自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

自分の基準で生きてますか? 『 清兵衛と瓢箪 』

2015-09-08 04:14:52 | おもしろかった本
先日、聖心女子大学のシスター鈴木秀子先生の訃報をお伝えしました。


先生は、日本文学の専門家でもあり、遠藤周作と懇意だったとよく聞かされた。


先生ご自身も著作が多く、優しく丁寧な言葉は心に響きます。


ある雑誌の「人生を照らす言葉」という連載のエッセイがある。


月刊誌の76回目だから、6年以上続いている。


そこに紹介されているのが、志賀直哉の 『 清兵衛と瓢箪 』と言う短編。


この話と『 小僧の神様 』 は、名作と言われているらしい。


「 我を忘れて何かに夢中になっている時、周囲の状況はどうあれ、私たちはそこに真の自由と喜びを感じ取ることができます。


「 心の内側から湧き上がる物の価値が高ければ、よき人生へと結びついていきます。


「 志賀直哉の 『 清兵衛と瓢箪 』 にそのことを学びます。」


こんな書き出しで、綴られたエッセイは、多くの人にとって意味のある者のような気がする。


お話はこうだ。


12歳の清兵衛は、瓢箪 ( ひょうたん ) に凝って、いつも頭は瓢箪のことばかり。


買っては磨く、ひたすら磨く。


町を歩いていても、瓢箪を下げた店があれば必ず立ち止まり、いつまでも眺めている。


古いものや、奇異をてらったものには目もくれず、平凡な格好のものが好きで、そういうものばかりに興味を持つ。


子どものくせに瓢箪いじりをすることが気に入らない父親は、平凡なものではなく評判のものがいいんだと、清兵衛を見下す。


でも、清兵衛は、大人がいいというものは、必ずしもいいとは限らないことを知っている。


ある日、清兵衛は、小さい店に下がっていた瓢箪をいたく気に入って、それを買うといつも以上に夢中になって磨き続ける。


学校でも机の下で磨いていると、ついに教師に見つかり取り上げられてしまう。


「 到底見込みのある人間にはならない 」 と、母親は教師に責められ、挙句、それを聞いた父親は、清兵衛をたたき、部屋にある清兵衛の瓢箪すべてを壊してしまいます。


学校で取り上げられた瓢箪は、教師がけがれたものでもあるかのように小使いさん ( 用務員 ) に投げ与えてしまう。


数か月後に、ふと金が必要になった小使いさんは、骨董屋に持っていきます。


骨董屋は、ためつ、すがめつそれを見た挙句、「5円なら買う」と言う。


賢い小使いさんは、何食わぬ顔で、「 とてもそれじゃぁ譲れない 」 と言って、最後は50円にまで吊り上げてしまった。


4か月分の給料をもらった小使いさんは心ひそかに喜んだのだけれど、その骨董屋が、豪家にその瓢箪を600円で売ったことは知らなかった。


もちろん清兵衛は、この顛末を全く知らない。


お話の最後はこんな一説で結ばれる。


・・・・・清兵衛は今、絵を描くことに熱中している。これができた時に彼には、もう教員を怨む心も、十あまりの愛瓢を玄能(げんのう)で割ってしまった父を怨む心もなくなってゐた。


然し彼の父親はもうそろそろ彼の絵を描くことにも叱言(こごと)を言い出してきた。



自分の世界をしっかりと持っている清兵衛に対し、教師、小使い、父親など、外に基準を持って生きている大人たちは、現代社会にもいくらでもいる。


ボクたちは、いつから、自分が感じる価値を、自分基準から社会基準に変えてしまったのだろうか。


自分の世界の中にいる清兵衛は、完全に自由だった。


それに対して、ボクたちは日々どれだけ自由に過ごしているだろうか。


清兵衛が感じる、内面からの充足感は、人生を生き生きとさせてくれる。


社会にいくら上手に適応出来たとしても、本当の満足は得られないのに、大人たちはそれを目指してしまう。


それどころか、それこそが人生を幸せに生きる秘訣だ、ともいう。


いつの間にか自由を奪ってしまうのは、自分自身なのだということを、このお話しが教えてくれている。


自分探し、生涯尽きないテーマだ。



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