グロースセミナー 終わりました。
17年間も続いているのに、毎回新鮮な体験です。
グロースセミナーを知っている人は、身近にはずいぶん増えましたが、それでも、ごく限られた人たちしか「あの体験」をしていません。
「あの体験」を説明するには、いくらボクの知っているコトバ達を集めてきても説明しきれないのです。
これからご紹介するストーリーは全部本当のお話であって、今年の8月の2日から6日に実際にあったお話です。
グロースセミナーは「小学生のための野外体験学習」として17年前に始まりました。
「自分で決めて、自分で行動して、自分で欲しい結果を作り出していく」
「それがどんな結果であっても、自分を承認していく」
ボクが、20年前に自分を見つめて、そのときの自分に一番大切だったことが、このことでした。
だから、大人になってから気づくのではなくて、子どものうちからこのことの大切さを気づける、体験学習を子どもたちに提供したい、という思いで始まったセミナーです。
7月に参加者全員が集まって、セットアップセミナー
8月の北海道キャンプ
9月のフォローアップセミナー
総日程約65日間
もちろんメインは北海道のキャンプです。
今回のメニューは
初日はウォーミングアップをかねて、グループ作りや、ネイチャーゲームをしていきます。
といっても、簡単ではありません。
なぜならば、システマチックにグループを決めるわけではないからです。
子どもたちが、自分の力で、グループを作り出していくのです。
こちらで提案するのは、学年のバランスと、経験のあるなしのバランス、そして男女のバランス
毎回、全員で、どれくらいの時間でグループを作り出すのかを決めてからスタートします。
でも、この時間がなかなか決まらない。「時間を決めるための時間」を決めなければならないほど・・・
ボクたちは、ひたすら「待つ」のです。主人公は子どもたちですからね。
低学年はふざけ半分に「5ふーん」「30じかーん」と適当に繰り返す。
大人に依存している彼らに、「決める」力はまだかけらも見えてきません。
というよりも、大人が彼らの「決める力」を奪っているのですから。
ようやく「30分」という時間が決まって、グループ作りがスタート。
そして30分はあっという間に経過してグループはできない。
リーダーの中学生は、子どもたちに依存し、子どもたちはリーダーに依存したまま。
ボクこと「しばしば」は、30分を振り返ります。
自分たちで決めた時間内に、自分たちの望むグループが作り出せなかったこと。
それを責めるのでも、反省させるのでもなく、ただ振り返ります。
子どもたちは徐々に、自分で決めることの困難に直面し始めるのです。
大人のボクたちだって、おんなじです。
自分で決めること・・・案外していないことが多いってことないですか?
与えられたことを一生懸命することは得意でも、自分から何かを決めていくことって、なかなかあるようでないのです。
子どもたちは、その後も、20分延長し、また決められず、また延長・・・
リーダーにはリーダーに、子どもたちには子ども達に向けてフィードバックを繰り返します。
彼らが、決められない理由は、とてもシンプルです。
大人が決めたことに従うことに慣れている、ということ。
どんなにいうことを聞かない子どもだっておんなじです。
いざ、自分で決めるとなると「決まらない」
人間関係は、自分の思いと、他者との思いを試行錯誤しながら、ダイレクトに向き合いながらつながっていくものです。
時にはぶつかるし、時には誤解をします。
でも「関係性」はそうやって成熟していくものなのです。
何度も、何度も根気強く彼らが決めることをサポートし(お陰で炎天下、お昼を過ぎて腹が減って腹が減って・・・・)、何が起きているのかを彼らが認識した瞬間にグループが決まります。
何度もグロースに参加してる子どもたちほど、こういった体験から学ぶのです。
「時間は誰が決めたの?」と、問いかけると元気よく「じぶーんっ!」と返ってきます。しかし、「自分で決めた」という責任の意識はまだ育っていません。
低学年にはこくな話です。
それでも、彼らも大切なグループの一員。
多数決やじゃんけんはいっさいやりません。
だって、あれこそ、「自分で決めること」から程遠いやり方ですからね。
そのほうが早いし、みんな納得するのかもしれませんが、個人である「自分」は尊重されないやり方なんですよね。
結局、決まるときはあっという間。
5分ちょっとで決まりました。
彼らの顔にはホッとした様子と、「自分で決めた」満足感がちらほら見え始めます。(ボクはようやく昼食にありつける安堵感も加わるわけです)
こうして、グロースの最初の関門が突破されたのでした。
「自分で決める」
ファンタジーでも、主人公たちは必ず「自分で決める」事を余儀なくされていきます。
家庭や学校生活という「現実社会」を後にして、北海道の大自然の中に旅立って、彼らは「自分で決める」練習を5日間していくことになるのです。
さて、昼食後には、グループごとに自然道を歩きます。
歩き出す前に、しばしばから子ども達にこんなお話をします。
この森の中にはどんな生き物たちがいると思う?
