沖に持っていかれない場所だったからです。
私の場所でも、足はつきません
大丈夫かな?
一人の大人の男性が
「危ないから引き返そう」
そう言って私の方へ戻ってきました。
良かったと思ったのですが
少しして
岸の方で大声が聞こえます
先ほどの大人たちが騒いでいます
「あいつ溺れてんじゃねーか」
えっ
プカプカ呑気に泳いでいた私が、沖を見ると
私のすぐ側3mくらいのところで
人が浮かんだり沈んだりしています
最初は理解できないでいました
すぐに私と一緒に来ていた親友が
「その人溺れてるんじゃ?」
その言葉で理解しました
すぐ方向転換
救助に向かおうと泳ぎ始めた瞬間
岸から大声で
「いっちゃだめだー」
ものすごい声だったのですぐ気づきました
岸を見ると、私の保護者の大人達が大声で戻って来いと
叫んでいます。
溺れている人との距離からいって
今なら間に合う
それに一番近くにいるのは私だし・・・
そんなこと考えている間
あっという間に
彼は溺れたまま危険ゾーンへ流されてしまいました。
わずか数秒ですが
もう私には無理
すぐに引き返して保護者の下へ
一緒に来たと思われる大人達は大騒ぎしていますが
結局救助へ向かう人はその中にはいなく
近くにいた漁師がエアーマットを持って
沖の大きい波までいきましたが、
彼には近づけないでいました。
漁船なども出ましたが、当時は海水浴の水難救助活動が
あまり活発にされておらず、おたおた
なんか見ていて歯がゆかったです。
結局彼は海に沈んでしまいました。
私も小学生の頃、湖で溺れたことがあります。
泣きながらがむしゃらにバタバタ手足を動かしていた記憶があります。
友達の姿が見えたので
「助けてー」
と言うと
「足つくよ」
?
バタバタやっているうちに
岸まできたようです。
溺れると言うことはこういうことだと
身をもって知っていたので
今回のこの出来事は、15歳の私にはきつかったです。
自分では絶対に助けられたと思っています。
但し
じゃあ、自分も無事帰還出来たかと言えば
自信がありません
水難救助の仕方は教わっていましたが、
現実は
溺れるものは藁をもつかむのことわざ通り
救助に向かった人を藁と思ってしがみついてきます。
当然放しません
だから、助けるほうが逆に巻き込まれるのですが
それを回避出来る条件が
救助する人の体力です。
つまり自分の体力がどこまであったかという事です。
せめてもう一人近くにいたら
帰りのラジオで名前を知りました。
17才でした。
助けてほしかっただろう彼本人とご両親、そして一緒に来ていた保護者
対して、私を無事親元へ返さなくてはいけない親友の両親と同僚のつらい思い
この出来事はきついです
35年も経った今でも消えません。
人間は記憶を忘れるのでは・・・
それより、もし救助に行っていた選択を私がしていたら
今のこの自分は、今ここにいるのだろうか?
結果論は無意味なので、これでよしとしなければ
いけないのですが、夏になると、台風が近づくと
どうしても、あの光景が出てきて
きついなあ
ここに書いたらもっと忘れなくなる?
逆にすっきりするかもと書いてみました。
ダメだったら消します。