然別ではお昼ご飯。
ところが、小学校1年のけんいちろうは、目が座ったまま動かない。
眠くて眠くて、チョーご機嫌斜めなのです。
グループが関わっても、もちろんしばしばがかかわっても、まったく同じ。
結局彼は、何も食べずにバスの中で眠ることを自分で選択しました。
お昼ごはんの後は、目隠しトレイル。
バンダナで目隠しをしたまま、林の中をめぐらせたロープをつたいながら歩く。
これが、かなり怖い!
腰が引けてしまいます。
目隠しトレイルをするたびに、小学2年生のY君のことを想い出します。
もう7年くらい前のこと。
低学年にとって「目隠し」は想像以上に怖いことなんです。
初めてアートセラピー教室に参加したYくんは、バンダナで目隠しはするものの、少しだけ下にずらして、ずっとまわりを見ながら歩いていました。
お母さんが「ちゃんと目を隠してっ」と叫んでも、Yくんはそのままのぞき見状態で実習を続けました。
Yくんは、学校や病院で「自閉症児」と言われ、お母さんはかなり心痛めていました。すがるような気持ちで参加したアートセラピー教室でも、何とか他のこと同じようにして欲しいと言う気持ちがあらわれていました。
でもセラピストは、忍耐強くその子の自由な表現を支え続けました。
3年ほどたったころ、その教室のセラピストがボクに報告してくれました。
「しばしば、あのYくん。覚えてますか?」
「うん覚えてるよ」
「Yくんね、こないだ、学校のマラソン大会で優勝したんです」
「えっ!!」
僕はそのまましばらくことばが出ませんでした。
「それだけじゃなくて、Yくん、とっても成績がよくて、受験するんですって」
「えっ!!」
「驚きでしょ?」
ホントに驚きました。
じゃぁあの「自閉症児」と言う判断は、なんだったんだろう・・・
大人のルールで作られた「学校生活」は、時に子どもの自由な表現を見殺しにします。
まるで「大人になるということはそういうことだ!」と強いられるように。
でも、子どものころに「感覚」を育てていかないと「こころ」は育たたないのです。
Yくんは、自分の自由な表現を「大人たちのルール」に受け入れてもらえないことで、きっとかなり辛かったと思うのです。
でも、セラピストからの話を聞いて、改めて「自由な表現」が心を育てていくことに確信を強めました。
さて、然別湖畔を出発して、一路・・・温泉へ。
今日は、5日間の中で、唯一「入浴」がプログラムされている日です。
それ以外は、プログラムの性質上、その実習にどれくらいかかるのかはすべて子ども達が決めるために、入浴時間はすべて後回し。
毎年、入浴は1回ぐらい。
だから帰りの飛行機の中は・・・「かなり臭い」状態です。
他のお客さんたちには申し訳ないけど・・・
この温泉でもひと騒動。
玄関で、2年生のかずほがおお泣きしてる。
仕方がないので、しばしばが直接関わることに。
ところが何を言ってもなにを聞いても、泣くばかり。
「じゃあ、ここでしばらく泣いていよう。しばしばは風呂に言ってくるから」
とその場を立ち去ろうとすると、泣き声は最大のボルテージに。
「じゃあ、かずほ、どうしたいか教えてくれ。自分でどうしたいのかを決めていこう。グロースは自分で決めるところだからな!」
これも、泣き声が最大になるひとこと。
まったくどうすることもできない。
入浴に来た、地元のおばちゃんたちが、皆一様に、
「あらあらぼくどぉしたの。おとうさんの言うこと、ちゃーんときかないとねぇ」
なんていいながら通り過ぎるもんだから、これも泣き声最大に・・・
結局、10分以上泣き続けた挙句、泣きながら立ち上がり、一緒に風呂へ。
泣きながら服を脱ぎ、泣きながら身体を洗う。
一緒に身体を流しているうちに、一穂の泣き声は消え、しまいには、いくつもある風呂に、ご機嫌で入り始めた。
なんだったんだよ、一体!!
結局眠くて眠くて、けんいちろうのような状態だったようです。
女子風呂でも、同じようなことが起きていたようです。
2年生のかずね。
あんまりおお泣きするもんだから、赤ちゃんベッドに寝かされて、それがまたくやしくてさらにヒートアップしてたようです。
しかし、うらやましいですね。
あれだけ大声で、まわりを一切気にせず、おお泣きするなんて。
いくつくらいまで、おお泣きできたんだっけなぁ・・・
入浴後は、アイスクリームをほおばりながら、
「さぁもうすぐ熱気球体験。子ども達喜ぶだろうなぁ」なんて考えていたら、突然の大雨。
やばいっと思ったときには、すぐにサポーターが熱気球の山下のオヤジに連絡を取っていました。
さすがサポーター。
「山下のオヤジは、夕立だからすぐにあがるから心配すんなって言ってます」
でもホントかな・・・ものすごい土砂降り・・・
ところが、小学校1年のけんいちろうは、目が座ったまま動かない。
眠くて眠くて、チョーご機嫌斜めなのです。
グループが関わっても、もちろんしばしばがかかわっても、まったく同じ。
結局彼は、何も食べずにバスの中で眠ることを自分で選択しました。
お昼ごはんの後は、目隠しトレイル。
バンダナで目隠しをしたまま、林の中をめぐらせたロープをつたいながら歩く。
これが、かなり怖い!