子どもたちは思い思いに答えます。
リス
豹・・・?
クマ
鳥
オオカミ・・・?
そうだね、それ以外にキタキツネも住んでいる。
しばしばが、昨日歩いたときには、キタキツネのフンがそこここにあって、木の実や草がそれに混ざっていたんだよ。
あっそーかーキタキツネって北海道なんだぁ
ところで、昨日この森の管理人さんから、興味深いお話を聞いたんだよ。
キタキツネは、小動物だけじゃなくて、ときどき鳥も食べているって。
そして、この森の先に住んでいる管理人さんの家の池にはアヒルがいて、ときおりいなくなってしまうことがあるんだって。
そういえば、ここ数日、黒い羽のアヒルが見当たらないから、もしかすると狐にやられてしまったかもしれない・・・って。
さぁ、そこで、君たちに大切なミッションを与えよう。
黒い羽のアヒルの消息の手がかりになるものを森の中で見つけてきてもらいたい。
やってくれるかな?
子どもたちの目はみるみる輝いていきます。
「やられちゃったね」
「きっと隠れてるんだよ」
「もう食べられちゃったんだよ」
子どもたちは思い思いに、感じたことを口にしながら森に入っていきます。
実は、前日ボクが森に入ったときに、黒い羽が散乱している場所がありました。
きっとアヒルの身に「何かが起きた」のに違いありません。
でも、アヒルの消息の答えは子どもたちの「イメージの中」にあるのです。
案の定、帰ってきた子ども達に、その散乱した羽の様子から「何が起きたのか?」を問いかけてみると、それはそれはユニークな「物語」が語られていくのです。
ただ単に、「キタキツネにやられた」のではなく、「森と、黒いアヒルと、キタキツネ」の物語が、それぞれイキイキと・・・・
ボクは、そんな瞬間がたまらなくうれしいのです。
もちろん残酷な展開もあります。
かわいらしい結末もあります。
どんな物語であっても、ボクたちにはとてもたどり着けないような深いレベルから
彼らの心を通り抜けて飛び出してきたイメージは、「ホンモノ」なのです。
黒いアヒルは、キタキツネが近づいてきたことに気づいて、近くの木によじ登ったんだ。なんとか逃げたんだけど、ついにキツネが、木のしたまで来ちゃったんだよ。
それでね、アヒルはもうだめだと思って、キツネに殺されちゃうよりも、自殺するって決めたんだ。それで、木の上から下に飛び降りた。
えっ?でもアヒルの死骸はなかったよ。
うん、その落ちたところに大きな穴があったんだ。
その穴にアヒルは落ちていっちゃったの。
それでどうなったの?
わかんない
この物語が、ボクの一番のお気に入り。
自分のことを「ベッカム」と呼ばせた、サッカー大好き少年のお話です。
物語を語っているときの子どもたち一人ひとりの目の輝きは、地球の未来をきっと輝かしいものにしてくれると、確信できるものなんです。
だから、大人のボクたちが失ってしまった輝きを、子ども達をとおしてに取り戻していかなければならないのです。
17年間も続いているのに、毎回新鮮な体験です。
グロースセミナーを知っている人は、身近にはずいぶん増えましたが、それでも、ごく限られた人たちしか「あの体験」をしていません。
「あの体験」を説明するには、いくらボクの知っているコトバ達を集めてきても説明しきれないのです。
これからご紹介するストーリーは全部本当のお話であって、今年の8月の2日から6日に実際にあったお話です。
グロースセミナーは「小学生のための野外体験学習」として17年前に始まりました。
「自分で決めて、自分で行動して、自分で欲しい結果を作り出していく」
「それがどんな結果であっても、自分を承認していく」
ボクが、20年前に自分を見つめて、そのときの自分に一番大切だったことが、このことでした。
だから、大人になってから気づくのではなくて、子どものうちからこのことの大切さを気づける、体験学習を子どもたちに提供したい、という思いで始まったセミナーです。
7月に参加者全員が集まって、セットアップセミナー
8月の北海道キャンプ
9月のフォローアップセミナー
総日程約65日間
もちろんメインは北海道のキャンプです。
今回のメニューは
初日はウォーミングアップをかねて、グループ作りや、ネイチャーゲームをしていきます。
といっても、簡単ではありません。
なぜならば、システマチックにグループを決めるわけではないからです。
子どもたちが、自分の力で、グループを作り出していくのです。
こちらで提案するのは、学年のバランスと、経験のあるなしのバランス、そして男女のバランス
毎回、全員で、どれくらいの時間でグループを作り出すのかを決めてからスタートします。
でも、この時間がなかなか決まらない。「時間を決めるための時間」を決めなければならないほど・・・
ボクたちは、ひたすら「待つ」のです。主人公は子どもたちですからね。
低学年はふざけ半分に「5ふーん」「30じかーん」と適当に繰り返す。
大人に依存している彼らに、「決める」力はまだかけらも見えてきません。
というよりも、大人が彼らの「決める力」を奪っているのですから。
ようやく「30分」という時間が決まって、グループ作りがスタート。
そして30分はあっという間に経過してグループはできない。
リーダーの中学生は、子どもたちに依存し、子どもたちはリーダーに依存したまま。
ボクこと「しばしば」は、30分を振り返ります。
自分たちで決めた時間内に、自分たちの望むグループが作り出せなかったこと。
それを責めるのでも、反省させるのでもなく、ただ振り返ります。
子どもたちは徐々に、自分で決めることの困難に直面し始めるのです。
大人のボクたちだって、おんなじです。
自分で決めること・・・案外していないことが多いってことないですか?
与えられたことを一生懸命することは得意でも、自分から何かを決めていくことって、なかなかあるようでないのです。
子どもたちは、その後も、20分延長し、また決められず、また延長・・・
リーダーにはリーダーに、子どもたちには子ども達に向けてフィードバックを繰り返します。
彼らが、決められない理由は、とてもシンプルです。
大人が決めたことに従うことに慣れている、ということ。
どんなにいうことを聞かない子どもだっておんなじです。
いざ、自分で決めるとなると「決まらない」
人間関係は、自分の思いと、他者との思いを試行錯誤しながら、ダイレクトに向き合いながらつながっていくものです。
時にはぶつかるし、時には誤解をします。
でも「関係性」はそうやって成熟していくものなのです。
何度も、何度も根気強く彼らが決めることをサポートし(お陰で炎天下、お昼を過ぎて腹が減って腹が減って・・・・)、何が起きているのかを彼らが認識した瞬間にグループが決まります。
何度もグロースに参加してる子どもたちほど、こういった体験から学ぶのです。
「時間は誰が決めたの?」と、問いかけると元気よく「じぶーんっ!」と返ってきます。しかし、「自分で決めた」という責任の意識はまだ育っていません。
低学年にはこくな話です。
それでも、彼らも大切なグループの一員。
多数決やじゃんけんはいっさいやりません。
だって、あれこそ、「自分で決めること」から程遠いやり方ですからね。
そのほうが早いし、みんな納得するのかもしれませんが、個人である「自分」は尊重されないやり方なんですよね。
結局、決まるときはあっという間。
5分ちょっとで決まりました。
彼らの顔にはホッとした様子と、「自分で決めた」満足感がちらほら見え始めます。(ボクはようやく昼食にありつける安堵感も加わるわけです)
こうして、グロースの最初の関門が突破されたのでした。
「自分で決める」
ファンタジーでも、主人公たちは必ず「自分で決める」事を余儀なくされていきます。
家庭や学校生活という「現実社会」を後にして、北海道の大自然の中に旅立って、彼らは「自分で決める」練習を5日間していくことになるのです。
さて、昼食後には、グループごとに自然道を歩きます。
歩き出す前に、しばしばから子ども達にこんなお話をします。
この森の中にはどんな生き物たちがいると思う?