腰が引けてしまいます。
目隠しトレイルをするたびに、小学2年生のY君のことを想い出します。
もう7年くらい前のこと。
低学年にとって「目隠し」は想像以上に怖いことなんです。
初めてアートセラピー教室に参加したYくんは、バンダナで目隠しはするものの、少しだけ下にずらして、ずっとまわりを見ながら歩いていました。
お母さんが「ちゃんと目を隠してっ」と叫んでも、Yくんはそのままのぞき見状態で実習を続けました。
Yくんは、学校や病院で「自閉症児」と言われ、お母さんはかなり心痛めていました。すがるような気持ちで参加したアートセラピー教室でも、何とか他のこと同じようにして欲しいと言う気持ちがあらわれていました。
でもセラピストは、忍耐強くその子の自由な表現を支え続けました。
3年ほどたったころ、その教室のセラピストがボクに報告してくれました。
「しばしば、あのYくん。覚えてますか?」
「うん覚えてるよ」
「Yくんね、こないだ、学校のマラソン大会で優勝したんです」
「えっ!!」
僕はそのまましばらくことばが出ませんでした。
「それだけじゃなくて、Yくん、とっても成績がよくて、受験するんですって」
「えっ!!」
「驚きでしょ?」
ホントに驚きました。
じゃぁあの「自閉症児」と言う判断は、なんだったんだろう・・・
大人のルールで作られた「学校生活」は、時に子どもの自由な表現を見殺しにします。
まるで「大人になるということはそういうことだ!」と強いられるように。
でも、子どものころに「感覚」を育てていかないと「こころ」は育たたないのです。
Yくんは、自分の自由な表現を「大人たちのルール」に受け入れてもらえないことで、きっとかなり辛かったと思うのです。
でも、セラピストからの話を聞いて、改めて「自由な表現」が心を育てていくことに確信を強めました。
さて、然別湖畔を出発して、一路・・・温泉へ。
今日は、5日間の中で、唯一「入浴」がプログラムされている日です。
それ以外は、プログラムの性質上、その実習にどれくらいかかるのかはすべて子ども達が決めるために、入浴時間はすべて後回し。
毎年、入浴は1回ぐらい。
だから帰りの飛行機の中は・・・「かなり臭い」状態です。
他のお客さんたちには申し訳ないけど・・・
この温泉でもひと騒動。
玄関で、2年生のかずほがおお泣きしてる。
仕方がないので、しばしばが直接関わることに。
ところが何を言ってもなにを聞いても、泣くばかり。
「じゃあ、ここでしばらく泣いていよう。しばしばは風呂に言ってくるから」
とその場を立ち去ろうとすると、泣き声は最大のボルテージに。
「じゃあ、かずほ、どうしたいか教えてくれ。自分でどうしたいのかを決めていこう。グロースは自分で決めるところだからな!」
これも、泣き声が最大になるひとこと。
まったくどうすることもできない。
入浴に来た、地元のおばちゃんたちが、皆一様に、
「あらあらぼくどぉしたの。おとうさんの言うこと、ちゃーんときかないとねぇ」
なんていいながら通り過ぎるもんだから、これも泣き声最大に・・・
結局、10分以上泣き続けた挙句、泣きながら立ち上がり、一緒に風呂へ。
泣きながら服を脱ぎ、泣きながら身体を洗う。
一緒に身体を流しているうちに、一穂の泣き声は消え、しまいには、いくつもある風呂に、ご機嫌で入り始めた。
なんだったんだよ、一体!!
結局眠くて眠くて、けんいちろうのような状態だったようです。
女子風呂でも、同じようなことが起きていたようです。
2年生のかずね。
あんまりおお泣きするもんだから、赤ちゃんベッドに寝かされて、それがまたくやしくてさらにヒートアップしてたようです。
しかし、うらやましいですね。
あれだけ大声で、まわりを一切気にせず、おお泣きするなんて。
いくつくらいまで、おお泣きできたんだっけなぁ・・・
入浴後は、アイスクリームをほおばりながら、
「さぁもうすぐ熱気球体験。子ども達喜ぶだろうなぁ」なんて考えていたら、突然の大雨。
やばいっと思ったときには、すぐにサポーターが熱気球の山下のオヤジに連絡を取っていました。
さすがサポーター。
「山下のオヤジは、夕立だからすぐにあがるから心配すんなって言ってます」
でもホントかな・・・ものすごい土砂降り・・・