子どもたちは思い思いに答えます。
リス
豹・・・?
クマ
鳥
オオカミ・・・?
そうだね、それ以外にキタキツネも住んでいる。
しばしばが、昨日歩いたときには、キタキツネのフンがそこここにあって、木の実や草がそれに混ざっていたんだよ。
あっそーかーキタキツネって北海道なんだぁ
ところで、昨日この森の管理人さんから、興味深いお話を聞いたんだよ。
キタキツネは、小動物だけじゃなくて、ときどき鳥も食べているって。
そして、この森の先に住んでいる管理人さんの家の池にはアヒルがいて、ときおりいなくなってしまうことがあるんだって。
そういえば、ここ数日、黒い羽のアヒルが見当たらないから、もしかすると狐にやられてしまったかもしれない・・・って。
さぁ、そこで、君たちに大切なミッションを与えよう。
黒い羽のアヒルの消息の手がかりになるものを森の中で見つけてきてもらいたい。
やってくれるかな?
子どもたちの目はみるみる輝いていきます。
「やられちゃったね」
「きっと隠れてるんだよ」
「もう食べられちゃったんだよ」
子どもたちは思い思いに、感じたことを口にしながら森に入っていきます。
実は、前日ボクが森に入ったときに、黒い羽が散乱している場所がありました。
きっとアヒルの身に「何かが起きた」のに違いありません。
でも、アヒルの消息の答えは子どもたちの「イメージの中」にあるのです。
案の定、帰ってきた子ども達に、その散乱した羽の様子から「何が起きたのか?」を問いかけてみると、それはそれはユニークな「物語」が語られていくのです。
ただ単に、「キタキツネにやられた」のではなく、「森と、黒いアヒルと、キタキツネ」の物語が、それぞれイキイキと・・・・
ボクは、そんな瞬間がたまらなくうれしいのです。
もちろん残酷な展開もあります。
かわいらしい結末もあります。
どんな物語であっても、ボクたちにはとてもたどり着けないような深いレベルから
彼らの心を通り抜けて飛び出してきたイメージは、「ホンモノ」なのです。
黒いアヒルは、キタキツネが近づいてきたことに気づいて、近くの木によじ登ったんだ。なんとか逃げたんだけど、ついにキツネが、木のしたまで来ちゃったんだよ。
それでね、アヒルはもうだめだと思って、キツネに殺されちゃうよりも、自殺するって決めたんだ。それで、木の上から下に飛び降りた。
えっ?でもアヒルの死骸はなかったよ。
うん、その落ちたところに大きな穴があったんだ。
その穴にアヒルは落ちていっちゃったの。
それでどうなったの?
わかんない
この物語が、ボクの一番のお気に入り。
自分のことを「ベッカム」と呼ばせた、サッカー大好き少年のお話です。
物語を語っているときの子どもたち一人ひとりの目の輝きは、地球の未来をきっと輝かしいものにしてくれると、確信できるものなんです。
だから、大人のボクたちが失ってしまった輝きを、子ども達をとおしてに取り戻していかなければならないのです。
「自分で決め、行動し、欲しい結果をだし、その結果がどうであっても自分を承認していく」
なんか、理解できた。ありがとう!
やれるように、がんばってみる。